【全員集合】<志村けん> いかりや長介さんと“共演NG”にさせた「俺のほうがウケる」の禁句★2
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「一時期……『全員集合』が終わってすぐだったかなぁ。志村さんといかりやさん、“共演NG”だった時期があったんです。同じ番組を一緒にやっていたけれど5、6年の間、いっさい顔も合わせようとしなかったからね」(当時を知る芸能プロ関係者)
◆ ◆ ◆
志村けんさんがザ・ドリフターズのリーダーである故・いかりや長介さんに初めて会ったのは高校2年、17歳のときだった。“弟子入り”志願のため、いかりやさんの自宅を訪ねたのは師走の雪の日。
新宿駅から1時間かけて歩いて、ようやくいかりやさんの自宅を探し当てたという。
「志村さんは、いかりやさんの帰りを12時間も待ち続けて、弟子入りを頼み込んだ。いかりやさん、最初は断ったんですが、“迷惑だから帰れ!”と怒っても帰らず“なんでもしますから弟子にしてください
!”と食い下がった志村さんの根性を買って、ドリフの付き人にしたんです」(前出・芸能プロ関係者)
7年間のつらい下積み生活を終えてドリフの正式メンバーに昇格したのは、'74年、志村さんが24歳のとき。だが、当時の志村さんは"ドリフのメンバーになりたい≠ニは思っていなかったという。
「誘いを断ろうか、迷ったそうなんです。むしろ、“独立したい”と考えていたそうで。"ドリフを超える笑いを作れる≠ニ思っていたそうですから」(当時を知る構成作家)
晴れてドリフメンバーとして『8時だョ!全員集合』(TBS系)に出演するようになった志村さんは、『東村山音頭』で大ブレイク。“カラスの勝手でしょ”“ひげダンス”と矢継ぎ早に爆笑を生み出した。
だが、その裏側では、理想の笑いを追い求め続けるために、人生のすべてを捧げる志村さんの姿が。
リハーサル中に響く志村の怒鳴り声
「志村さんは『全員集合』のころから、メンバーでいちばん厳しかった。テレビで見せる顔がウソなんじゃないかっていうくらい(苦笑)。ドリフのコントは、アドリブに見えるセリフや動きはすべてが1秒単位で計算され尽くした笑いなんです。
だから、打ち合わせやリハーサルは早朝から深夜まで毎週、何時間もやるという過酷さでしたね」(当時を知る舞台関係者)
スタッフにも高いレベルを求め続けた。
「“違うよ!”“こんなんじゃダメ!”と、リハーサルで舞台監督や大道具に志村さんの怒鳴り声が飛ぶのは日常茶飯事。カメラマンの撮り方が気に入らなくて、わざわざ自宅にまで呼んでカメラワークを教え込んだくらい、妥協をいっさい許さなかったですよ。
僕ら構成作家が考えたコントのネタもダメ出しの嵐で、自信作を10本作っていっても採用されるのは1本あるかないか。当時から志村さんは“作家殺し”なんて言われていて(苦笑)」(前出・構成作家)
4/23(木) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200423-00017741-jprime-ent
写真
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20200423-00017741-jprime-000-view.jpg
1 Egg ★ 2020/04/23(木) 19:28:47.57
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1587637727/ 志村さんの笑いに対する厳しさはドリフのメンバーや、ボスであるいかりやさんに対しても変わらなかった。
「『全員集合』のコントの大部分は、いかりやさんが作っていたんですが、いかりやさんに“俺のほうがもっとウケますよ”と志村さんが意見することが増えていったんです。もともと独立して自分の笑いをやろうと考えていたくらいですから、舞台に立ってしまうと、先輩だろうが師匠だろうが遠慮も容赦もなかったですよ」(前出・構成作家)
結局、いかりやさんが志村さんに譲る形で、
「“それほど言うなら志村、お前がやってみろ”と『全員集合』が終わるまでの数か月は、志村さんがすべてのコントを作ることになったんです。でもそれからです、2人がギクシャクし始めたのはね……」(前出・構成作家)
いかりやさんの求める笑いと、志村さんが目指す笑い─どちらも正解だっただろう。だが、それが皮肉にも2人の間に亀裂を生んだ。『全員集合』が'85年に16年間の放送に終止符を打つと、溝はさらに深まることに。ドリフのもうひとつの代表番組として'98年までレギュラー放送されていた『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)では、決定的な出来事が起きてしまう。
「『大爆笑』でも『全員集合』時代のテイストを残そうとしたいかりやさんに対して、志村さんが"もっと動きのある新しいネタがやりたい≠ニ。いかりやさんの作るコントに、だんだん志村さんが出たがらなくなったんです」(前出・芸能プロ関係者)
いかりやさんとは一緒にやれない
'88年ごろになると、2人の対立は、オンエアに影響するようになってしまう。
「“いかりやさんとは一緒にやれない”“番組を降りる”とまで言い出して収録をボイコットすることもあった。慌てたスタッフが折衷案を出して、いかりやさん、仲本さん、高木さんの3人と、志村さんと加藤さんの2人でコントをするという具合に、メンバーを完全に分けて撮るように」(前出・舞台関係者)
同じ番組に出演していながら、志村さんといかりやさんに関しては、リハーサル日も収録日も別々になった。
「番組内で5人がそろうシーンがなくなったのはそのせい。メンバーも大変だったけれど番組の制作スタッフも“いかりや派”と“志村派”に分かれちゃって大変で……。志村さんは若くて脂が乗りきっていて自分の笑いに自信があったし、いかりやさんはドリフを作り上げて引っ張ってきた意地があった。当時、いかりやさんが作った仲本さんとの“バカ兄弟コント”や“雷様コント”も人気あったし」(前出・芸能プロ関係者” 当時、月刊誌のインタビューで、志村さん自身もいかりやさんとの確執を認めていた。
いかりやさんは面白くない
《こんなこと言っちゃうと失礼だけど、僕は今のいかりやさんが面白いと思わない。だけどそれが面白いっていう人が何人かいるんですからね、分からないですけど。コントは今一緒に出来ない》
結果、志村さんは、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)とドリフを離れて、“コメディアン・志村けん”として精力的に活動するようになる。一方、いかりやさんも俳優としての活動に軸足を移すように。ドリフとして5人がそろう仕事がほとんどなくなり、「自然消滅するのでは?」と、まことしやかにささやかれた。そして、2人のわだかまりは完全には解かれぬまま、空白期間は実に10年以上にも及んだという。
◆ ◆ ◆
志村さんといかりやさんに“雪解け”が訪れたのは意外な場所だった。'01年、ドリフとして最初で最後の出場となったNHK紅白歌合戦。
「『全員集合』の衣装を着て、メドレー曲を5人で歌ったんですが、その合間に往年の“少年少女合唱団コント”をやることになって。本番の前に、みんなで集まってネタを合わせたら“不思議なんだけど楽しかったんだよね”って。“これだったよなって、ふっと思ったんだよね”と、志村さんうれしそうだったね」(前出・芸能プロ関係者)
空白が、鮮やかに彩られた瞬間だった。 ドリフターズは紆余曲折を経ていかりやリーダーの5人体制になったことは知られているけど、
それ以前、特に結成の経緯については今もなお不透明な部分が多い
この曖昧さに乗じて、ドリフはGHQが仕掛けた3S政策の一環だという陰謀論が存在する
彼らはドリフを「テレビを通じて戦後の日本人を愚民化させる狙いに最も貢献した集団」と評し、
「いい湯だな」は「良いユダヤ」をすり込むためのワードだと断じている シムラのよりバカ兄弟をずっと楽しみにしてた。今思うと長さんの笑いが好きだったんだな。カミナリさまとかダウンタウンぽいよな。シムラはキャラのみでつまらん 志村のコントの方が圧倒的におもろかった
加トちゃんケンちゃんごきげんテレビや だいじょうぶだぁの方が
カミナリ様やバカ兄弟より面白いだろ 志村の「ご、ご、ご、5時〜!?」ってやつ好きだった 8時だよ全員集合の時代は生放送で、今のように撮り直しや編集が不可能だから事前の準備が必要だったということなんだろうね。 バカ兄弟って兄ちゃんがどんなに変なこと言っても突っ込まないで全て肯定するっていう今で言うぺこぱにも通じる様なことをしてるよね
ぺこぱは否定に見せかけて肯定するだけど >>3
雪解けが紅白出場ってのはおかしいだろ。
ドリフ大爆笑で全員コントを再開した頃から、だんだん雪解けしてったんだよ。
志村の冠番組の視聴率が低迷したことで、ドリフに妥協する気になったんやろな。 笑いの才能は志村が上だろうけど
5人でわいわいやってるのが好きだったから
志村主体のコントは余り好きじゃなかった >>1
てめえ、うそばっかり書きやがってwクソマスコミがw 全員集合末期の頃って志村が一人でワーワーやって合間に他のメンバーがどうした?って出てくるだけのパターンだったよな
他が年齢的にキツくなってきたからそのパターンにしたのか本当にギクシャクしてたかどうかは分からないけど
やっぱり4人がいかりやを攻める方がドリフらしくて好きだった いかりやの怒りに触れて天に召されたのだな、志村けん >>19
全員集合末期のコントはもう記憶に残ってないけど、もしそうだったなら、
大爆笑で復活した全員集合コントは、やっぱりいかりや対四人の構図だったから、
年齢的な問題ということではないと思う。 いかりやはオープニングで頭下げないタレントの頭抑えつけて頭下げさせたり客に対して礼儀が凄かった
今の一般人やら素人さんやら馬鹿にする風潮とは逆だな 「“それほど言うなら志村、お前がやってみろ”と『全員集合』が終わるまでの数か月は、
志村さんがすべてのコントを作ることになったんです。
でもそれからです、2人がギクシャクし始めたのはね……」
だから全員集合の最末期はつまらなかったのか
前半コントはいかりやのシナリオやネタの方が間違いなく面白い いやりやは自分の息子に志村の話ばかりしてるし、確執があったとしても仲良くしたかったんだろう
志村側は素直にごめんなさいが言えないままいやりやが逝った印象 全員集合でも最小は全然面白くなかっただろうが
出てすぐ売れたような書き方はいかん >>22
毎週生で1時間続けるのと月1で大爆笑で収録やるのじゃ心労は天地の差だろうからなあ・・・
大爆笑みたいにたまになら全員集合コントやれるだろうけど毎週となるとって感じ そりゃ確執なんてあるよ仲良しでずっといられるとか難しいし
この記事なんかはソフトに言ってるだけだろ金の話とかでもっとドロドロするわ >>27
出てすぐに売れたとは、この記事にはどこにも書いてないぞ。
そういう言い方してる記事や番組が時々あることはあるけど。 >>19
志村主体になったのがひょうきん族に負けた原因かもな
まあ、TV業界が視聴者を馬鹿にしだしたのもひょうきん族が馬鹿売れしたのが原因だけど 俺は世代的にカトケンとだいじょうぶだぁだから全員集合のコントはリアルタイムで見てないから何とも言えんな
カトケンはテレビにかじりついて欠かさず見てた覚えはある 所詮子供相手の猿芝居なのに視聴率って恐ろしいな。子供だった俺たちが勘違いさせちゃったのかな。
けどやけしや松本みたいに政治に口を出さず文化人を気取らず芸人に徹した事は評価出来る。 >>32 加トケンになってひょうきん族を抜き返したのだから、そういうことではない。 いかりやに水をかけたりするときの志村の活き活きとした顔が全てを物語る ガキの頃、雷様の面白さだけは理解できなかったな
今見てもたいして面白いとは思わないけどw もう家族みたいなもんだろうから仲がいいとか悪いとかってことじゃないんだろうな
それにしてもいかりやさんとカトちゃんと志村が同じグループってやっぱすごいよな
脇役的ポジションにブーさんと仲本さんってほんとドリフはすごい >>19
末期を覚えてる人いたんだ
ひょうきん族を見てたから全く知らん >>38
雷様は多分大人になった今観た方が面白いと思う >>39
仲本のロングインタビュー読むと
繋ぎ役である仲本ですら
すごくレベルの高いお笑い視点を持ってるのが良く分かるよ
そんじょそこらの芸人とは経験値がそもそも桁違いなんだし 全員集合が一番おもしろかった
おれはいかりやのコントのほうが好きなのかもしれない >>38
雷様とバカ兄弟は語彙や知識が増えた大人になってから見たら面白くなった 志村が付き人やってた頃に
残したラーメンのスープを志村が食べないようタバコを捨てたんだろ
そんなもん嫌われて当たり前だよ >>44 そういうのがつくれなかった時期があったということ。 志村と白塗り加藤茶のおでんCMがベストかな
というかYouTubeで昔のを見れば見るほど加藤茶の能力値の高さがわかる >>32
末期の合唱隊のコーナーで犬の鳴き声をサンプリングしたワンダードッグというのを
加トケンでやってたけど、あんまり面白いとは思えなくこりゃひょうきん族に負けるのも納得だと思ってた ドリフ終了したらあっさり大河ドラマや映画に出たのが志村からしたらかなりの不信感になった。志村が出た映画は高倉健にお願いされ断れなくて出た鉄道員だけ。 荒井注と志村の関係ってどんな感じだったんだろうな
当然直接絡むことは少なかっただろうが 志村は下ネタセクハラや酔っ払いのゲロとかそんなネタばっかりだったから
子供の頃から苦手だった。自分が女だからかもしれないが。それしか無いのかよと思って。
最近ちらっと見たら、孫みたいな年の大原優乃と恋人同士みたいなネタしてて公私混同が酷いというか。
いかりやはあまり下ネタ言わなかったよね >>49
階段落ちのコントは今見ても笑うもんなあw >>49
白塗り加藤との階段落ちコントが集大成だと思うわ アレは最高に面白い
志村と柄本明の芸者も面白かった
ボクも加藤派 テンポも間もアドリブもリアクションも最高に面白い ラーメンの出汁は栗と鶏と酢って言ってたのが意味はわからんが強烈に印象に残ってた
大人になってやっと意味がわかったw 全員集合のいかりやのコントにしても志村が出てくると
笑いのベクトルが一つ上がる感じだったからな >>23
頭下げなかったの誰?
どうやって頭下げさせたの?力ずく? ぶっちゃけ、志村の方がいかりや長介より面白かったけど、ひょうきん族は志村より面白かった >>7
具体的にどんなコントか言えない時点で白状してるよねw
カミナリ様やバカ兄弟をやってた大集合に志村加藤も出てたわけだが、それよりインパクトあった
加藤志村のコントはまったく言及されないよな
だって誰も覚えてないから 志村〜後ろ、後ろが出ると
またこのパターンか・・・って思ってた幼少期 >>46 話の内容が理解できないと面白くないから、志村好きな子供向けじゃないんだよな。 クレー射撃の数々の大会で優勝していた加藤英文氏が協会にオリンピック代表を打診され、
いかりやに相談したら「どこにそんな暇があるんだふざけんな」と一蹴された話が好きw
今ならテレビ局総出で特集とかしちゃって出場させそうだわ >>35
たけしは昔ながらの風刺みたいな感じで
松本はバカにお笑いは出来ないとの選民思想な感じ >>50 わんダードッグ好きだったオレをバカにしてんのか? (´・ω・`) つべで見たドリフターズのNo.1は誰だ
みたいなコントが面白かった
何故か荒井注まで参加してるやつ
最初はいかりやがトップなんどけど愛人問題の事を言われてランクが下がったりなにもしてないブーがトップになったり >>19
あっついてーあっついてー
あっおしてーあっおしてー
あっはらってーあっはらってー
さいごにゃきる
これを思い出した
なんでかわからないけど記憶にある 全員集合は仲本高木が間(マ)を作って小ボケの加藤に繋げる、客の期待値が最高峰になったところで大ボケの志村に繋げる笑いだった
間を捨てたのが加トちゃんケンちゃんご機嫌テレビだった
無駄を省いていく時代の流れに抗うことは出来なかった
いかりやさんも志村さんも尊敬に値することに変わりはない >>49
ま、ま、まままままつた、ま、まままつたけ… >>19
「志村〜!後ろ〜!!」もその頃だよね
>>50
あれは子供心につまらないなあ、って思ったもんだったな
『ドリフ大爆笑』でもそれやってて、何故かプロ野球選手何人かが自分の子供達を連れてゲストで呼ばれてたんだけど、
そのプロ野球選手たちが「これ(=ワンダードッグ)うちの子供も大好きで、今子供の間で凄く流行ってて大人気なんです」って言ってて、
やっぱり子供だった自分は「(嘘つけ!全然流行ってないわ、こんなつまらんの)」って、画面に向かって突っ込んもんだった
その頃はもうドリフの番組はほとんど見てなかったんだけど >>69 お約束芸だから、記憶に残るわな。(´・ω・`) >>49
志村はツッコミの名手
ボケに対する反射神経のキレ味や言葉選びのセンスがすばらしい
当人は由利徹や東八郎みたいなボケ志向だったけど、志村の本領はツッコミにある まあ、いかりやと志村の2トップがあったお陰で幅が広がったと言えるな
延命できたともな 段取り重視のいかりや
ライブ感重視の志村
志村は客のリアクション、スタッフの内輪感も取り込んだコントがしたかったように見える >>53
スイカの早食い、口から牛乳吐く、女優との夫婦コント…
なるほど、そういや志村のギャグって下ネタや食い物使った汚いネタが多かったなあ
でも今“ドリフのコント”で思い出せるのはそっちの方ばっかりだな >>76 志村を入れてなければ、全員集合はもっと早く終了してたとは思う。 いかりやが動かすカトちゃんが面白かった
志村とのコントも面白いし
カトちゃんは天才 いかりや=YOSHIKI
志村=TAIJI
加藤=HIDE
仲本=HEATH
ブー=PATA ここまで大嘘書いてるのすごいなw
大爆笑でも90年代の中盤から5人揃って全員集合風の公開コントやってただろ
あと裏では怖い厳しいとか言うけどあの時代は堺正章もたけしも普通に厳しかったから >>53
いかりやは家庭環境のせいかお笑いの基本が浅草寄席の芸人
礼儀作法に厳しいのも観客>芸人という基本構図も
浅草芸人たちの基本が染み付いているように思える
欽ちゃんはストリップ劇場からはじめたからか
そのあたりがちょっと緩くて下ネタや素人いじりもできた
志村世代だともうそのへんがごっちゃにはなってたね
上下をつけたいわけではないけど嫌味がないのは長さんの方かなと思う >>84 紅白まで雪解けがなかったってのは嘘だろうけど、
80年代後半〜90年代前半の志村人気絶頂期に仲が悪かったのは確かだろ。 >>84
ほんとそれw
ある程度の年代なら誰でも知ってるのに
嘘をついてまで書きたかったことが分からんw >>33
バカ兄弟は面白かったが
雷様はつまらなかっただろ
あれ始まったらトイレ行ったり
風呂入ったりしたぞ >>28
コレ
バカ殿は田代や桑マンより、いかりや爺のドリフバージョンのほうが数倍面白かった 子供心の記憶だから間違ってたら申し訳ないが
大爆笑でも志村加藤もたまにいかりやとコントやってたはず
どっちかっていうと仲本高木の方が志村と絡むことが少なかった気がする >>91
大爆笑でも、いかりやと志村が絡まなかった時期は確かにあったんだよ。
少年少女合唱隊を大爆笑で復活させた当初も、志村だけ出なかったし。 >>16
分かる
だいじょぶだぁの流れを組むフジテレビの志村シリーズが
がなんかしっくりこないのは
志村とそれ以外っていう構図が出来上がってるからかもね いかりや長介は浦安鉄筋家族でも子供達からウケない校長役やってたな リーダーとエースが揉めるのは何処の世界でも同じ
バンド解散とかも大体ソレだろ >>4
嘘つけw
ドイツにはめっちゃユダヤ系おるやんけw >>86
仲がわるかったから何としか思えん
誰かと顔合わせるのも嫌になる時期はどのグループにもあるし
だいじょうぶだぁとカトケンで忙しすぎるし俳優にシフトしつつあったいかりやのことを
そこまで考える暇もないだろう、いかりやの本読んでも方向性も元々違うの書いてあるし ひょうきん族が始まってから
日本人の気質が変わってしまった気がする >>92
あったのは記憶にあるけど少なくとも5〜6年っていう時間ではない気がするんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています