0001砂漠のマスカレード ★
2020/05/02(土) 20:28:31.39ID:QzJWzrpb91980年以降に在籍した支配下選手を対象にファン投票を実施。G党の思い出のバッターをランキングし、担当記者による秘話も紹介します。
大好評コラム「ヒルマニア」でおなじみ蛭間記者の「助っ人列伝」では、戦後初の外国人選手となった与那嶺要ら懐かしい名前も登場。隅々までお楽しみください。
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巨人は1950年の2リーグ制直後から多くの“2世選手”で戦力アップを図った。中でも首位打者3度の与那嶺要外野手(51〜60年)が代表選手だった。
その後、王貞治、長嶋茂雄のON全盛期に9連覇(65〜73年)を達成した時期には“純国産”で外国人選手0人ながら黄金時代を築いた。
その後、73年に米大リーグ・ブレーブスで43本塁打したジョンソンを長嶋政権下となった75年(〜76年)に獲得。これを手始めに、次々と現役メジャーリーガーを獲った。
ともにメジャーで15年以上プレーしたホワイト(80〜82年)、スミス(83、84年)はそれなりに“らしさ”を発揮したが年齢的な問題で短期で帰国。そんな中、30歳で来日したクロマティ(84〜90年)は違った。
中日戦での乱闘事件で名をはせたものの、広島戦での敬遠球をサヨナラ二塁打にするなどシュアな打撃で7年間の通算打率は3割2分1厘。
自身96試合目まで打率4割をキープした89年は首位打者に輝くなど、巨人ファンを虜(とりこ)にした。88年、クロマティの負傷離脱で昇格した台湾出身の呂明賜(88〜91年)も忘れられない。
初打席アーチからデビュー17試合で10発と鮮烈さではG助っ人最高かもしれない。
その後もブラッドリー(91年)、モスビー(92、93年)、バーフィールド(93年)、グラッデン(94年)、マック(95、96年)と相次いで実績ある現役大リーガーが来日したが、期待を裏切って帰国。
松井秀喜のヤンキース入り後は、ペタジーニ(03、04年)、ローズ(04、05年)、李承ヨプ(06〜10年)、ラミレス(08〜11年)と他球団の主軸を獲得。
結果的にこの中でチームを優勝に導いたのは08、09年と2年連続MVPとなったラミレスだけ。
08年の日本シリーズ第2戦でサヨナラ本塁打を放ったが、もしチームが西武に勝っていれば、NPB史上唯一の公式戦、クライマックスシリーズ、日本シリーズと「三大舞台MVP」に輝くところだった。
17年に48二塁打のリーグ新記録をつくったマギー(17、18年)も印象的だった。(蛭間 豊章)
https://news.yahoo.co.jp/articles/33f78a159ab20fba524fb6cb891578f46e8a56e3
5/2(土) 8:00配信
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https://www.youtube.com/watch?v=JOzybH1vtRU
呂明賜同点&サヨナラ弾(1988.6.25 G+)
https://www.youtube.com/watch?v=FQlPLF7yiIU
快速球の桑田真澄 豪打の呂 88年 巨人対ヤクルト
https://www.youtube.com/watch?v=73By1mRL5M4
吉村 原辰コ 呂明賜 連三打席全壘打
http://npb.jp/bis/players/11913866.html
成績