0001テツコ ★
2020/04/18(土) 13:15:54.08ID:/FxzS8WF9破してきた。本稿ではそれぞれの最終予選突破を果たした試合にスポットを当て、
そこにまつわる舞台裏エピソードや関係者たちの想いに迫る。
フランス・ワールドカップ・アジア最終予選。B組の日本は、韓国に次いで2位と
なり、イランとのアジア第3代表決定戦に臨むことになった。
1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで試合が開催されることになる
のだが、この試合に向けて日本代表の岡田武史監督はトレーナーの並木麿去光ら先
発隊を現地に送り、決戦への準備を着々と進めていた。
ジョホールバルに先に入った並木は、まずラーキンスタジアムのチェックに行った。
そこは半年前にワールドユースの準々決勝でガーナと試合をしていたので、よく
覚えていた。ただ、その時はロッカールームが狭く、マッサージ用の簡易ベッドな
どを置く場所に苦労し、選手もリラックスできるスペースがなかった。もうひとつ
ホーム用のロッカーを確認して見てみると2倍の広さがあった。試合では日本は狭い
ロッカーの予定になっており、仕事的にも、またワールドユースで負けた同じロッ
カーでは勝負運もどうかと思った。幸いイランはまだ到着していなかったので、マ
レーシアのサッカー協会に「ロッカールームを替えてもうおう」と話をしに行った。
「たまたまそのスタジアムにマレーシア協会理事のヤップがいたんです。それで
『替えてもらってもいいか』って聞いたら『日本チームのためならいいよ』って言
ってくれたんですよ。広いロッカーになり、よりいい環境で気持よく試合に挑める
じゃないですか。小さなことだけど、そういうことも大事かなって思っていました」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200418-00010008-sdigestw-socc