2月11日に亡くなった稀代の智将・野村克也さんはプロ野球で24年間、監督を務めたが、その最後の戦いの舞台となったのが、
東北楽天ゴールデンイーグルスの指揮官として臨んだ2009年のCS(クライマックスシリーズ)だった。
決戦直前には普段、見せることのない、自身も驚く涙をこぼす場面もあったという。

ID野球を標榜する智将がなぜ感情をさらけだしたのか。当時、野村監督を参謀役のヘッドコーチとして支えた橋上秀樹氏の言葉で振り返る。

◆選手の前で初めて見せた涙

野村さんが楽天の監督を引き受けたのは球団創設2年目の2006年。前年に97敗したチームを徐々に立て直し、就任4年目の2009年は4月を首位で終えるなど序盤からAクラス争いを展開。
7月に4位に後退したものの、8月以降は投打がかみ合い2位で球団初のCS進出を果たした。

しかし、球団は74歳という高齢を理由にレギュラーシーズン最終戦前に契約を延長しないことを通告。結果を出したにもかかわらずユニフォームを脱がされる悔恨、年齢的に復帰は望めない天職への愛惜。それは涙となってあふれ出た。

「選手もビックリしていましたし、長年、一緒にやらせていただいた僕も初めての光景で、すごくインパクトがありました」

選手、コーチとして通算12年間、野村監督に仕えた橋上氏が続ける。

「福岡ソフトバンクホークスとのCS第1ステージの初戦前のミーティングでした。クラブハウスに選手、コーチを集めて、野村さんが『みんなの力でクライマックスシリーズに出られました。
心を1つにして勝ち抜こう』と感謝を伝えた後、『私事で申し訳ないが解雇通告を受けました。監督をやめることになったけど、君たちと1日でも長く同じユニフォームを着ていたい』と言いながら感極まって涙を流されたんです。

選手の前では常に監督として威厳を保っていた野村さんが、そうしたものを取り払って、自分をさらけだして涙ながらに訴えるというのは、僕が知る限りでは、そのときだけでした。あとから野村さんに聞いたら『計算とかはない。
自然とああなってしまって、最後はなにも言えなくなってしまった。まさか、俺もあそこであんなふうになるとは思わなかった』とおっしゃっていました」

涙を止めることができない野村さんは、ミーティングを締める言葉も言えないまま、部屋を出て行ってしまったという。残された選手やコーチ陣は唖然としながらも、気持ちが昂っていくのを感じていた。

「ミーティングがまた終わっていない状態だったので、私が『監督の意志をくんで、クライマックス、頑張っていこう!』と伝えて終わりましたが、
当時主砲の山ア武司もあれで改めて『この人を胴上げしようと思った』と言っていましたし、みんなのモチベーションが高まって一致団結したと感じました。

野村さんは食事に一緒に行くことはしないなど、選手とは一定の距離感を保ちますし、データ重視で冷徹と誤解している選手もいたかもしれませんが、
野村さんの人間味に触れ、選手たちは花道を飾ってあげたいという気持ちが強くなったと思います」(橋上氏)

果たして、その日の試合は序盤から打線が期待に応えた。高須洋介の先頭打者ホームランなど4本塁打、11得点で大勝。
翌日の第2戦も4番・山アの2試合連続のホームラン、田中将大の1失点完投で4対1と快勝し、第2ステージ進出を決めた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200422-00000005-friday-spo
4/22(水) 9:02配信