【野球】ノムさんが「赤星引退」の一報に声を荒らげた夜…記者コラム「伝説には残らない野村番ノート」(1) [砂漠のマスカレード★]
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戦後初の3冠王となり、監督としても3度の日本一に導いた名将・野村克也さん(享年84)が2月11日、天国へ旅立ちました。
月日は流れますが、偉業は決して色あせることがありません。スポーツ報知の「最後の野村番」加藤弘士デスクが、現場で体験した知将の「伝説には残らない」人間くさいエピソードの数々を、全5回で描きます。
第1回はクールなノムさんが声を荒らげた、まな弟子の引退決断時の話です。
「おい、お前、赤星の連絡先分かるか。教えてくれ。引退なら撤回すればいい。もったいない。もったいないよ…」
いつものあの口調とは全然違う、感情の高ぶった声。今でも耳にこびりついて離れない。
楽天監督退任直後の2009年12月9日。野村さんは沙知代さんと都内ホテルで「ゆうもあ大賞」の表彰式に出席した。
毎年その年を明るくした人に贈られる賞で、アナウンサーの徳光和夫さん、歌手の秋元順子さんとともに受賞したのだが、報道陣は芸能担当ばかり。
野球記者は自分だけだった。私も芸能取材班から「ノムさんがこんな表彰式に出るよ」と教えてもらい、「担当替えのあいさつができれば」と足を運んだのだった。
和やかにイベントが終了し、芸能レポーターによる囲み取材も終えた頃、デスクからの電話が鳴った。
「赤星が引退を発表した。ノムさんの反応を取ってくれ」
驚いた。確かまだ33歳のはず。しかし、持病の首痛は「中心性脊髄損傷」と診断されていた。悪化すれば生命にかかわると診断されたため、球団の引退勧告を受け入れたのだ。
野村さんは阪神監督だった2000年、当時JR東日本の赤星を視察している。「あの足は戦力になる」と俊足にほれ込み、スカウトの反対を押し切って、ドラフト4位指名したというのだ。
かつて、こんな話をしてくれたことがある。
「入団してから、赤星は最初、ホームランバッターのようなバットを持っていた。俊足を生かす打撃をしていなかったんだ。
だから俺は『“足が速い”というところから野球せい!』と言い続けたんだよ。とにかく、三遊間に転がして走れ。
セーフティーバントを転がして走れと。その結果、内野安打が多くなり、出塁率が高くなったんだ」
野村さんの持論である、選手を一流に導く「見つける」「育てる」「生かす」という3段階のステップ。
指導者と選手が同じ目的意識で取り組んだ結果、赤星はスター選手になった。それだけに、思い入れは強かった。
控え室に戻るところを直撃した。
カントク、赤星選手が引退を発表しました―。
表情が変わった。
それは本当か? 本当なのか?
お前、ちょっと来い。
5/5(火) 19:19配信
https://www.youtube.com/watch?v=-vzgqWNHR9U
阪神タイガース 2009年9月12日 赤星、決死のダイブ
https://www.youtube.com/watch?v=5k8989-tXEM
赤星ヒーローインタビューでヤジにキレる
https://stat.ameba.jp/user_images/20091210/14/golfdealoha/c9/06/j/o0448045010336103752.jpg
https://no-05.com/wp-content/uploads/2017/04/tigers-akahoshinorihiro-3.jpg
http://npb.jp/bis/players/91195113.html
成績 控え室に招かれた。沙知代夫人と3人。円卓に座った。
先ほどの華やかな表彰式とは打って変わって、重苦しい空気が充満する中、現状を説明した。
顔つきから、悲しみが充満しているのが分かった。
担当4年目。それまで見たことがない、つらい表情だった。
そして冒頭の言葉が飛び出た。「阪神担当に聞いてみます」。私はいったん部屋を出て、虎番の先輩記者に相談した。
「ノムさんの気持ちも分かるけど、最悪、命の危険もあるほどの症状や。本人の決断を尊重してやらなあかんで」
想像を超える重症。先輩記者の言葉は正論だった。
しかし、野村さんは収まらなかった。旧知の阪神関係者の携帯を鳴らした。「赤星へ俺に電話するよう言ってくれ。東京にいい病院を知っているんだ。紹介したいんだよ。
引退は医者に診てもらってからでも遅くないだろう」。電話を切ると、大きくため息を漏らして、こう言った。
「俺はボロボロになっても、現役を続けたからさ…」
自身の引退は45歳。老いにあらがい、燃え尽きるまで現役に固執した。12球団のユニホームを着る喜び、脱ぐ寂しさ。
選手として、監督として、「現役であること」に執念を燃やし、大きな仕事を成し遂げてきた男の矜持が、言葉からにじんでいた。
「働き盛りなのに残念だ。引退はいつでもできる。記者会見をしたからって、これから撤回すればいいじゃないか。辞めるのは惜しいよ…」
野村野球といえばデータ重視の「ID野球」のイメージが一般的だ。しかし同時に、情に厚く、情で動く人だった。
伝説には残らない、伝記にも描かれない、野村さんのささやかな裏話を書き残したい。
記者として、書くことだけが恩返しになると信じて。(デジタル編集デスク・加藤 弘士)=随時掲載= 阪神球団に言えよ
寒い雨の日に試合を強行したばっかりに... >>6
球団に言ってもどうにもならないし
阪神が野村克也の意見なんてあの時点では無いだろ
それぐらいは分かるだろ?w 暗黒時代の監督が何を言ってるんだろう?
(´・ω・`) >>6
今まで蓄積されたダメージが吹き出しただけだから時間の問題だったろ
あのプレーだけが原因ではない 赤星が痛めたのはホークスとの日本シリーズでダイブしたときだろ。
あの時に痛めて爆弾を抱えた。 赤星って不思議 とてもプロでやれそうでないのに一時期大活躍、ケガで引退、フワキャラでTVでもポジション得た 阪神タイガースで3年連続最下位という偉業を成し遂げた偉大な監督ノムの功績は大きい。
3年連続最下位を成し遂げた監督はMLBにもいない。 無理してたら高山(プロレス)みたいになっとった可能性もあったしな… >>1
>スカウトの反対を押し切って、ドラフト4位指名したというのだ。
このクズの記事では毎回こういう嘘が書かれるよな
スカウトがリストアップした選手でなければ指名されないっての >>2
これも情ではなくてただの無責任
恥を知れ恥を 首の脊髄の損傷はどうにもならんわ。プロレスの三沢がこれで亡くなったのも影響あったろうし。 大した事言ってないのに過剰に持ち上げるのが気持ち悪い >>18
真弓監督が赤星の身体を気遣って大事に大事に使ってもらってたのに解説者になってボロカスに言ってたのが謎だったわ >>26
仕事だからな
恩義があるから糞采配を糾弾できませんじゃ解説者失格だ 赤星の引退は悲しかったなぁ
若いのに怪我が原因ってのが 赤星は交流戦とかで
必ず楽天ベンチに来てノムに挨拶してたんだってな
ノム「そんな俺のとこ頻繁に来てると今の指導者に嫌われるぞw」って言ったら
赤星「それでも構いません!」って言って
ノムが嬉しかったって 赤星がいた頃の阪神は面白かったなぁ。今は選手の名前と顔が一致しないくらいそんなには興味なくなってしまった 赤星と言えば自分が寄付した車椅子がオークションに出品されててショック受けた話がかわいそう 今の若い世代に赤星の写真を見せて「この人は何の人?」と訊けば
「関西TVで出てる競馬評論家の人」と答える人のが多くなってそうな気がします >>19
普通は辞めさせられるもんな
フロントが野村が悪いわけじゃないって思ってたってことだ >>21
オリンピックの指定選手でキャンプにも参加させてる選手をリストアップしてないわけないじゃん 確かあと一年やれば年金がつくはずだった。
功労者なのに急いで引退させるのは薄情だと思った。 >>40
NPBの年金制度なんて月に換算すれば10万円程度
解説と講演で桁違いに稼げる赤星にしてみれば1年の差など屁でもない >>36
他は日テレの「Going!Sports&News」で上田晋也に絡まれたり、「ミヤネ屋」のコメンテーターとして宮根に絡まれている印象 >>11
せっかくこの記者がどや顔で記事を書いたのに・・
止めて差上げろ 野球続けたら命にかかわる怪我してるのに、年金つくからあと1年やれっていうほうがどうかしてる 競馬ビートで麒麟川島すげぇと言う係の人になってんな
馬主やればいいのにそっちの興味は無いのか金が無いのか 野村さんも野球がやれない年が来るなんて思わなかっただろうな
長生きするもんじゃない、ってぼやいてそう 一番引退したくなかったのは赤星だろうよ
引退と聞いて泣いたわ
赤星大好きだったなあ
でもその後解説で来ては特に面白くないことをえんえん喋ってとにかくうるさくて
気がついたら嫌いになってた・・・ ドラフト10位でプロ入りし
非力で全く打てなかったから俊足をいかす為に三遊間方向に転がす打撃をしていたら
監督の西本幸雄にそんな打撃じゃあ長くは続かないから止めろ強く振りきれ
と言われたのが福本豊
結果高出塁で一番打者としてはそこそこ程度には長打力もあった >>5
放送は入ってるけど球場には入ってないだろ
ただ、記憶以上にガラ悪いな
https://youtu.be/5k8989-tXEM 門田がフルスイングするのも嫌いでミート中心の打撃にしろと言っても門田は聞く耳を持たなかったらしいな(笑)
門田はプロ入りすぐに結果出してて3割で20本以上打ってたから良かったが 今日の昼からNHKで名試合プレイバック「阪神優勝2003」やるけど 赤星は頚椎症をわずらったからね。
経度でも現役は無理だったし、
重度なら神経が暴れて死んでる ちなみに例のスキーバスの死者の
ほとんどが寝込みを襲われた頸椎損傷
だったらしい 阪神も偉いよ
大戦力だったにも関わらず、赤星を押し切ってまで引退させたからな >>1
ちょwwwww赤星の紹介で
チャッカマン動画しれっと混入するなwwwwww ノムさんが慕われてた理由がわかるエピソードだな
一方、同じく現役に拘った大打者であるハリーときたら >>49
その話にはオチがあり力強い打撃見せるようになった福本に
西本監督「福本、その打撃誰に教えてもらったんや?」
福本「え?、監督がそうなれと言うから鍛えたんですよ!!」 >>5,51
当時、ビジターのヒロインは、中継用に行われていて、球場内には流れてなかったんだよ。
そのことを知らない輩に絡まれたっと。 赤星って食事方法とか聞いてると
変態だって分かる
結婚しない理由も 競馬の後藤だって1度目の岩田の馬の斜行による落馬で頸椎骨折
それを現役にこだわり2度めの岩田の馬の斜行による落馬で頸椎骨折
ここで引退しておけば今も楽しく競馬タレントでもしてたか
復帰して落馬して頸椎をねんざしてああなったが >>11
>>44
どこにも"初めて明かす"みたいなこと書いてないけど?
野村が言ってたらマズい内容か? >>21
スカウトがリストアップすることと、実際に指名することは違うだろw リストアップなんてそもそも150人とかしてるんだし、その中でスカウトは優先順位が低いとしてた選手を監督が引き上げるなんてどこでもある話なんだけど、
何を嘘だと思ったんだろう? 赤星はガチで逸材だったからな・・・
レフトとセンター兼任のレンターだったのが引退をはやめた 赤星って大阪駅かどっかでストーカーの女に後ろの髪の毛切られたんだよな ボロボロになるまでヤレつったって首だしな
一歩間違ったら、命が助かっても半身不随とか平気で行くトコやから無理やろ 足速いだけなら山ほどいるけど打てて盗塁上手いのなんて一握りしかいない
赤星は守備も良かったが >>63
西本監督と言う人は怖いけど、こういう笑える面があるな
どこかユーモラスなところがある。 >>58
どのスキーバスだよ
事故多すぎてわからんわ >>62
理より情が強いから、選手交代が遅れるとか 赤星といえば、福岡ドームの野次に切れて、ヒロイン中にオラついたイメージしかないw 引退後芸能人やりたいなら若いうち引退するのもありかもね
赤星、栗山、定岡w >>20
そう思うと引退は正解だよな。ハヤブサみたいな車椅子生活とかな。そんな赤星見たくない >>66
アレのせいでビジターチームもホームチームみたいに場内流れるようになってホーム&アウエー感が弱まってしまったのは残念 新庄の抜けた穴は埋めるって入団会見で言って有言実行したのは凄かったわ >>89
いやいや、ビジターヒロインを場内に流すのはビジターファン呼びたいためのサービスだろ
だから、巨人がビジターヒロイン流し始めたのには驚いた http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1588709213/戦後初の3冠王となり、監督としても3度の日本一に導いた名将・野村克也さん(享年84)が2月11日、天国へ旅立ちました★★★★★
月日は流れますが、偉業は決して色あせることがありません★★★★★ ★スポーツ報知の「最後の野村番」加藤弘士デスクが、現場で体験した知将の「伝説には残らない」人間くさいエピソードの数々を、全5回で描きます★★★★★
第1回はクールなノムさんが声を荒らげた、まな弟子の引退決断時の話です★★★★★ 「おい、お前、赤星の連絡先分かるか★★★★★教えてくれ★★★★★引退なら撤回すればいい★★★★★もったいない★★★★★もったいないよ…」
いつものあの口調とは全然違う、感情の高ぶった声★★★★★今でも耳にこびりついて離れない★★★★★ 楽天監督退任直後の2009年12月9日★★★★★野村さんは沙知代さんと都内ホテルで「ゆうもあ大賞」の表彰式に出席した★★★★★
毎年その年を明るくした人に贈られる賞で、アナウンサーの徳光和夫さん、歌手の秋元順子さんとともに受賞したのだが、報道陣は芸能担当ばかり★★★★★ 野球記者は自分だけだった★★★★★私も芸能取材班から「ノムさんがこんな表彰式に出るよ」と教えてもらい、「担当替えのあいさつができれば」と足を運んだのだった★★★★★
和やかにイベントが終了し、芸能レポーターによる囲み取材も終えた頃、デスクからの電話が鳴った★★★★★ 平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】
明るく、真面目な性格
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