【コメディアン】昭和の「視聴率100パーセント男」萩本欽一 現在の好感度を聞くと… [muffin★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://sirabee.com/2020/05/06/20162314853/
2020/05/06
5月7日で79歳を迎える萩本欽一。昭和の時代「視聴率100%男」と呼ばれた人気者は、令和となった現在も、『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』(日本テレビ系)などで元気な姿を見せている。また、関根勤や小堺一機、勝俣州和など「欽ちゃんファミリー」のタレントが活躍していることも評価が高い。
お笑い好きのEさんは、「欽ちゃんの偉大さ」をこう話す。
「関根勤、小堺一機、勝俣州和など育てた芸能人は幅広い分野で活躍していて、同業者からの評価も高い。また、関西で人気になる前のダウンタウンを自分の番組に起用するなど、笑いの選球眼が鋭いと思う。お笑いBIG3のビートたけし、明石家さんま、タモリも一目を置き、ライバル視していた存在。そんな人物は欽ちゃんしかいない」
そんな偉大な萩本欽一の、「現在の好感度」はどうなっているのだろうか?
しらべぇ編集部は全国の10〜60代の萩本欽一を知っている人1,522名に意識調査を実施した。結果、「好き」と「まあまあ好き」を合わせた割合は55.4%。令和の時代になっても、その人気は健在だ。
https://img.sirabee.com/wp-content/uploads/2020/05/sirabee20200506hagimoto-600x365.png
https://img.sirabee.com/wp-content/uploads/2020/05/sirabee20200506hagimoto2-400x265.png ミスターゴールドだっけ
ユーチューバーで成功しとるやん欽ちゃん BIG3が一目置いてたとか書いてる時点でこのライターは何もわかってないのが露呈 昔から弟子みたいな若手に絶対正解できない問いを投げかけてためんどくさいジジイ 同じ世帯が複数の番組を見てたのに
100パーセントという出鱈目 大嫌い
しつこいから
ウケてない空気を読めないから 小堺一機が、若い頃いじめられた恨みを晴らすかのように
萩本の弱いものいじめ的な部分を暴露するようになったのが
萩本のイメージダウンの大きなきっかけになってると思う なんだかもっともらしい理屈をつけて若手にダメだしするんだけど
ただの気まぐれにしか思えない説 最初は野球拳とかで子供に見せたくないNo.1だったから 昭和60年生まれの35歳だけどこの人の現役時代はわかんない
ドリフは90年代でも番組あったけどこの人は80年代以降活動してないよね >>23
ピークで一度充電したいって休んで
戻ってきたら居場所がなくなってたってやつ 少なくてもスター誕生で森昌子や桜田淳子が合格したのをリアルタイムで見てないなら
欽ちゃんを語る資格はないわな 今、CMで欽ちゃんが
「みんな、看護士さん、お医者さんにありがとう言おう。
言葉で無しに行動で、ね」とか言ってるけどどういう意味なのかちょっと分からない。
何をすればいいの? >>27
萩本欽一は芸人としてのピークは早かったが育成に長けてたから凄い
特にタレントの他に放送作家も多数育てたから一目置かれてる
各局のトップにそいつらがふんぞりかえってるので萩本欽一はテレビ業界では天皇扱い 若手に芝居をつける番組があったんだけど、
ビフォーアフター全然かわって吹いた。
お笑いって言うかコントとかの舞台の人だね。 >>36
「放送作家」を育てた功績はあるけど
タレントはほとんど育ってないじゃん
小堺関根だって別に「弟子」ではないだろ 萩本欽一の現役ってピンで無理矢理ほのぼの路線ややってた時じゃなくてコント55号じゃんか
あれは実直で不器用な中年(坂上二郎)をエキセントリックな変人(萩本欽一)が振り回し続けるイジメお笑いだぞ
萩本欽一の突っ込みは基本飛び蹴りで二郎さんを吹っ飛ばすし萩本欽一扮するキャラクターのスピードに二郎さん扮する中年キャラクターはモタモタ付いていけず翻弄され笑い者にされる
彼らのお笑いを今見ると不快指数一万って感じでひたすら不愉快
ほのぼのはセミリタイアした萩本欽一だから勘違いすんなバカ 高部知子を救える立場で見放して干して
山本はあれで良いけど、初動の対応が自分の保身にしか考えられず
変わらないなと呆れた
あの時保身で野球チーム止めるとか、集まった選手の顔一切浮かばんかったやろうなw 『欽ちゃんの週刊欽曜日』という番組内コーナー『欽ちゃんバンド』が大嫌いだった。
コミックバンドをやりたかったんだろうけど、技術のない素人たちが音楽コントをやっていたがまるわかりだった。
音楽をやりこんでからお笑いに転向したクレイジーキャッツやドリフの偉大さがはっきりわかったのは俺にとってこの企画の唯一の収穫 >>3
俺も俺も。
ネチネチネチネチしつこくて子供心にも嫌な野郎だったよ。 >>40
テレビ界のファミリーの先駆けだな欽ちゃんファミリーは
ダウンタウンにおける今田東野なんかもそう
もちろん萩本欽一以前にもあったがファミリー表記の代表格は欽ちゃんファミリー 浦安鉄筋家族で
萩本欽一そっくりの教師が
出てきて
そのキャラのあだ名が
日本一面白くない男
だった 萩本欽一を異常に嫌ってるのは浦安鉄筋家族の浜岡賢次など50代半ばのジジイ コント55号の時は主婦が選ぶ見てはいけない番組の常連やで 小林信彦の本で、渥美清がコント55号の舞台を見に来てたことを萩本に告げると
「あれは見に来て安心に来てるんですよ、この程度のもんなのかって」
って答えてた下りがすげー冷静というか尖ってたんだねーと しつこいんだよな
何回も何回もおんなじことボケさせてツッコむ >>3
わかる
年寄り特有の意地悪さ、絡みづらさ、話してても一生平行線 こいつは素人を引きずり込んで、用が済んだら面倒みない
真屋順子の訃報もスルー ろくでなしひとでなし Youtubeでアニメ本編が1〜10万再生位で
アニメの一部を切り取ったのが100万再生で
モヤモヤする
明らかにテレビの低視聴率番組以下の
クオリティーのユーチューバーの動画が
100万再生とかで、頭悪くなりそう >>41
萩本欽一は見下す笑いだからな不快に思うのはもちろん
それを上岡龍太郎が上手く解説してた話があったな
「そもそも芸人は人々から見下される存在なのに逆に見下して天下を取った人らがいる
ツッコミで見下して天下を取ったのは萩本欽一ボケで見下して天下を取ったのはビートたけしボケとツッコミ両方で見下して天下を取ったのがダウンタウンし」 欽ちゃん「下ネタはやっちゃ駄目!!」
あの野球拳はなんだったの? 二郎さんも隠すことなく、欽ちゃんには腹に一物ある物言いしてた 平成に入ってからの欽ちゃんはなんだか見てて痛々しくて表に出てきてほしくない存在だったがまさかビートたけしがそれ以上に痛々しい老害になるとは予想だにしなかったもんだ 萩本欽一と大橋巨泉は幼馴染みなんだよな
二人とも親がカメラの仕事をしていて、その関係で子供の頃から知っていた この人のいじり芸って、パワハラ芸の元祖だよね。
55号のときは、助走つけて二郎さんに飛び蹴りしたり、暴力芸だった。 欽ちゃんファミリー
小室ファミリー
大崩壊
北島ファミリー
まだ機能している コント55号の初期のコントはすごかった
腹が苦しくて息ができないくらい笑った >>64
基本的に素人に無理難題言って困らせるように芸風だよな ケンちゃんラーメンは、志村けんが欽ちゃんヌードルへのライバル心で自ら売り込んで発売になった。 欽ちゃんはドリフ全盛の70年代前半、一時完全に消えかけていた
復活の足掛かりとなったのがラジオで
受験生などが欽ドンを聞き始めた。ラジオ版はドンといってみようというタイトルだ
やってみよう、というテレビ版を始めて一気に第二期欽ちゃんブームがきた
ちょうど荒井注が志村と交代する時期で、ここで荒井世代は欽ちゃんに移行していく 香取慎吾が欽一とずっと一緒に仮装大賞やって、しゃべり方とか動きがすっかり欽一化して
ダメになっていった 引退したんじゃなかったっけ?
若いのはもう知らないだろ >>59当時あの志村が緊張していたように見えて欽ちゃんスゲーなと思った 東京進出する前で、関西でも「4時ですよーだ」(毎日放送)で
人気者になる前のダウンタウンを1986年、「欽ドン!ハッケヨーイ笑った!」(フジテレビ)に起用した。
笑いの方向性では対極とも言えるダウンタウンの持ち味は全く生かされず、
着ぐるみを着て相撲対決等を行っていたダウンタウンも内心嫌がっており、
低視聴率が続き3ヶ月で打ち切りとなった。 しかし萩本はダウンタウンに
「この番組は終わるが、君達はこの番組以外の所から
必ずブレイクするから、心配しなくていい」と直接伝え、実際に
その直後に関西で人気が爆発し、3年後の東京への本格進出に繋がった。
この件もあり、ダウンタウンは萩本に他の先輩芸人とは別格の念を持っており、
ラジオ番組のネタで萩本を揶揄するネタが来たときも、浜田雅功が
「萩本さんの悪口言わんといてくれ」と述べている。
松本人志は著書で「あの時期のダウンタウンに好き勝手やらせて、
他のタレントには細かくダメ出しをしていたのに、OKを出していた大将はやっぱりすごい」
と評している。 もう時代は変わってる
今のビッグ3は林修 有吉 マツコ 菌ちゃんと毒さんは好感度地に落ちてるからな
キムタクや広瀬すずもそうだけど、ネットで性格悪いって書かれてる奴って
実際そうだからネット侮れない >>65
山本譲二が追い出されたの知らねえのかよ?w 自分自身汚れ上がりのくせに未成年者の過ちを許さず追放した偽善者w また、ダウンタウンと同じく
「欽ドン!ハッケヨーイ笑った!」に起用していたジミー大西を見て、
「あれが意図的な芸であれば、チャップリン以来の天才芸人だ」
と大変評価し、2人きりで楽屋にて対話した。
しかし楽屋から出てきた萩本は一言「天然だったんだね…」と言葉を残し落胆する。
この言葉が「天然ボケ」の言葉を定着させることとなる。 負けた者が服を脱いでいく野球拳は、
『裏番組をブッ飛ばせ!』で使ってから世間に広まった。
ただし汚れ役であることと、野球拳が主体となり
自分たちのコントが2次的な存在になることへの嫌悪感から、
当時はこの役を相当嫌っていた部分がある。
ただし2005年の野球拳発祥の地松山での祭りでは、野球拳
(本来の野球拳は服を脱がない)で出演した。
この際野球拳について35年ぶりに謝罪し話題を呼んだ。 >>41
芸人としてのピークを知ってる方は60歳以上でしょうね
70年代以降はどうしても司会者としての欽ちゃんになっちゃう ポール牧が、自分のコンビ「ラッキーセブン」とコント55号が浅草で人気を二分してたっていう話をした時に
インタビューアーが「じゃあコント55号がライバルだったんですね?」って言ったら
ポール牧が「いえ、ライバルじゃなくて仲間でした。」って言ったのが印象に残ってる
いいと思わない?ライバルじゃなくて仲間って 売れない頃にチャップリンの実家に押し掛けるのを
しっかりテレビ局が撮影していてなんだ台本ありじゃんと思った 元祖いじめ芸
人をいじめて笑いを取ることを日本に広めた人 子供の頃すごく楽しく見てたけどそのうちにクドくてまどろっこしくて見ていられなくなった。 欽ドン 欽どこ 週欽
欽ちゃんの仮装大賞
欽ちゃんのTVプレイバック
よっ大将みっけ 欽ちゃん自身の笑いはくどくて大して面白くもないが
今で例えるなら内村タイプで、若手をまとめたり茶の間で安心して見られる点で数字を獲った
欽ドンのタイトルコールを素人のおばちゃんにやらせて
緊張させ何度も失敗させて笑わせるのも斬新だった >>86
松本人志も似たようなの言ってたな
「東のウンナン西のダウンタウンと言われてるがライバルというより仲間」みたいな発言 つべ見られる55号のコントは別にイジメ連想させるようなものはない感じだが、全盛期はそんな暴力的な感じだったのか >>92
出身地で言えば
東がダウンタウンで
西がウンナンなんだけどな 草野球を辞めるか辞めないか、のとき、わざわざテレビで
「大丈夫ぅ。辞めないよぉ。野球やるよぉ」みたいな気持ち悪い言い回しを
見て、一気に嫌いになった >>97
山本事件で株を落としたのは間違いないね
全盛期を知らん人はあれだけ見ても気持ち悪いジイさんとしか思わないだろうに やたら偉そうな芸人のはしり
全盛期は霊能者気取りだったからな >>95
暴力的というより陰湿だったんじゃね
松居直美にリハーサルで同じ部分を20回もやらせて
それを見てたディレクターが呆れてさすがに欽ちゃんに
「1回目と20回目で何が変わったの?」と突っ込んだとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています