【野球】中日 今中慎二のスローカーブを忘れない。打者がたじろぐ軌道と真っ向勝負。 [砂漠のマスカレード★]
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『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載しています! 今回は栗田シメイ氏に、幼い頃に見た今中慎二のスローカーブを回想してもらいました。
1993年の甲子園球場の阪神対中日戦。初夏にさしかかる7月だったと記憶している。
マウンドでは2人の左腕が投げ合っていた。
湯舟敏郎と今中慎二。筆者は兵庫県民としてご多分に漏れず、阪神ファンの一員として一塁側ベンチで初のプロ野球観戦に興じていた。試合は阪神が勝利したが、どうにも相手チームの細身の左腕に目を奪われた。
大きな弧を描き曲がるカーブの球速は80キロ台。かと思えば、涼しい顔で140キロ台後半のストレートを投げ込む。当時6歳で野球の技術が分かる年齢ではなかった。
プロの強打者達が、なぜあの遅球を打ちあぐねるかを理解する知識は持ち合わせていなかった。
それでも、阪神打撃陣のタイミングをことごとく外し三振の山を築く今中の投球術は芸術的とすらいえた。
この試合、ひいては今中が投じたスローカーブを観て以降、関西在住ながら中日ファンとして肩身が狭い思いで過ごすことになる。
この年、今中は17勝、247奪三振、防御率2.20を記録し、最多勝と最多奪三振のタイトルに加え沢村賞を受賞した。
今中は名門・大阪桐蔭の4期生として、'89年にドラフト1位でドラゴンズに入団している。2年目には10勝、3年目も12勝を挙げ、プロ入り後早い段階から頭角を現した。
以降、'93年から'96年まで4年連続で開幕投手を務める押しも押されもせぬエースに成長する。今中で負けたら仕方ない――。
それが当時の名古屋の街での共通認識だった。
233試合に登板、完投数は74。
球史に残る'94年の「10.8決戦」。満身創痍ながら先発マウンドに上がったのも、この背番号「14」だった。
だが4回5失点とまさかの乱調で、世紀の一戦の負け投手として名前が刻まれている。エースとして、チームから求められれば中4日の強行スケジュールでも完投した。
233試合に登板し、完投数は実に74を記録。入団後と引退前の数年間はリリーフでの登板が多かったことを考慮すれば、驚異的な完投率だろう。25歳までに87勝を挙げ、その内25勝が巨人戦というジャイアンツキラーでもあった。
そんな今中を好投手からエースへと昇華させ、自身の代名詞となったのが、スローカーブの存在だ。
今中がスローカーブを多投するようになったのは、'92年シーズンからだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200430-00843329-number-base
4/30(木) 19:01配信
https://www.youtube.com/watch?v=udMZzX1edis
中日ドラゴンズ 今中慎二 カーブとストレートを見極めろ! 81球見逃しストライク!
https://www.youtube.com/watch?v=x-vg-mT4o8E&t=12s
中日ドラゴンズ 今中慎二 1試合16奪三振
https://www.youtube.com/watch?v=aSsn7uTk428
燃えよドラゴンズ1999優勝記念
https://sp.baseball.findfriends.jp/player_image.php
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/11/01/jpeg/G20091101Z00002960_view.jpg
https://i.ytimg.com/vi/U7YqbJQqpmA/hqdefault.jpg
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200420-00000061-dal-000-4-view.jpg
http://npb.jp/bis/players/71173868.html
成績 捕手・中村も驚かせたスローカーブ。
'92年シーズンの滑り出しは好調だった。4月前半に早々と3勝を挙げ、最高のスタートを切っている。だが、4月19日の巨人戦で打球が左手を直撃するアクシデントに見舞われた。診断結果は、左手豆状骨の骨折。リハビリは2カ月に及んだ。
野球人生初の骨折に、恐怖からストレートを投げることを躊躇し、練習ではカーブを多投したという。
怪我の功名か、カーブの曲がり幅は以前とは大きく異なっていた。8月17日の復帰戦で和田豊に投げたスローカーブについて、今中は自著『悔いは、あります。』の中でこう話している。
「和田さんもびっくりしていたが、中村さん(中村武志)はもっと驚いていた。無理もないだろう。以前までの僕だったら、こんなに落差の大きいカーブを投げることはできなかったのだから」
結果的に故障が今中に授けたスローカーブは、投球スタイルに幅をもたらした。しなやかな肘使いから投げ込まれる速球、フォークの威力も増し、60キロ近い球速差は打者を惑わした。変幻自在、という表現が今中ほど似合う投手を他に知らない。
女房役の中村が、「(変化球とストレートの投球フォームがほとんど変わらず)リリースの直前までサイン間違いか不安になった」と話すように、投球フォームから球種を判別することは不可能に近かった。
完投のためにイニングで球種を使い分けるのも今中の特徴だった。カーブとストレートを活かすために、1試合に数球はフォークを投じた。
生命線でもあったスローカーブだが、今中にとってはあくまでピッチングの組み立ての中の1球種であり、自ら特別視することはなかったのかもしれない。
今中の真っ向勝負に心が奪われた。
それでも打者にとっては、ポーカーフェイスを保ちながら淡々と投げ込まれる、体験したことのない軌道で“消える”カーブは厄介なことこの上なかった。
「ボールが視界から消えたと思えば、手前で急激に現れる」
対戦した打者の中には、そんな表現を使う者もいた。
今中の三振シーンが、打者が腰をのけぞらせての見逃し、全くタイミングが合わない手打ちのようなスイングが多かったのも、スローカーブを織り交ぜた緩急自在の投球術によるものだろう。
左打者が頭越しのボールからストライクゾーンに落ちるボールに避けるように体が起きるのは理解できるが、右打者のインコースへ沈むカーブでも、体を泳がせるほどのキレがあった。
ストレートやフォークを痛打される場面の記憶はあるが、スローカーブをジャストミートされてスタンドまで運ばれた印象はほとんどない。同じ左腕でスローカーブの使い手としては、星野伸之が思い浮かぶ。
ほぼ同時期に活躍し、ストレートにスローカーブにフォークと球種も類似しているが、通算176勝を挙げた星野より今中に惹かれたのは、変化球でかわす投球ではなく、打者に真っ向勝負を挑む投球スタイルによるところが大きい。
三振を奪ってもクールな振る舞いでベンチに戻る一方では、相手チームの主力打者に対しては意図的にストレートでねじ伏せるという強い意思もあった。 松井との対戦、三振かホームランか。
今中は好打者として落合博満、前田智徳の名前を挙げており、常に全力投球したと回顧している。
特に巨人に移籍した後の落合には、意地のストレート勝負を挑んだ。その結果、痛打される場面もあったが多くの名勝負を生み出した。
そして、松井秀喜との対戦は手に汗握った。通算対戦打率は2割9分7厘、ホームラン6本と打ち込まれている反面、20もの奪三振も奪っている。
三振かホームランか――。若かりし日の怪物と球界を代表する左腕の対戦は、プロとしての矜持がぶつかり合い、今中のギアが入れ替わる瞬間でもあった。
あの松井が、今中のスローカーブには腰が引けて見逃す姿に、球場に集ったドラゴンズファンは歓喜した。
タイトルとは縁がなかった「14番」。
中日には確たるウイニングショットを武器に活躍した左腕の系譜がある。
山本昌のスクリューボール、岩瀬仁紀の高速スライダー、野口茂樹のスライダー、チェン・ウェインのストレート。
もちろん今中のスローカーブもその系譜に当てはまる。
ただ、彼らが決め球を駆使しチームの優勝に貢献した一方で、今中が勝ち星を重ねた7シーズンの間はチームタイトルとは縁がなかった。
優勝争い時はチーム事情のため中4日でフル稼働したが、結果的にこの時の酷使が肩の故障に影響した可能性も取り沙汰された。エースとして優勝を味わうことがなかったのは、引退会見時の「後悔はありません。
ただ、悔いはあります」という発言に繋がったのかもしれない。
96年に左肩を痛めて以降は不振に苦しんだ。翌'97年から2001年の引退までの5年間で、白星はわずかに4つ。
一度だけ、ファームで調整する引退前の今中の投球を観に行ったことがある。球速は120キロ台で、シュートやフォークを組み立てながら苦心する今中の姿があった。
カーブは相変わらずよく曲がったが、コントロールが定まらないストレートは二軍打者にも容易に見切られていた。
最後に投じた4球は全てストレート。
'02年3月の引退セレモニーが行われたオリックスとのオープン戦。今中は対峙した谷佳知に対して、4球を投じた。球種は全てストレートで、球速は最速で110キロだった。
引退後、記者からカーブを投げなかった理由を問われた今中は、その答えを自著の中でこう記している。
「カーブを投げるつもりはまったくなかった。これは真剣勝負ではない。わざわざ用意してもらった引退セレモニーの舞台で変化球を投げるのは、失礼だと思ったのだ」
時代が移り、プロ野球界ではスライダーや高速ムービングボールの変化球が主流となりスローカーブを操る投手は激減した。
メジャーではカーショーやクルーバーらの活躍もあり近年カーブが再び脚光を浴びているが、ドロップのように割れて落ちる類のもので、今中が投じていたカーブとは異なるものだ。
ダルビッシュ有や三浦大輔のスローカーブも、今中のカーブのような大きく曲がる軌道を描く球種ではない。
強烈なスピンがかかり空中に浮かび上がったと思えば、打者の手前でボールが意思を持ったかのような放物線でうねり沈んでいく――。
あの美しい軌道のスローカーブが野球界から消えて、今年で20年が経とうとしている。
https://www.kinokuniya.co.jp/images/goods/ar2/web/imgdata2/large/48839/4883970787.jpg
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/418C8igV69L._SX298_BO1,204,203,200_.jpg
https://img.aucfree.com/d403674042.1.jpg 地味だが良い投手だったんだよ
この投手はもっと記憶に残るべき。隠れたエース扱いは不当
まぁ活躍期間が短いのが印象不足なんかね( ω-、) >>7
だよな、隠れてないよな
山本昌と二大エースだっただろ
パワプロの知識しかないけど オリックスの星野の強化版だからなw
ただ投手生命は短かかったけど 一時は最強投手だったな
これとマサを擁しながら優勝出来ないってのも 今中、野口といった一時期中日のスーパーエースだった両左腕も100勝に届かず30歳の時点で戦力にならなくなってたのは悲しいね TVで見てても、外角高めの糞ボールに見えた球がギリギリインローをかすめて入ってくるのは衝撃だった 10,8は配球読まれてたっぽいもんな。どうやってやったんだろうか 今中とヤクルト加藤博人のカーブ、どちらが凄かった? >>9
今中野口川上吉見
エースはこいつら
山本は超一流のローテーション2番手投手 じつは普通にスライダー投げてたほうが大投手になったかもってない? 今では高校野球界の頂点にいる大阪桐蔭の名を初めて知ったのが、
今中のドラフト1位指名の時だった >>22
囲い込んでた大豊差し置いてその1位誰やねん状態だった >>4
>ほぼ同時期に活躍し、ストレートにスローカーブにフォークと球種も
>類似しているが、通算176勝を挙げた星野より今中に惹かれたのは、
>変化球でかわす投球ではなく、打者に真っ向勝負を挑む投球スタイル
>によるところが大きい。
星野伸之は強打者が「ストレートの速かった投手」に上げるくらい
緩急を駆使して直球で押した投手なんだが >>7
中日ファンの中じゃ全然地味じゃないし記憶に残ってるよ。
当時は山本昌さんの方が完全に地味だったw >>1
>栗田 シメイ(くりた しめい) Shimei Kurita. ライター. 1987年生まれ。
ああやっぱり
失礼なわけだ >>26
槇原も郭泰源も変化球投手だからな
なんなら松坂もそうだな いまだにオンリーワンなスローカーブとストレートの組み合わせ
手首とか肘とか痛めそうだから他の人はやらないのかね >>29
津田恒美とか山口高志くらいしか速球派おらんようになるw >>30
スローカーブがなかなか難しい
肘の使い方とか >>1
砂漠のマスカレードは、まじめなネット工作員
違う名前や名無しで、嬉しそうに日本人を騙しています
日本人を騙すためなら、自分を悪く言うことなんて平気です NANDAで今中自身がスローカーブの投げ方を解説していたがあれは誰も真似できないよ 最後まで利き腕で投げることを拒否した、右利きの左腕 松井はあえてスローカーブを待って狙ってたの面白かったな
落合も松井のその姿勢を評価してた
ただ、総評すると今中より星野のが上なんだろうな 今中より加藤博人のカーブどうやって投げてたのか知りたいわ 今中は何で怪我してダメになったんだろ?
一説に星野が酷使した1人にあげられるが、投球回数は高木時代のほうが多い
やはりカーブの負荷があったんだろうか
変化球の中では1番故障少ないと言われてるが >>25
入学時は大阪産業大学高等学校だったんじゃね 今の高校生って似たような左ピッチャー多いよね
球はそんな速くないけどカーブが特徴的みたいな 星野伸之の強化版みたいな感じだったのに、結局星野ほどは活躍出来なかった
野球って面白いな >>23
+大東校舎(≒分校)な
本家は桑田清原のPLとやって、大阪大会準優勝経験 140半ばのストレートで押してても、ストレートと同じファームで突然90前後のスローカーブがくると、テレビで見てても時が止まった感覚にさせられる しなやかって表現が一番ピッタリくるフォームだったな
今なら左右の違い、球種の豊富さは違うけど、楽天の岸もカーブが代名詞で似たタイプに思える スローカーブは知らないけど、普通のカーブでは肘痛めないよね 今中のストレートはフォーシームのイメージしかなかったけど、実際はツーシームも投げてたみたいだね 10.8って順番なら昌か他の人なのにチームメイトから投げてくれって頼まれたから投げたんだろ
ってレギュラーの誰かが言ってた まあ本塁打秀喜の前ではただのピンポン玉でしかないゴミ変化球だった訳だが 今中は才能だけで野球やってた感じ
反復練習とか筋トレとか長距離走とかは直接投球に関係ないってことでアレなんでしょ?
そういう雰囲気だったから選手生命も短かったよね
(´・ω・`) オリックスの星野もストレートとスローカーブの組み合わせなんだよね
速度差の駆け引きでストレートが活きるという
昔はストレートとカーブで押し通す投手を本格派なんて言ったけども 大野が仰け反った球がストライクだった記憶
今中山本ダブル17勝で最多勝は忘れられない
なおド 松井秀喜の初期の天敵だったけど結局攻略されちゃった感じ >>39
自分でカーブの投げ方ボールの握り方解説してる動画あるけど
肩に負荷かかるよなあと素人ながら思ったな 10.7の時なんで先発マサ中継ぎ今中でなかったんだろ
素人目には遅い方から速い方への継投の方が打つ方は目が馴れないような気もするんだが >>63
星野の本当の決め球はフォークだけどな
スローカーブは飾り 星野と共に、それまでイメージでしかなかった「キレ」を画面越しで可視化してくれたピッチャーだったな
スピードガンで表示された球速には見えなかったもんな 星野伸はあれだけカーブ投げ続けて引退まで肩、肘の故障知らずで3年目から阪神1年目まで15年間ローテ守り続けてたのが凄いわ。 この頃の大阪桐蔭は今みたいなポジションじゃなかったな 現役時代晩年二軍戦で見掛けた時は直球のMAX135km/hまで
落ちてしまっていて悲しかった 星野に潰された悲劇の今中
星野じゃなかったら200勝投手になれてた ナゴドが開場してからは1軍でほとんど投げなかったからナゴヤ球場と一緒に引退したって感じだな
まだ20代中盤だったのに >>70
山本昌は完投から中1日
今中は中5日、ナゴヤで対巨人11連勝中
先発今中は妥当 星野よりも守道さんに酷使された印象だわ
とにかく巨人戦に合わせるために中4日で投げさせられてた 10.8は絶対的エース今中と心中
絶対的クローザー岩瀬と心中と見せかけて勝ち取った日本一
この差よ 93年の今中も凄かったが2001年の野口も凄かった
打線が弱すぎて12勝しかできなかったがあの年はとんでもない球投げてた 無名校でドラフトの目玉、プロで大選手。
その後学校も強豪で有名になったのは今中と桐蔭のケースだけ。
石井一久も城島健司も突然変異 今の変な指導者が上から投げ下ろすなと教え込んでるけどカーブピッチャーは角度がないと出所で球種丸見えだからな
セットポジションから投げても結局変な指導者にあたると手投げ投球で使えない投手の出来上がりと。かえってメジャーの投手のが投げ下ろしてくるからな今 >>28
1987年生まれって今中全盛期の頃の記憶ほとんど無いやろw 中日の左の好投手の系譜
昌 今中 野口 チェン 大野
野口とチェンの間がいないか 名古屋のプールでトレーニングしてるの見たことあるけど
線は細く見えるけど、筋肉すごかったぜ >>87
技術のことはわからなかったけど打者を手玉に取る緩急にびっくりて虜になったと書いとるやん
>>88
前田、山北、久本、川井、小笠原
お好きなのどうぞ >>75
野村克也のパワハラで心を壊してそれで潰れたんだもんなあ
馬鹿なことをしたもんだ 偉大本塁打喜の前では単なるバッピだった弱虫だろ
後世に名を残せなかった惨めなクズ
中日の左投手その1でしかない
山本昌にすら劣る >>7
中日のエースは今中
スローカーブを最後まで見て見逃し三振
ストレートに反応できずに空振り三振
太く短い、最高投手 >>1
全盛期は星野伸之の上位互換みたいなチートだったよな
安定した成績で長くやれた星野伸之の方が評価は高いと思うが(´・ω・`) ボールがミットに収まるのを目で追わずにマウンドから立ち去った場面がハイライト
カッコよかった >>9
隠れたエースレベルならNHKメジャー中継の解説なんてやらせてもらえない 中日の今中とヤクルトの伊藤智は何年経っても別格の存在 今カーブ投げる投手が少ないのは単純に習得が難しいから
桑田も子供たちに変化球教える時はまずチェンジアップを教えると言っている
チェンジアップはストレートと全く同じ腕の振りで握りだけ変えれば投げられるから
カーブはストレートと腕の使い方が違うから子供が身につけるのは難しいし負担もかかるらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています