【 野球】プロ野球→格闘家→大学院→起業 元ベイスターズ強打者が見た栄光と挫折 [砂漠のマスカレード★]
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《連載》キャリアコラム ライバー、古木克明さん
「松坂大輔世代」のプロ野球界を代表する強打者として活躍した元横浜ベイスターズの古木克明さん。甲子園からプロ野球、そして総合格闘家、米プロ野球の独立リーグを経て、大学院大学でビジネスをゼロから学び起業した。「型破り」のホームランバッターと呼ばれた古木さんは今、インターネットを通じてライブ配信する「ライバー」としての活動も開始した。栄光と挫折を経験した後、なぜ起業家の道を選んだのか、古木さんに聞いた。
■「野球が大嫌いになった」元ドラフト1位の思い
「野球が大嫌いになった」。1998年にドラフト1位で横浜に指名されるなど野球エリートだった古木さんだが、横浜、オリックス・バファローズと10年あまりの現役生活を終えるころにはこんな心境に陥っていた。
愛知県の豊田大谷高校2年生のときに、夏の甲子園大会に出場して1試合2本塁打を放つなど注目を集め、高校日本代表にも選ばれた。3年生の夏の甲子園では、入場行進時に学年が同じ松坂大輔選手(当時は横浜高校、現埼玉西武ライオンズ)と「よろしくね」とあいさつを交わし、活躍を誓い合った。大会ではチームをベスト4に導き、プロに進んだ。
派手なホームランを放ち、明朗快活な人柄だが、実は常に不安だった。「いつまでやれるのか」。中学生のときには腰を痛め苦しんだ時期もあった。プロはケガとの戦いだ。2002年には巨人の桑田真澄投手(当時)など大投手から次々本塁打を放ちブレーク。03年には22本の本塁打を記録するなど活躍した。
だが、その後は伸び悩んだ。故障などの問題もあり、打率は振るわなかった。しかも守備で失策が多く、やじられた。「打てない」。何度もコーチとぶつかった。09年には戦力外通告を受け、現役を引退した。
型破りのバッターは、突然、総合格闘家になると表明、周囲を驚かせた。実は以前から格闘技に興味を持っていたのだという。プロ野球選手から転身を果たした先輩としてはプロレスにはジャイアント馬場氏、K―1には立川隆史氏の例があった。「じゃあ僕は総合格闘技で名をなしたい」と飛び込んだ。
■大学院で経営を学ぶ
試合で相手と向き合っているときに、ふと気づいた。「打撃不振に陥った際に自分は相手を知ろうとしなかった」。格闘技は当然相手の研究から始まる、本来、打者も相手投手の研究・分析をすべきだった。しかし、自身のフォームばかりが気になり、独りよがりになっていた。格闘技にのめり込む一方で、野球のことが頭から離れなかった。1年半で格闘技に見切りをつけ、プロ野球のトライアウト(入団テスト)に参加するなど再挑戦した。
しかし、壁は厚かった。渡米してハワイの独立チームにも挑戦したが、最終的な引退を決めた。引退後のプロ野球選手は野球スクールや球団職員など野球関係の職に就くケースが少なくない。しかし「もう嫌だった。野球界に戻りたくない。しかし、野球しか知らない」と悩んだ。
5/10(日) 6:10 Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200510-00010000-nikkeisty-bus_all
https://i.imgur.com/lN9Vdun.jpg 「もっと広い事業領域でやりたい」とセカンドキャリアを模索。「桑田さんは引退後に早稲田大学大学院に行ったけど、あくまでスポーツを専攻。そうじゃなくて事業を起こすための勉強はできないか」。14年に門をたたいたのが事業構想大学院大学(東京・港)だった。社会人が経営を学び、新しい新規事業などを考える私立大学だ。これまでは野球漬けの毎日、「横文字の経営用語は全然わからなくて。ケーススタディーや3C、4Pとか。はてなマークだらけだった」。ただ悪戦苦闘しながらも新鮮な気分だった。
ゼミの教授から「知ることは楽しいよ」と後押しされた。野球には限界があるが、知ることに限界はないと感じた。
「リーダーシップとは『もてたい』という気持ちで」。野球をやっていたとき、モヤモヤと言葉にならなかったことを言語化し、分析・整理できるようになった。2年の修了時の事業テーマを考える際、新たなビジネスモデルを発想する起点として「そもそもなぜ野球が嫌になったのか」を自己分析した。単純に打撃不振に陥ったからか、そうではない。
■「こんばんは。球打ち波乗りおじさんです」
野球の世界は子供のころから監督やコーチの命令が絶対、典型的な上意下達だ。「自由な発想ができない。それが嫌だったのだ」と気づいた。さらに日本の野球界の現状を考えた。ファッションの一つとして、米国にはニューヨーク・ヤンキースなど人気球団の帽子をかぶる若者は少なくないが、日本のプロ野球のアイテムをオシャレに着こなす若者の姿はあまり見ない。野球は格好いいスポーツではなくなってきている。
「若者に格好いい、子供に自由な発想での野球を、それをテーマに事業を興そう」。16年に「The Baseball Surfer(ベースボールサーファー)」という新たなブランドを立ち上げ、起業した。野球界の課題を解決するサービスの展開するため、アパレル、野球スクール、イベントの3事業を柱に据えた。アパレルはオンラインショップを軸に展開、スクールは古木さんの暮らす地元、神奈川県の湘南を中心に少年野球の教室をスタートした。上から目線の指導法ではなく、本人が自ら気づく手法を取り入れた。「フォームのここを直したらいいとこちらが思っても、本人が本当に納得しないとまた悪いフォームに戻る」と自戒を込めて話す。
「こんばんは。球打ち波乗りおじさんの古木です」。39歳となった古木さん。3月2日からDeNAが運営するライブ配信「Pococha(ポコチャ)」を使って若者との交流を始めた。ユーチューブと違い、一方通行の発信ではなく、リアルタイムでファンと双方向でコメントを交わせるのが特徴だ。 古木さんは動画制作サービスなどを展開するViibar(ビーバー、東京・品川)のライバーマネジメントプロダクション「ビーバー」に所属。ほかに埼玉西武ライオンズなどで活躍した原拓也さん、東京ヤクルトスワローズなどで活躍した米野智人さんなど元プロ野球選手を中心に計14人が参加し、「野球ライバー」と呼ばれている。「野球以外にも趣味のサーフィンやTシャツづくり、住んでいる街の観光スポットなどをテーマにして生配信で盛り上がっているけど、若い人ばかりだから、すっかり天然ボケのジイジキャラにさせられた」と笑う。
プロスポーツ界は、ほんの一握りの選手を除いて早期にセカンドキャリアの選択を迫られる過酷な世界。今やビジネス界でも転職は当たり前だ。曲折しながら、新しい道を探さなくてはいけない。「松坂にはできるだけ長くがんばってほしい。僕は野球の新しいスタイルを模索し、もっと若い人に身近なものにしたい」と語る古木さん。松坂世代の葛藤と挑戦はまだまだ続きそうだ。 嫌いな球団だった横浜大洋ホエールズに入団しなくて良かった 長い
読む気しない
K−1に転向して嫁に離婚されたのは覚えている
あと殴られるとこんなに痛いんだって言ってた 事業構想大学院大学か
引きこもりもこういうところに放り込んでみたら
人生変わるんじゃないか みなぎるパワー大砲だ 飛ばせ克明
虹のような弾道で オーバーフェンス このニュースを5/4に出してこそ古木あーっとなのに >>12
地味にロッテ戦の解説で今でもメディア露出があったりする 古木・多村・村田・内川・吉村が主力になれば、とんでもなく強いチームになると信じてたのは苦い思い出 >>18
おぉ〜、そうなんか
今でも野球に関われてんだね 現役時代はとにかく脳みそ足らんってイメージしかない 総合格闘技やめたあとデーブ大久保の野球教室で練習してた >>15
離婚した
ぐーたらなこいつのためにBCリーグ富山に入団掛け合ってくれたりとこいつには過ぎた嫁だったのだがその富山入団の話を反故にしてぶち切れられた 中途半端が1番やばいし、周りに迷惑かけるって事分かってないんだろーな。 石井琢朗に年賀状を出した時、豚郎と宛名を書いて呆れられたこともあったなw 打撃系の格闘技は
積み重ねが大事なのに
ど素人が1年やっただけで「元格闘家」って
なめてんのか サード古木
セカンド村田
ショート内川
というファイヤーにも程がある内野陣で数試合戦ったことがあるという事実 高校の時からわがままで態度も悪くて協調性ゼロでめちゃくちゃのやつだったらしいな
どんどん天狗になって酷かったって
そんなんで監督が苦労してたって言ってたな こういう経歴みてると何をやっても中途半端でダメな奴だなって思うのは俺だけかねぇ…
自分の人生を深く考えず飛び込んでそれで合わないと思ったらすぐ辞めるとかさ…
それならもっとじっくり考えろよって思うわ。
先は長いんだしさぁ… >>34
クズやんけ!数年後に強盗とかで逮捕されて名前聞きそうだ まともに守れない欠陥MVPの古木さんのスレでしょうか? >>40
中学も高校もめちゃくちゃだったってな、でもとにかく野球センスは桁外れで打つのは天才だったから誰も何も言えなかったんだよな
それで後藤がキャプテンにするとか言ってたんじゃなかったかな、将来の為にこのままじゃダメだみたいな考えで 元横浜には本物のヤクザが居て、地元で複数回逮捕されている そもそも高校時代も私学4強が消えて決勝が豊橋南という無名な公立相手だったんだよ、あの時の豊田大谷は 長いけど結局野球周辺でメシ食ってるんじゃないの、コレ? 経歴からしてあいつだろうなと思って開いたら
案の定古木だった >>47
準々決勝で名電、準決勝で大府とやってる
豊橋南は準決が一宮西、準決が美和
相手の方がよっぽど楽に勝ち上がってたし 豊田大谷は5回戦も東邦だったな
東邦、名電、大府破ってるんだからまぐれかも知れないがラキ珍じゃないだろ
翌年東愛知で出てるんだから裏付けもあるし >>47
私学4強のうち2校を豊田大谷が破ってるんだぞ
必死にググって準決勝と決勝だけ出てきて、それ見て言ってるんだろお前 >>57
外野フライで飛び出すランナーはまだ見るけど、内野守備で転ぶの三塁手はなあ… >>1
野球に戻った経緯が若干美談っぽくなってるけど格闘技の練習があまりにも痛くてヘタれて野球戻っただけやんお前 脚力も肩力もあったのに
外野守備がどうにもならなかった
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