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【サッカー】2008年の長谷部誠に感じた言葉力【心を整える】【元浦和レッズ】
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0001アレ浦和 ★
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2020/04/23(木) 09:17:39.96ID:9AV/ToQ39
2008年の長谷部誠に感じた言葉力。
その優しさを今、改めて実感する。

ドイツ・ブンデスリーガは、新型コロナウイルスの影響で中断しています。5月初旬に無観客試合でのリーグ再開を目指すとの報道もありますが、相手は目に見えない敵であるウイルスですから、日々移り変わる状況を鑑みて適宜判断しなければなりません。

ドイツ国内がロックダウン(都市封鎖)中のいま、フランクフルトに住む僕は食料品の買い出し以外は外出せず部屋で過ごしています。でも、ここ1カ月間のフランクフルトは快晴が続いているので、思ったよりも気分は落ち込んでいません。

最近は20度を越える日が多くなり、散歩などでの単身外出は認められているので、今後も気持ちを落ち着けて、終息を待ち望みながら生活を続けていく所存です。


こんなときですから、昔のことを思い出したりします。

◆2008年、浦和からブンデス移籍。

2008年1月1日、浦和レッズに所属していた長谷部誠がドイツ・ブンデスリーガ1部のVfLヴォルフスブルクへ完全移籍しました。

浦和時代の長谷部を取材していた僕は当然、彼のドイツでのゲームを観てみたいという欲求に駆られました。そこで2008年9月にドイツへ飛び、彼が所属するクラブのホームタウンであるヴォルフスブルクという街へ向かいました。

それ以前にもドイツで取材をした経験はありましたが、赴いた場所はレバークーゼン、ドルトムントなどでした。初めてのヴォルフスブルクなので事前に行程を調べましたが、これがなかなか難儀なところにありました。

あの当時は東京から直行便が出ているフランクフルトまで行き、そこからドイツ鉄道で約3時間を掛けて目的地へ向かうしかありませんでした。調べたところ、新幹線「のぞみ」の、東京から岡山までの所要時間(3時間13分)と同じです。

日本の交通網の素晴らしさは、所要時間に「約」という文字が付かないことです。日本のダイヤは秒刻みで管理されていて、ほぼ正確。時間通りに目的地に着きますよね。一方、ドイツ鉄道はヨーロッパのなかではまともと言われるのですが、それでも20分や30分、ときには1時間以上遅延することもあります。

ちなみに僕は、ベルリンからケルンまで通常約4時間20分で着くところを4時間遅れて、8時間以上掛かった経験をしています。まあ、現在はそれが日常的だと認識しているので、それほどストレスは感じなくなりました。

◆「異様」な無骨さの工業都市。

ヴォルフスブルクの場所は、ドイツ国内の地理的には北中部といったところでしょうか。ニーダーザクセン州に属し、世界的な自動車メーカーであるフォルクスワーゲンの本社がある街でもあります。

この街に降り立った第一印象を一言で表すと「異様」です。

まずは、ヴォルフスブルク中央駅の目の前にはフォルクスワーゲンの工場群があって、茶色くて太い煙突からは大量の白い煙が吹き出しています。ここはナチス政権下の第二次世界大戦中に軍用車両を多数製造していた場所としても知られ、その武骨な佇まいにただただ圧倒されてしまいました。

中央駅から街の中心部までは徒歩でも楽に行けます。そもそも街中は短いショッピングストリートがあり、そこから繋がる何本かの脇道にレストランや個人経営のホテルなどが点在するだけで、10分程度の散策ですべてを周りきれるくらい小規模な街なのです。

元々何もない平原にフォルクスワーゲンの工場が建ち、そこで働く者たちのために街が築き上げられた歴史的背景がありますので、街を大きくする必要はなかったのでしょう。

ドイツの首都にして最大の都市ベルリンまでは、ドイツ鉄道特急「ICE」を利用すれば約1時間なので、ヴォルフスブルク市民は生活用品購入の用途では街のショップを利用して、大きな買い物や用事は大都市のベルリンまで行くようです。

>>2以降に続く

2020/04/22 20:00
Number
https://number.bunshun.jp/articles/-/843258?page=1
0002アレ浦和 ★
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2020/04/23(木) 09:19:15.58ID:9AV/ToQ39
◆美容院での予約の名前は……。Tatsuya Tanaka

当時の長谷部は、髪を切りにベルリンの美容院まで行っていたらしく、その際に素性を知られるのを警戒して予約する際の名前を「Tatsuya Tanaka」にしていたそうです。浦和レッズ時代の先輩の名を名乗っていたんですね。

街中からヴォルフスブルクのホームスタジアム「フォルクスワーゲン・アレナ」までは徒歩で約15分。工場群の横にあり、敷地内には国内の観光名所にもなっている「アウトシュタット」というオートミュージアムがあります。そして、スタジアム脇には自動車を購入した方が納車できる細長いスケルトンのビルが2塔建っています。

この「カータワー」が、なかなかの代物なんです。自分が購入した車が展示物みたいに飾られていて遠目からも視認できるのですが、1塔あたり約400台が収容できるこのビルを宵闇に見ると、車をモチーフにした壮大なオブジェのようにも見えて圧巻です

◆鬼軍曹マガトに負けちゃいけない。

VfLヴォルフスブルクのクラブカラーはグリーンで、フォルクスワーゲン・アレナも当然グリーンを基調にした外観です。チームの練習グラウンドがスタジアムの真横にあり、選手たちはスタジアム内にあるクラブハウスを利用して練習に励んでいます。

長谷部が移籍した当時のVfLヴォルフスブルクは、軍隊式トレーニングで知られる通称“鬼軍曹”フェリックス・マガトが指揮を執っていました。

指揮官が課す猛烈なフィジカルトレーニングは非常に有名で、1日3部練習は当たり前。長谷部の証言によると、早朝体育館に集まって天井に吊るされた綱をよじ登っては降りるのを繰り返すらしく、「確かに体力はついたけど、この練習がサッカーの何に生かされるのか分からない」と嘆いておりました。

また、試合に負けた日の夜にグラウンドに集められ、いきなりマガト監督から「お前ら、これから走れ」とランニングを強いられたこともあるそうです。

マガト監督の恐ろしさは「どれくらいの距離を走る」とか「何分間走る」など目標点を定めないことだそうで、長谷部自身も「絶対に試合で負けちゃいけないと思った」と吐露しています。

当時チームに在籍していたエディン・ジェコ(現ローマ)やマリオ・マンジュキッチ(現アル・ドゥハイル)など、個性的な選手も悲鳴を上げながらマガト監督の“訓練”に取り組んでいた姿を想像すると、なんとも味わい深いものがあります。

◆サイドでプレーして広がった幅。

当時の長谷部は、主に4-1-3-2の右サイドや、右サイドバックを務めていました。2008-09シーズンは長谷部が右MF、サーシャ・リーターが右SBで、このライトラインは主に守備面で多大な貢献を果たしていたように感じます。

ただし浦和時代に主にトップ下、もしくはボランチで活躍していた彼を知る者としては、サイドエリアで起用する意味を見出すことができなかったのも事実です。とはいえ当時のブンデスリーガは現在よりも局面におけるプレー強度が一層求められていて、360度から包囲されるポジションでは、フィジカル能力の高い選手が重宝される傾向がありました。

そうした背景もあって様々なポジションをこなせるオールマイティなプレースタイルへと変化したことが、現在に至る長谷部の長い現役生活の礎になったのかもしれません。

>>3以降に続く
0003アレ浦和 ★
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2020/04/23(木) 09:20:40.22ID:9AV/ToQ39
◆日本では社交的でなかった男が。

また、浦和時代は微塵も感じられなかった「キャプテンシー」は、日本代表での貴重な経験に加え、異国の地で単身戦い続けたなかで身につけた彼なりの処世術かもしれません。

日本にいた頃の彼はお世辞にも社交的ではありませんでしたが、ドイツに渡ってからは、まだ世の中にスマートフォンなる超便利なガジェットがなかったことから常に電子辞書を持ち歩き、レストランなどでは事あるごとに店員を呼び止めてドイツ語での会話を試みていました。

僕は長谷部から「ドイツ語で『すみません』は、『Entschuldigung(エントシュルディグング)』って言うんですよ」と教えられましたが、ドイツ語をまったく話せなかった当時の僕にとっては呪文みたいで、複雑怪奇なスペルにもギブアップ状態でした。

それでも長谷部は、「いや、こうやって1つずつ単語を覚えて、それが通じると気持ちいいんですよ!」と言って、意欲的に言語習得に取り組んでいたのが印象的でした。その成果はいま、試合後に堂々とドイツ語でインタビューに答える姿に投影されています。

◆彼の言葉が深く、優しく、温かに。

いま僕は、約12年前に長谷部が直面したのと同じような境遇に置かれています。僕のドイツ語習得スピードは鈍重で、自らの至らなさに嘆息することもあります。それでも、かつて長谷部が僕に言ってくれた「カンバセーションできることの喜び」についてはいま、改めて心底実感しています。

昨日、買い出しのためにスーパーへ行ってビールを購入しようとしたら、顔馴染みの女性店員が冗談めかした口調でこう言いました。

「あら、今日はもう店じまいよ。あなたがビールをいっぱい買うから、もうウチの店にはストックはないわよ(笑)」

ドイツ語をそこまで理解していなかった当時の僕なら、彼女の冗談を深刻に捉えて「すみませんでした」と言って退散していたかもしれません。でも、今の僕には「おお。僕って、こんなにこのお店に貢献しているんだね(笑)」と返すことができます。

そして、そんな他愛もない会話を楽しめることが嬉しいのです。

新型コロナウイルスの影響で、人と人との関係性にも変化が生まれる懸念があるなか、2008年の長谷部誠が発した言葉が、いまの僕の心に深く、優しく、温かに響いています。

<完>
0004名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 09:20:49.32ID:EcSMAy+f0
○○力って表現、安易に使いすぎじゃないか?なんだよ言葉力って
0006名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 09:26:42.61ID:9o5X8Ns20
心を整える
0011名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 10:02:29.85ID:TaEgUMj+0
高校の教師が「心を整えなさい心を整えなさい」とバカみたいに連呼してたな。
この当時。
0012名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 10:05:59.87ID:TM/oYuKP0
>>4
理解できないのか
0013名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 10:10:15.60ID:KY4LtrKnO
>>10
山田暢がチンピラ過ぎて、その山田に唯一盾突いてたのが長谷部。
0014名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 10:15:31.01ID:1Mfjo9Ov0
>>10
DQNの権化たる山田に立ち向かってた聖人様だぜ!
0016名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 10:20:50.25ID:67ugZRue0
>>11
ニートは働きなさい
長友は余計な事をやめておきなさい
0017名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 10:23:35.99ID:67ugZRue0
上から変化していきます

マカーイ
カカ
ルシオ
長谷部
マンジュキッチ
ブッフォン
ウジョア
ルイ・コスタ
ハビエル・バルデム
レコバ
0019名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 10:50:16.60ID:FStkGdr20
ノリノリでブチ切れてた頃は2007年か
0020名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 10:53:20.08ID:FStkGdr20
>>13
山田暢久がチンピラって適当過ぎるw

闘莉王、三都主、都築とガチな連中を差し置いて
0021名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 11:44:35.90ID:k6LE5kEb0
>>13
高校時代の恩師への中元や歳暮を山田の代わりに送っていたことはあるけど、楯突いてなんてないぞ
ピッチではDQN、ピッチ外では超マイペースだった
0022名無しさん@恐縮です
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2020/04/23(木) 15:52:54.10ID:nVOWqGCF0
ピッチでDQNと言ってたも文句を言うのは基本審判に
汚いファウルされても相手選手には怒らず審判に文句言うのが長谷部
そこら辺は徹底されてた
0024名無しさん@恐縮です
垢版 |
2020/04/25(土) 00:12:19.71ID:LnKFN4Qc0
「心を整える」はミスチルおすすめ曲コーナーがなければ名著だった
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