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2020/04/19(日) 21:00:57.19ID:HEgJd0AX92020-04-19
アーティストの坂本美雨がお届けするTOKYO FM「坂本美雨のディアフレンズ」。4月14日(火)の放送は、ラジオDJのピーター・バラカンさんが登場。ラジオDJになった経緯や、矢野顕子さんと共演したラジオ番組について語ってくれました。
坂本:どんなキッカケで、ラジオDJの道を選んだのでしょうか。
ピーター:僕にとって、理想の仕事だったんですよ。音楽が好きで、音楽以外の仕事は興味がなかった。何ができるかっていうのはわからなかったけど、自分の好きな音楽をラジオの電波に乗せて届けたい、というのが理想でした。まさかそんな機会が巡ってくるとは思っていなかったので、著作権関係の事務職で働いていました。音楽関係で働いていると、各分野の飲み友だちができるもので……。
飲み友だちの1人に、ラジオの構成作家をしている人がいたんです。彼に「新番組のオーディションをやるんだけど、来てみない?」って、誘われたんです。緊張しちゃって、1度オーディションに落ちてしまったのですが、半年後くらいに別番組のオーディションがあって。それに受かることができたんですね。それがちょうど、今から40年前、1980年の4月のことです。あのころはTOKYO FMではなくて、FM東京でした。襟川クロちゃんがメインのDJで、自分はアシスタントでした。
坂本:「サウンド・コネクション/ロッカダムIII」という番組ですね。すごいなあ、キャリアが。そのときのディレクターをされていた方が、実はこの「ディアフレンズ」のディレクターをされている方のお父様ということで(笑)。二世代が、こうしてピーターさんと関わる……ラジオで繋がるご縁ですね。
ピーター:本当にそうですね。
坂本:そこから、ご自身の番組を持たれるようになったのでしょうか。
ピーター:自分の番組を持つ前に、もう1つ番組のアシスタントを務めることになりました。それは、なんと美雨ちゃんのお母様の番組でした(笑)。
坂本:なんと(笑)!
ピーター:FM東京の深夜番組で、1982年の春からでした。本当は矢野顕子さん1人でやる番組だったのですが、音楽活動が忙しいから難しいとのことで。彼女が当時所属していた事務所が、YMOのマネージメントをしているヨロシタ・ミュージックだったのですが、僕はそこの社員だったんですね。それで、「番組を手伝ってもらえないか」と頼まれたんです。「喜んで!」って、手伝いました(笑)。
坂本:「スタジオ・テクノポリス27」という番組なんですね。
ピーター:深夜の午前3時からの放送でした。美雨ちゃんならわかると思うんですけど、美雨ちゃんのお母様は歯に衣着せぬ方で……(笑)。
坂本:ええ。着せないことで有名ですね……(笑)。
ピーター:あるときレコードをかけていたら、顕子ちゃんが「この曲あんまり面白くないわね」って針を途中で取っちゃったんです。
坂本:ええー(笑)!? 放送されたんですか、それ。
ピーター:放送されました(笑)。ディレクターもそれをよしとする、思いきりのある人でしたね。
坂本:そっかあ……当時は母が27歳ぐらいかな。まだイケイケですね(笑)。
ピーター:何を選曲してもいい番組でした。それ以降、自分の番組も同じスタンスでやっています。
坂本:自分で、好きな曲を選ぶ。
ピーター:そうですね。ジャンルに関わらず、僕がいいと思う音楽を紹介します。