生涯
お駒遠江国金谷村の鋳物師の後妻となり、娘(於八)]を生む。
しかし、お駒が美人であることから代官が横恋慕し、夫を闇討ちにするという事件が発生する。
お駒は3歳になる於八を連れて、謀殺された夫の仇を討ってもらおうと、鷹狩に来ていた家康の一行の前に飛び出して直訴し、代官は処罰されることになったが、
今度は家康がお駒を娘と一緒に拉致に近い形で浜松城に連れ帰り、側室として「茶阿局」とした。