【サッカー】“大黒様”に決められた劇的ゴール。若き日の鄭大世が埼スタで見た悪夢。
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「大黒様! 日本救ったロスタイム弾!」
スポーツ新聞一面を飾ったこの大きな見出しが今も忘れられない。
今から15年前の2005年2月9日、ドイツワールドカップ(W杯)アジア最終予選の日本代表対朝鮮民主主義人民共和国代表(以下、北朝鮮代表)の試合が、埼玉スタジアムで行われた。“ジーコジャパン”の最終予選初戦の相手は古豪・北朝鮮代表だった。
北朝鮮が国際試合にあまり姿を見せないことから、その実力が未知数であること、謎めいていることで“ダークホース”と表現する記事が多く散見された。
この頃から北朝鮮サッカー界にも徐々に変化が訪れてきており、当時の顔ぶれにはロシアのFCロストフなどでプレーしたホン・ヨンジョのほか、在日コリアンJリーガーの安英学(当時名古屋グランパスエイト)と李漢宰(当時サンフレッチェ広島)がメンバー入りしたことで、それなりに力はあったはずだ。
同じ在日である筆者も、特に安英学と李漢宰の2人には活躍を期待せずにはいられなかった。
◆北朝鮮の希望を打ち破った大黒投入。
だが、試合会場は北朝鮮にとって完全アウェイの埼玉スタジアム。
その雰囲気に飲まれるかのように北朝鮮は開始早々の前半4分にMF小笠原満男に直接FKを決められた。
当時のFIFAランキングでは日本19位、北朝鮮97位。実力通りの結果になりそうな気配を感じつつ、「そう簡単に日本には勝てないか……」と思っていた。
だが、戦況は一変する。
北朝鮮は球際の激しさ、豊富な運動量で日本に追加点を許さない。それどころか、決定的なチャンスを幾度か演出し、日本ゴールを脅かす。
「これはもしかして……」
予感めいた閃きは現実となった。
61分、左サイドからDFナム・ソンチョルが左足を振り抜いて同点ゴールを決める。
日本に在住する在日コリアンの大応援団が歓喜に沸く。記者席すらも完全アウェイの中、筆者は周りの空気を読めずに立ち上がって喜んでしまった。
1−1の同点のあと、ベンチに座るジーコ監督には焦りが見え始めていた。
途中からFW高原直泰、MF中村俊輔をピッチに投入するも、ゴールを奪えない時間が続く。
残り約10分。ここでジーコ監督は最後の切り札を使う。投入されたのは、FW大黒将志だった。
◆映画のワンシーンのような幕切れ。
このまま引き分ければ、北朝鮮にとっては大金星と言えただろう。一方で日本が格下の北朝鮮にホームで引き分けや負けは許されなかったに違いない。
緊迫する中で迎えた後半アディショナルタイム。このまま終わってくれと心の中で祈りつつ戦況を見守ったが、最後の最後で悪夢が待っていた。
右サイドから小笠原が上げたクロスをGKがパンチングではじく。こぼれ球をMF福西崇史が前にはたくと、そこにいたのが大黒。振り向きざまに左足で合わせると、あたりそこねたものの、ボールはゴールに吸い込まれた。
大黒の劇的なゴールによる、映画のワンシーンのような幕切れ――。ピッチに倒れこむ北朝鮮選手の姿を茫然と記者席から眺めつつ、一方で日本サポーターの歓喜と熱狂ぶりを目に焼き付けたものだった。
翌日の“大黒様”のスポーツ紙の見出しが目に飛び込んでくる。日本のピンチを救った大黒を七福神の“大黒(だいこく)様”にかけていることに、「うまいこと言うな」と思いつつも、気分が晴れることはない。
>>2以降に続く
2020/04/20 12:00
Number
https://number.bunshun.jp/articles/-/843240?page=1 ◆安英学は悔しさを、李漢宰は号泣。
実はこの試合のあと、ある在日同胞が営む焼肉店に代表チームが招待された。筆者も取材で同行していた。
現場は予想通り、重い空気が漂っていた。北朝鮮の選手や監督たちは、スタジアムに集まった応援団に「ただただ申し訳ない」と、明るく振舞える精神状態ではなかった。
ただ、日本代表を相手に健闘した戦いを筆者は誇りに思っていた。それにサッカーのおもしろさを存分に感じられた試合でもあったからだ。
Jリーグでプレーしていた安英学は、悔しさを言葉にしつつも、日本で自分が奮闘する姿を見せられたことを誇りに感じていただろうし、残りの試合に全力を尽くすと力強く語っていた。
一方で後輩の李漢宰は、食事に手をつけられないほど大号泣し、唇を噛みしめ、悔しさをにじませていたこともよく記憶している。
北朝鮮はこの敗戦のあと、イラン、バーレーンにも苦戦を強いられ、1勝5敗でW杯出場の夢を果たすことができなかった。結果的にはまだ実力はなかったということだろう。
◆スタンドにいた大学生の鄭大世。
この話には続きがある。
日本対北朝鮮戦をスタンドから特別な思いで眺めていたのが、朝鮮大学校サッカー部に所属していた鄭大世(現清水エスパルス)だった。
日本代表と堂々と渡り合う先輩たちの勇姿を見て、「自分もあの場所に必ず立つ。自分も(北)朝鮮代表になって、大きな声援を受けて活躍したい」との思いを胸に誓ったのだった
当時、朝鮮大サッカー部は東京都大学リーグ3部。Jサテライトとの練習試合では、実力の違いを見せられ、「何もできない自分」を何度も突きつけられていた。
転機はその後の「日朝親善サッカー大会」。西が丘サッカー場で行われた佐川急便東京SC戦にハットトリックを達成。これを見ていたエージェントの田邊伸明氏の紹介でJクラブの練習に参加し、最終的に川崎フロンターレを選んだ。そこから飛躍し、2007年には北朝鮮代表に選ばれるようになった。
◆岡田ジャパンから奪ったゴール。
チャンスをつかんだ鄭大世が待望したのはもちろん、自分を育ててくれた日本との代表戦だ。
インパクトを残した試合として挙げられるのは、2008年2月の東アジア選手権(中国・重慶)だろう。
“岡田ジャパン”の主力である中澤佑二、内田篤人ら守備陣をものともせず、鮮やかな先制ゴールを奪った。
当時、Jリーグでは二桁得点を決めるなど活躍していたが、この試合の活躍が世間に彼の存在を広く知らしめたものだったことは間違いない。
その後、鄭大世は2010年南アフリカW杯に出場に貢献。北朝鮮として44年ぶりの快挙を成し遂げたのだった。
本大会にもエースとして臨み、グループリーグではブラジル、ポルトガル、コートジボワールと強豪相手に堂々と渡り合った。国歌斉唱の時に涙を流してシーンはあまりにも有名。境遇を知る筆者も、胸がとても熱くなった。
◆再び埼スタで味わった悪夢。
Jリーグで実績を重ね、W杯出場を経験。目標であった欧州移籍も実現した。
そして2011年9月2日、大きく成長した“大学生”はあの埼玉スタジアムに戻ってきた。
舞台はブラジルW杯アジア3次予選。東アジア選手権とは違い、真剣勝負だ。
そこには安英学や梁勇基、さらに日本代表には同じ在日コリアンである李忠成の姿もあった。選んだ道は違えども、こうしてW杯出場を争う舞台に立つ彼らを見ると、北朝鮮サッカー界の歴史的なシーンに立ち会っている気がしてならなかった。
試合は2005年と同じように緊迫した展開が続き、0−0で迎えた後半アディショナルタイム。悪夢の再来を振り払うように、何度も決定機をしのいだ。しかし、最後の最後でDF吉田麻也の強烈なヘディングシュートが決まり、北朝鮮はまたしても散った。埼玉スタジアムでの日本戦が、良くも悪くも忘れられない所以なのである。
この時すでにベンチに下がっていた鄭大世は、歓喜に沸く日本代表の面々を悔しそうな表情で見つめていた。
'05年のリベンジとはならなかったが、日本で生まれ、朝鮮学校で育ったサッカー小僧が、Jリーグで力をつけて北朝鮮代表入りし、日本の地で日本代表と戦った。それも舞台はW杯出場をかけた“本気”の戦いの場――。スタンドにはかつての鄭大世のように「自分もこんな舞台に立ちたい」と目を輝かせ、試合を観戦した在日コリアンのサッカー少年少女が数多くいたに違いない。
>>3以降に続く ◆2005年の敗戦はターニングポイント。
日本では1993年の“ドーハの悲劇”のあと、'98年フランスW杯に初出場を果たしたが、北朝鮮にとっては2005年の日本戦での敗戦もまた、1つのターニングポイントだったと思っている。
現在は在日コリアンJリーガーの中では、先輩たちの背中を見て育ったFC琉球の李栄直が北朝鮮代表としてプレーしている。彼もまた「在日の後輩たちに夢を与えられる存在になりたい」とエールを送る。
先人たちが築いてきたレールと大きな夢は、こうして今も紡がれている。
【完了】 この記者が在日なんだろうね
向こうからはこういう風に見えるのか リャンとか一番いい時期だったのにワールドカップ出れなかったよな 中村入ってから流れが変わった試合だろ
ちゃんと書けよ 初戦のブラジルに1-2と善戦してやるじゃんと思わせたが2戦目のポルトガルに0-7とボコボコにされた南ア大会 それにしても日本に住んでて北朝鮮の悪行の情報は簡単に入ってくるはずなのに
よく北朝鮮のためにプレーしようと思うよな ブラジル戦の善戦が評価されちゃってポルトガル戦の北朝鮮国内で超異例の生中継が決まって選手たちがビビってガチガチになってしまったらしい。 安英学(当時名古屋グランパスエイト)ってレギュラーだったわけ? 日本で生まれてさ
日本で育って
数回しか行ったことない北朝鮮になんで祖国だとか愛国だってなるのかな?
やっぱり教育? 大黒は海外移籍しなかったらJリーグでかなりの数字残してたと思う、全盛期を海外で無駄にして勿体なかった
国内復帰してJ2で点取りまくっても年俸高すぎるのかJ1に引き抜かれる事無かったな 税リーグと在チョンは一心同体(笑)
気持ち悪い(笑) 北朝鮮の1点はセンタリングと見せかけた鋭角シュートだったな
川口のすぐそばだったのに全く反応できてなかった 惜しかった
もう少しでジーコをクビにできたのに
大黒とシンガポール戦の藤田俊哉が余計なことを 合コン飲み会でだれてきた時、場を盛り上げるためにイケメンを呼ぶのを「大黒投入」って誰か名付けてたな。
このあたりからサッカー用語が一般市民に浸透しだした気がする。 朝鮮人の給料が送金され
ミサイルになって日本に打ち込まれますwwwwwwwwww 本当運だけで勝ってるような代表だったな
ジーコがぼくのえらんださいきょうイレブンでやってたから アメリカW杯アジア予選で惨敗の北朝鮮代表に怒り狂ったジョンイルが代表チーム10年封印宣言
その間は本当に国際舞台には姿を現さなかった
そしてドイツW杯予選から再始動した北朝鮮代表は謎だったが、「アマチュア」「女子レベル」と揶揄する向きもあって楽観論が優勢だった
そして開始早々に日本が先制点を取って楽勝ムードになったがその後は攻めあぐねて同点にされた
大黒の劇的ゴールがなければ世紀の赤っ恥になっていただろう 4年後の南ア大会には出場できたから良かったじゃん
試合前の国歌から泣いてる姿は世界中の感動を呼んだよ >>1 に「当たりそこねた」とあるけど、当たりそこねじゃなくてわざと上からかぶせてボテボテにしたんだよ。 一番いい時期をイタリアのベンチで無駄にしたよな大黒
日本に帰ったらJ2では無双してたな 鄭大世ってあの試合出てなかったっけ?
10年以上前だから記憶も薄れてきてるわ お前その時韓国籍だろ
何が悪夢だよ
名前どころか国籍すらコロコロできる奴らが
ふざけたことばかり言ってんじゃねえぞ 摩季?
Everybody go! Everybody go! Everybody go!? 水原三星でチョン・ソンリョンとチームメイトだったんだな
やべっちで流れてた試合見に行ったよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています