【芸能】萩原健一が「太陽にほえろ!」に出ることを嫌がっていたワケ
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て1年がたった。初期の代表作「太陽にほえろ! 」では、若手刑事マカロニとして親しまれた。
プロデューサーの岡田晋吉氏は「ショーケンはもしかしたら、この作品に出たくなかったのかもしれない。だが彼の反骨精神とこだわりは、まさに求めていた主人公刑事そのものだった」と振り返る――。
※本稿は岡田晋吉『ショーケンと優作、そして裕次郎 「太陽にほえろ! 」レジェンドの素顔』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「坊や」のあだ名に激怒していた
「坊や!? 冗談じゃねえよ! 」
萩原健一の第一声だった。彼がそう言っている、というのだ。しかも、よく聞くと、烈火のごとく怒っている、と。こちらとしては、刑事に全員、あだ名をつけることにしていて、彼には「坊や」と決めていたのだが……。
彼は自著『ショーケン』(講談社)の中で、こう語っている。
“「太陽にほえろ! 」……このタイトルからして、自分のセンスとはかけ離れていました。何だか田舎臭く感じられて、(こんなの、出たかねえや! )……(中略)当時はこういう感覚が主流だったのです。
ぼくの役名も、最初は可愛(かわい)らしく「坊や」だった。おいおい、坊やはねえだろう”
そもそも、彼はこの番組に出たくなかったのではないだろうか。そう考えると、納得できることがいくつもある。彼の言い分は「俺は坊やじゃない」の一点張り。こちらも、こんなことでは引き下がれない。
「早見刑事という役のあだ名が『坊や』であって、お前さんを“坊や”だと言っているわけじゃないんだよ」
「そのあだ名は、あくまでもドラマの中の人物につけられているんだから」
■ノータイの三つ揃いで打ち合わせにやってきた
いくら説得しても、まったく聞き入れてくれない。彼にしてみれば、早見刑事は彼自身なのだ。ショーケンはあくまでも、こうこだわる。
「俺は歌手だから、役に化けることはできない。俺自身でやりたい。俺そのものじゃなきゃ嫌なんだ! 」
こういう考え方をする俳優など、前代未聞であった。それまで10年以上ドラマを作ってきて、こちらから持っていった企画に「嫌だ」という俳優など一人もいなかった。
萩原健一だけだ。これは大変なことになるぞ、と思う一方で、これは面白いかもしれない、とも感じていた。
それでも出演を降りるまでにはいたらず、ショーケンは衣装合わせにやって来た。その時の格好が際立っていた。ノーネクタイで、三つ揃(ぞろ)いの背広。
私たちから見ると、まるでマカロニウエスタンに出てくるような恰好だった。よし「マカロニ」でいこう、と決めた。ショーケンも渋々だが、了解してくれた。
なにしろ、クランクインが間近に迫っていたからだ。この衣装は、彼が前出の自著で「ブティック『ベビードール』でつくったスリーピース」と言っている。自分で決めた、とも。
■一時期は「ショーケン」も嫌がっていた
それにしても、あだ名というのは難しいものだ。
私たちはみんな最初から、彼のことを「ショーケン」と呼んでいた。それがニックネームだと思っていたから、疑いもなくそう呼んでいた。
彼も、別に嫌な顔はしない。なんでも、10代のころについたものらしい。
当時、彼は22歳。ニックネームの「ショーケン」に違和感はなかったのだろう。
ところが、一時期、彼は「ショーケン」と呼ばれることを嫌がるようになったという。もちろん、「太陽にほえろ! 」が終わって、ずっと後のことだ。
大人になったのだろう。だが、そのぶん、彼は丸くなったように思う。人間も、演技も。それが良かったのかどうか──。
だが、それも含めて「萩原健一」ということだけは、確かである。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200414-00034148-president-peo
4/14(火) 15:15配信
https://www.youtube.com/watch?v=JQcXSa_-X3A
太陽にほえろ OPテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=xGHigOP9CIk
太陽にほえろ ジーパン刑事のテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=LHvI9LP2sNQ
太陽にほえろ! 山さんのテーマ ■なんでもやるヤンチャなやつを探していた
この「太陽にほえろ! 」は、若い新人刑事を登場させ、彼の成長物語を描いていくことを縦軸とするドラマである。だから、新人刑事は企画上の主演である。この役の若者を誰にするか、悩みに悩んだ。
企画書を書いた時点では、警察学校出立ての規則一辺倒の刑事が、仕事をしていくうちにまわりのベテラン刑事に感化され、融通の利く一人前の刑事になっていく、という成長物語であった。アメリカ映画ではよくあった人物像だったが、脚本家の小川英は違う意見だった。
「それじゃつまらない。若者なんだから、飛び跳ねたい。若さにまかせて、自分の感情のおもむくままデタラメをやってしまう。やっぱり、思いっ切り暴れてもらわないと面白くならない。そんな新米刑事が、自分を抑えることのできる一人前の刑事へと成長するまでの話にしたい」
彼の主張には、説得力がある。なるほどと思い、私も考えを変えた。なんでもやるような、ちょっとヤンチャなやつがいい。しかも、自分に誇りを持っていて、一生懸命にやる人だ。普通ならばブレーキをかけてしまうようなことでも、自分が納得するまでとことんやってしまう、そういう人じゃないとうまくいかない。そう思った。
■萩原健一に会えたのはまさに僥倖だった
ところが、当時よく起用していた俳優座や文学座の出身者にはあまり弾けた俳優がいなかった。まして、反骨精神を持った者などいない。芝居ができても、それでは役のイメージとは違いすぎる。ほとほと困っている時に、渡辺プロダクションのマネージャーから提案があった。
「うちの萩原健一はどうですか? 」
萩原健一は、渡辺プロダクションに所属していて、グループサウンズの人気者であったが、最近ドラマ出演に非常に興味を持っているという。これは願ったり叶ったりだった。念のために、東宝の梅浦プロデューサーと共に彼の出演している『約束』(1972)という映画を見に行った。そこに登場するショーケンは、我々が考えていた主人公の若手刑事そのものだった。 ■ショーケンの音楽へのこだわりは強かった
「もう一つ、どうしても譲れないのは音楽だ。これもおれがやる」
ショーケンが自著『ショーケン』で、こう語っているのを読んだ。これを読むと、音楽へのこだわりの強さがよくわかる。引用してみよう。
“1972年にPYGを解散してから、自分では歌っていない。歌にかける気持ちにおいては、沢田研二に一歩も二歩も譲らざるを得ない。まだ、そんな思いを引きずっていたから。自分では歌わない代わりに、映画やドラマの音楽と、グループサウンズで知り合った仲間につくってもらおうと思った。“
ショーケンが推薦してくれたのは、PYGというバンドで一緒にやっていた大野克夫だった。
「大野さんは素晴らしいメロディラインをたくさん持っているから、きっと斬新なBG音楽ができるよ」
最後には、こうまで言ってきた。
「だまされたと思って、大野克夫を使ってみてよ」
■本人の段取りもスピーディだった
だまされるつもりは毛頭なかったが、私はそれほど音楽に明るくない。直属の上司の津田昭制作局長に相談した。彼は後に、系列会社であるレコード会社・バップの社長、会長を歴任された方である。
今でも感謝しているが、そもそも「太陽にほえろ! 」が時代劇よりよい、と番組を決めてくれた人でもある。おまけに、第40話まで、プロデューサーとして私とともに名を連ねてくれた。もし番組がうまくいかなかった時、私が困った立場に追い込まれないようにするためである。
音楽に詳しい局長は即座に「それは面白いよ」と太鼓判を押してくれた。ショーケンの段取りは、とてもスピーディだった。
「大野さんがやってくれるって言ってるから、会って」
そして、すぐに会うことになる。
■ラッシュ・フィルムを見てつくられたメロディ
その日、私は「飛び出せ! 青春」の現場にいたので、近くの喫茶店で待ち合わせをした。そこにショーケンは来なかったが、大野克夫と梅浦プロデューサーと3人で会ったまだ完成していない「太陽にほえろ! 」の2時間ほどのラッシュ・フィルムを見て、彼はすでにメロディを作ってきてくれていた。
「こんなメロディでどうでしょうか……」
そう言って、その場で披露してくれた。この時の経緯を、大野はその後のインタビューで、こう話していたということを聞いた。
“その(企画の)話があってから、たまたま5日間位親戚の家に遊びに行っていて、ピアノで確か5曲位作ったと思うんですよ。それを、オールラッシュを見た後の打合せで、笛か何か持っていって……「こんなメロディーができているんですが? 」って、聴かせたんです。そしたら岡田さんや梅浦さんが「ああ、いいじゃない! 」って言ってくれたんです。でも一番最初の打合せの時、岡田さんに「これは何クールですか? 」と聞いたら、「半永久的だ」と言われて、初めて覚えたての業界用語使って恥をかいた記憶がありますけど(笑)”
■「ショーケンにだまされてみようか」と思った瞬間
私が「半永久的だ」と言ったかどうか、まったく覚えていない。だが、その当時の「長期番組にしたい」という思いが、そう言わせたとしても不思議ではない。音楽については、正直よくわからなかったが、もう腹を決めていたので、とにかくお願いすることにした。
早速、タイトルバックの寸法、これだけの長さの音楽が必要、頭(イントロ)もくっつけてほしい、などと注文したことを覚えている。
もう一つ、大野克夫にお願いした。
「そのメロディを売りたいので、いろいろな形に編曲して録音してください」と。
彼は、自信ありげに応えた。
「この曲なら、いろいろな感じの曲に編曲できます」
この時かもしれない。ショーケンにだまされてみようか、と思ったのは……。 そもそも「太陽にほえろ」自体がショーケンを出すために企画されたドラマだと聞いたが 愚ぉ〜〜かぁ〜〜〜ァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 Q.太陽にほえろ!に毎週サザエさん家族から出演している人がいます。誰?
ってクイズがあったっけ 1972 太陽にほえろ マカロニ刑事
1974 傷だらけの天使
1975 前略おふくろ様 マカロニのほうがあのマカロニ思い出しちゃってちょっとどうなの? >>17
仲間内に他にダイケンさんとチューケンさんって人がいたから >>16
格はともかく人気は二人同じかショーケンのが上だったよ
番組スタート時の番宣もショーケンメインだったし 八つ墓村は石坂浩二、トヨエツのは主演が金田一だけど、
渥美が金田一やってショーケンが青年役やったのはショーケンが主演になってんだよね
原作からいったらこっちが正しくて青年は最初から最後まで出ずっぱりだが、
金田一はなんか途中から胡散臭いのがやってきたってのだから 単に暴力的な人間をヤンチャで片付けてしまうのは違和感 >>5
裕次郎が映画で食えなくなって出来たテレビドラマ タカさんのモノマネでショーケンを知ったとんねるず世代のオレ この手の男同士のベタベタした関係って気持ち悪くて吐きそう、、ましてオサン同士ww 今兵庫のサンテレビでマカロニ時代の太陽にほえろ再放送してるわ
実況大盛り上がり >>25
下っ端というか3人の中では年少で小柄だったからじゃなかったかな?
>>31
でも視聴率が一番良かったのはテキサスがメインの頃 リアルタイムじゃないから、この辺は勘違いしがち
松田優作と同じでこのドラマで有名になったと思ってるのがいっぱいそう 子供の頃はマカロニが好物だからそう呼ばれていたとばかり思ってみてました
ジーパン刑事がいなかったらノーパン刑事も生まれなかったわけでそれもある意味深いです >>36
※中学生時のエピソード
その**高校のOBが、ダイケンと呼ばれていた。通名が**憲で、背が高く、ケンカが強いことからついたあだ名だ。(省略)
当時は、***というガラの悪い学校もあって、そこの番長がチューケンだった。
ふたりとも下の名前がケンだったけど、ぼくは名前が敬三なのに、何故かみんなにケンちゃん、ケンちゃんと呼ばれていた。友だちには、敬ちゃんより言いやすかったんだろう。
(省略)
そいうとき、ぼくはダイケンをつかまえて、
「やめなさいよ。やめといたほうがいいよ」
と言ってやるわけだ。ケンカのときも、ぼくはできる限りなだめていた。そんなところが何故かダイケンに気に入られ、弟分のような存在のケンちゃんということで、呼び名がショーケンになったのさ。 ボス・肝臓ガン
長さん・敗血症
マカロニ・消化器腫瘍
ジーパン・膀胱ガン
スコッチ・フライング
トシさん・心臓疾患
ブルース・ネックハンギング
意外にみんな長生きかもしれん 小野寺昭は皇太子殿下みたいな頭してたからデンカって呼ばれてたの? 若い頃のショーケンが男からも支持されたのはわかる
愛嬌というか色気があるもの 神田正輝のドックがカッコ良かったけど登場は番組後半になってから何だな、今なら考えられないくらいの長寿番組 だからなんでショーケンなんだ?
他にケンが2人いたって
ハギケンで良いだろ!
なんだよ ショーって 悲しけりゃここでお泣きよ〜涙ふくハンカチもあるし〜♪ 「坊や」の役名が嫌なのに、自分で衣装を作った店が「ベビードール」 ショーケン、ジーパンと続いたら皆それを真似たので角刈りスポーツマンタイプのテキサスが抜擢された >>28
食えないどころか
採算度外視の製作費で映画作ったから
膨大な借金があって、それを返すため そもそも「萩」はシュウじゃねーの?
シューケンだろ 宮内淳のボンまでは割と好きだったけどロッキーとかスニーカーとかで脱落した
でも今になって一番好きなのはマイコンだったりするけどな(´・ω・`) >>62
北斗神拳創始者と微妙にかぶるからじゃない? >>62
シュウをショーケンっぽい発声してみ。
ならねーからw >>49
金八とかが始まって視聴率で食われるようになったのと
他局の刑事もので「トミー&マツ」なんかが当たってハードな展開よりコミカル寄りにするということで
神田正輝のドック刑事はダジャレ好きの二枚目半刑事に設定された。 愚か者を聴くまではショーケン(笑)だった
この人は歌うまいよ 一話だけOP前に本編の冒頭部分が流れるが、そこでマカロニは他人のライターを窃盗未遂している サンテレビで1話から週一で放送してるな、次は3話
水戸黄門も1部から月曜日に週一でやって大分進んでる
10年以上やる予定みたい、テレビの存在意義が変化して世間が変わろうとも
サンテレビは阪神戦や播州秋祭りや神戸祭りやリレーカーニバルや毎日釣り番組とゴルフ番組や素人カラオケ番組など
変わらないでくれる >>70
すごい二枚目で気さくなあんちゃんでやる時はやる所が好きだった、後カーチェイスで掛かるドックのテーマ曲は最高! しかしこの岡田プロデューサーが
「子供に見せられないSEXシーンは絶対にタブー」を徹底させたために当のショーケンから
「なんでこのドラマにはSEXが無いんだ!ラブシーンやらせろよ!」と詰め寄られ
遅い時間帯の別ドラマならと用意したのが傷だらけの天使
視聴率9%と今考えたら凄い数字だけどプロデューサーからすれば家族で見れないんだからこの程度の数字が限度って認識だったとか >>47
昨日のウチのガヤで、渡辺徹のメールアドレスがラガー@なのばらされてて笑ったw 石原軍団解散って話があったと思うんだけどどうなったんだ 渡辺徹登場→殉職
これ見ると月日の怖さを体感できるんすよ! >>12
♪タラちゃ〜ん カツオ〜 ワカメ〜
磯野波〜平
の4人 >>59
キャンティのオーナーがやっていて、タイガースとかグループサウンズ関係の衣装を一手に出かけていた所だわ >>88
実際ゆうひが丘の総理大臣の後継番組やってたな >>5
日テレの金曜8時はもともと力道山の頃から不動のプロレス枠。
日本プロレスが幹部の使い込みや放漫経営で猪木のクーデター解雇、
さらに馬場も脱退とスターが抜けて人気凋落。
それ以前から、今のテレ朝でも中継をしていて、日テレへの仁義も欠いたこともあってな。
日活も倒産して、石原プロの自社制作の大作映画が不入りで大赤字を抱えた裕次郎を担ぎ出したと。
裕次郎も借金返済のために映画スターのプライドを捨てて、
松竹梅のCMとテレビドラマで稼いだと。
太陽にほえろの裕次郎のギャラは一本一千万円とも。
開始時かは知らんが。 >>88
雑誌で語っていたが初体験の年齢がやたら遅かった人か >>92
監督の深作欣二とできていたから、監督も抑えられなかったか?
もともとはNHKのYOUのアシスタントで優等生キャラだったけどね ショーケンの最初の嫁がリトバルスキーの今の嫁なんだっけ? 太陽にほえろといえば
マカロニにつきる
太陽での松田優作は
熱血キャラであまりかっこよくはなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています