2020年04月29日 12時20分
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3月29日に70歳で亡くなった志村けんさんは、コントを通してストイックに笑いを極めた男として知られる。
そんな彼が、90年代には「笑い」ばかりではなく、「泣き」も追求していたのは、あまり知られていない。
その集大成とも言えるのが、『志村けんのだいじょうぶだぁ』内で放送された「シリアス無言劇」と呼ばれる
一連のシリーズである。
タイトルの通り、セリフはなく、オカリナ奏者の宗次郎による『悲しみの果て』のBGMに乗せて、志村さんと、
当時の相棒として活躍していた石野陽子(現・いしのようこ)がサイレントドラマを繰り広げる。
その内容は、老人役の志村さんが過去を回想しながら死を迎えるといった、切ない余韻を残すものから、妻で
あった石野が自分の元を去ったため、志村さんが男手一つで子供を育てるも、アルコール中毒と過労の果てに
血を吐いて死ぬといった、救いのない展開まで多くの内容が見られた。
子供ながらに「トラウマ」となった視聴者も多いようだ。
伊集院光は志村さんの死を受けて、ラジオ番組『伊集院光とらじおと』で、この企画について語っていた。
かつて、伊集院が志村さんから聞いたところによれば、「悲劇は喜劇より上」「笑わせるのは簡単だが泣かせる
 のは難しい」と批判する人がおり、悔しさを感じた志村さんは泣ける悲劇コントを思い立ったのだという。
さらに笑いの中に突然、悲しいドラマが始まり、再び笑いが始まる流れも意識していた。
志村さんは笑いの作り方において、「メリハリ」を好んだ。
ナインティナインの岡村隆史にも酒の席で、「本命のネタを生かすために、捨てるネタがあっても良い」といった
バランスの取り方を説いていた。
「シリアス無言劇」はまさにそうした作品と言える。
「シリアス無言劇」は長いものだと、30分近い作品もあった。
実に番組の半分を占める分量だが、視聴率が落ちることはなかったという。
それだけ志村さんの作り上げるコントのクオリティの高さが、際立っていたと言えるだろう。

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志村けんさん