【サッカー】降格危機ヴェルディを5戦で救った。野獣エジムンド逸話と技術の凄味。
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『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載しています! 今回は東京ヴェルディを長年取材している、海江田哲朗氏による“野獣”エジムンドの回想録です。
左腕で相手を押し込みながらボールを前に運び、ゴールに接近していく。特段、スピードがあるわけでもなく、サイズは173センチ、72キロと小柄な部類に入る。ただ、相手にボールを触らせないだけ。ぬるぬると抜いていくドリブルは誰とも似ていなかった。
2001年、J2降格の危機に瀕していた東京ヴェルディ1969(現東京ヴェルディ)の救世主となったエジムンドだ。
1998年のFIFAワールドカップ フランス大会で準優勝したブラジル代表のメンバーで、当代随一のテクニックの持ち主。その一方で素行の悪さからアニマウ(野獣)と呼ばれ、トラブルメーカーとしても名高い選手だった。
東京Vは'01年10月18日にエジムンドの獲得を発表し、同23日からトレーニングに合流。ひと月前の9月11日、アメリカで同時多発テロが起こり、世界的な騒乱の気配が色濃く漂うなか、来日に備えたのを私は記憶している。
残り5試合で2戦連発など大活躍。
残り5試合で加入したエジムンドは、攻撃の中心として大暴れした。
JリーグデビューとなったJ1セカンドステージ第11節のセレッソ大阪戦、第12節のヴィッセル神戸戦と2試合連続ゴール。最終節のFC東京戦は、エジムンドがドリブル突破を仕掛け、こぼれ球を永井秀樹(現東京V監督)が蹴り込んだのが決勝点となった。シーズン終盤は3勝1敗1分けの成績でアビスパ福岡を競り落とし、東京VはJ1に生き残るのである。
この短期間の契約でエジムンドの報酬は3000万円(来季の契約オプション付き)と言われたが、安いものだっただろう。東京Vはのるかそるかの大博打に勝った。
4/26(日) 8:01
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200426-00843288-number-socc
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https://youtu.be/n0AryAhLWIE 当時の小見監督が振り返る凄味。
当時、監督を務めた小見幸隆は言う。
「最初に情報をくれたのは、ブラジル人フィジカルコーチのイナハでした。エジムンドがクルゼイロをクビになった。フリーの今なら安く獲れるぞ、とね」
エジムンドのプレーの凄味はどこにあったのか。
「南米の特別なタレントに総じて言えますが、彼らはどんなプレーも可能にする技術を持っているんです。ただし、それをゲームで見せびらかさない。ドリブルで3人連続で股抜きしてみろと言えば、やれますよ。メッシやマラドーナだって、もっと派手なプレーをやろうと思えばできる。でも、試合では余計なことはせず、必要に応じて最適なプレーを選び取ります。シンプルなプレーの重要性を本能的に知っているのが最大の凄味。同時に、高度な技術の引き出しをちゃんと持っているから、なんだこの程度かと向かっていった相手は簡単にかわされてしまう」
相手がイラつくボールの持ち方。
巧妙にボールを守り、相手をいなしながら前進するドリブル。小見の見方はこうだ。
「守る側からすると、非常にイラつくボールの持ち方をしますね。どんな体勢でもボールとの間に脚が1本入り、むきになって奪いにいけばひょいとスルーパスを出される。大抵、巧い選手はマークする選手とカバーに入る選手のふたりを同時に見られるものですが、エジムンドは3人目の動きも見えていた。しかも、顔が下がっていても関係ない。ゴール前で決定的なシュートを打てる、ラストパスを出せるといった決め手の部分では、日本人とは次元の異なる超一流のプレーヤーでした」
ファン、サポーターに対して、メディア対応でもエジムンドは至って紳士だった。我がままぶりは影を潜めたかに見えたが、問題行動がなかったわけではない。
東京Vでの2年目、エジムンドはプレシーズンのキャンプに参加せず、開幕3試合を欠場する。クラブは故障が理由としていたが、真相は違ったようだ。
「足首のここが痛いんだと自分に見せてはいたんですが、リオのカーニバルのVIP席ではしゃいでいるのがわかってね。こいつめ、と思ったものです」(小見) 「他会場の経過、おれにだけは」
2002年、エジムンドは相変わらず違いを見せ16ゴールをマークするが、チームメイトとの不和をはじめ、それまで抑え込んでいたネガティブな面を隠しきれなくなっていた。
周囲に要求する水準が高く、少しでもパスがずれたら足を伸ばそうともしない。守備をあからさまに放棄する。一緒にプレーした選手たちは苦労も多かっただろう。
2003年に移籍した浦和レッズではハンス・オフト監督の方針と折り合えず、カップ戦2試合に出場したのみ。3月末には日本を去っている。
私の印象に残るのは、やや青みがかったきれいな瞳と、信じられないほどの身体の厚み。プロフェッショナルとは何かを強烈に示してくれた人だった。
J1残留が懸かった2001年の東京ダービー。「他会場の経過は伝えないと聞いたが、おれにだけは教えてくれ。それによって自分はやるべきことを決める」とエジムンドは小見に言い、見事結果を出した。
チームの勝利に役立ってこその技術の価値。それをあれほど鮮やかに体現した選手は、ほかにいない。 でもその後、ワシントンが無双してたのに降格しました ■ 創価学会の敵対者対策マニュアル
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a)創価学会への反対者に対しては、将来的に考えても その子息子女を落とす必要がある。
子息子女の不幸により折れる可能性も高い。
子息子女へは、創価学会へ反発しないよう躾ける。
反対者の子息子女の結婚は潰す必要がある。
会員の子息子女の敵であってはならない。
b)会員の商売敵を排除する事は資金確保の上で重要である。
商売敵の子息子女も、将来を見据え落とす必要がある。
会員の子息子女の商売敵にならぬよう落とし躾ける。
c)反対者が地域で高評を受けぬよう計らう。
d)各会員が確認し連帯し、自然と不幸になったように落とす必要がある。
くれぐれも会員が疑われてはいけない。
e)反対者の言に信頼が集まらないよう計らう。
f)反対者の安定に繋がる者らも落とす必要がある。
g)常に経済的/心理的に圧迫させる必要がある。
h)会員はお互いを目の合図で確認の上で仲間を集め,戦う時には常に3人以上一組で攻撃し精神疾患に追い込む。
i) 反対者を会のネットにブラックリスト登録し全国何処へ行っても追及の手を緩めない。
j) このマニュアルは会員の周囲には絶対知られては成らない。 この人弟の誕生日に猿に酒飲ませて大問題になってたな 居酒屋が出していたテイクアウトのお弁当で『うに丼1枚まるまる弁当』が1000円で売られていたので気になって注文してみ..
http://vbhten.frentz.net/ob?333xyl/5vkyzwm1v7y.html
「分かる人にはわかるヤバいやつ」NHKでパチンコ店の様子が報道されるも“写っちゃいけない写真“が放送されていた
http://vbhten.frentz.net/rc?2vyp2q6/5b346tsprxo.html Jに来た外国人で、頭抜けてうまかった。生で試合見れば分かるけどオーラがあった。次点でフッキとかエムボマとかエメルソンとか。
イニエスタは生で見たこと無いけど、こんな感じなんだろうな。 ベルディって韓国資本の中国人監督だっけ?
中国資本の韓国人だっけ? エジムンドのやれると聞いて感動してたのが当時若手のマルキーニョス 本当こいつさえブラジルに帰らなければフィオスクデット取れたと今でも思ってる セリエAダイジェストで見た、フィオレンティナ時代のゴール前の特攻ドリブルは凄かった。
でも、シュートはことごとく入らなかった。 エジムンドにワシントン
緑は凄い選手連れてくるから面白い こいつのおかげで長谷部が一気に伸びた
オフトはスゴイ >>17
レアな浦和ユニ姿
浦和のシーチケもってるうちの親でも埼スタで一度しか見ていない マルキーニョスは清水が最初に輸入したんだっけ?緑? エジムントよりも醜態晒して帰ってったベベトの方が印象に残ってる 前園
小倉
武田
北澤
松木監督となかなかのタレント集団だったなあ エメルソン 田中達也 エジムンド
で優勝間違いなしと思ってた時期もありました。 >>25
バティストゥータとエジムンドをルイコスタが操るって相手からしたら悪夢でしかないわな >>33
最初は知らんがニート状態だったところを日本に連れ戻したのが清水 >>45
近年エジムンドがネイマールに「俺みたいにカーニバルで遊んでたら後悔するぞ」って言ったのが面白かった エジムンドクラスの選手がジャップに混ざってサッカーしてもつまらんからな。 俺はフィオ時代にアルテミオフランキで生エジムンドを観戦したよ
バティ エジムンド ルイコスタの攻撃陣は凄かった
ハインリッヒとかいたな
キーパーはトルドだった この年のヴェルディって実際にはギリギリで残留した有様だったのに
サカつくだと結構強かった(しかもエジムンドやマルキーニョス抜きで) エジムンドがネイマールに
「カーニバルは引退してからいくらでも行ける。今はサッカー優先しろ」
と言ってて吹いたw メジャーでも阪神でも三振しまくってたディアーが
コーチになってから俺みたいなスイングはするなって言ってた話思い出した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています