【野球】名球会入りの200勝に届かなかった「意外な投手」たちとは?斎藤雅樹 西口文也 石井一久 桑田真澄 三浦 西本 聖★2
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名球会入りのハードルは高い。プロ野球界で大きなインパクトを残してきた大エースたちが入会資格の通算200勝に届かなかったケースは珍しくない。
杉浦忠、斎藤雅樹、石井一久……惜しくも200勝に届かなかった投手たちを振り返ってみよう。
岡田彰布コラム「対戦した中での剛腕投手は何と言っても江川さんやった」
名球会入りの200勝に届かなかった「意外な投手」たちとは?
巨人・江川卓
・江川卓(元巨人)
266試合登板 135勝72敗3セーブ 防御率3.02
現役通算135勝が物足りなく感じるのは高校時代の衝撃が大きかっただろう。作新学院高でセンバツの一大会通算最多奪三振60個、8者連続奪三振、春夏通じて甲子園で奪三振率14.0と驚異的な記録を残した。
当時はスピードガンがなかったが、「160キロを超えた」と対戦した打者が口をそろえるほどだった。2度のドラフト拒否を経て社会問題になった「江川事件」で巨人に電撃入団。
最多勝を2度獲得するなど入団2年目から8年連続2ケタ勝利と白星を重ねたが、9年目のオフに右肩の故障が限界に達したと引退を発表。日本中が驚いた。
名球会入りの200勝に届かなかった「意外な投手」たちとは?
南海・杉浦忠
・杉浦忠(元南海)
577試合登板 187勝106敗 防御率2.39
「史上最強のアンダースロー」と呼ばれ、新人で開幕投手を務めて27勝をマーク。2年目は38勝4敗でリーグ優勝に貢献してMVPを獲得し、日本シリーズの巨人戦では第1戦から4連投し、4連勝の大活躍で南海を初の日本一に導いた。
プロ入りから3年1カ月で史上最速の通算100勝に到達し、プロ7年目までに164勝をマークするが右腕の血行障害で握力は大きく低下。何度も引退を考えたが周囲の慰留もあり、その後は主に救援で活躍。プロ13年間を駆け抜けた。
名球会入りの200勝に届かなかった「意外な投手」たちとは?
西武・西口文也
・西口文也(元西武)
436試合登板 182勝118敗6セーブ 防御率3.73
縦に落ちるスライダーを武器に2度の最多勝を獲得、2ケタ勝利を10度マークした。
200勝も射程圏内に入っていたが、現役時代の終盤は右肩痛に悩まされて13年から3年連続未勝利で現役引退を決断した。平成のパ・リーグを代表する投手として名前が挙がるが、ノーヒットノーラン、
完全試合まであと一歩で逃したことが3度もあり、日本シリーズも7回登板したが0勝5敗で一度も勝つことができず、ツキのなさも話題になった。
・斎藤雅樹(元巨人)
426試合登板 180勝96敗11セーブ 防御率2.77
「平成史上最強の投手」の呼び声高く、抜群の安定感を誇った。入団後に当時の藤田元司監督の助言でオーバースローからサイドスローに転向すると素質が開花。
巨人の絶対的エースとして2年連続20勝、11連続完投勝利を記録するなど、史上4人目の沢村栄治賞を3回受賞した。
サイドスローからのキレ味鋭いスライダーと伸び上がる速球が武器だったが、現役時代の終盤は右腕の故障に加え、足の内転筋の故障などで球威が衰えて登板機会が減少。
体力の限界でプロ20年目を目前に現役引退を決断した。
・石井一久(元ヤクルト、MLBドジャース、メッツ、西武)
NPB 419試合登板 143勝103敗1セーブ 防御率3.63
MLB 105試合登板 39勝34敗 防御率4.44
150キロを超える直球と、カーブと見間違える大きな変化のスライダーを武器に三振の山を築いた。
自己最多の14勝を挙げた98年にはシーズン三振奪取率11.047の日本新記録を樹立。
一方で暴投も多く、荒れ球が打者の脅威だった。個性的な性格も注目され、テレビ番組に当時出演した際は「サッカーをやりたかった」などと発言して大きな反響を呼んだ。
日米通算182勝をマーク。「まだやれる」という声もあったが、200勝に全く固執することなく現役引退した。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200409-00000004-baseballo-base&p=2
4/9(木) 11:02配信
http://npb.jp/bis/history/ltp_w.html
https://cdn17.imgs.jp/yakyutaro.jp/image/news_image.php
https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/picture/baseballonline/m_baseballonline-097-20170827-10.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/cb/443fda5e8427542612f7439bd5f91236.jpg
https://cdn18.imgs.jp/yakyutaro.jp/image/news_image.php
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/show_img.php
前スレ 2020/04/09(木) 19:16
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1586427375/ 2000本安打は
荒木みたいな雑魚カスでもクリアできるけど
200勝はハードル高すぎ 怪我で短命に終わった今中だが名球会入りしてなくても今も俺の中ではナンバーワン投手だ イチローは斎藤について、あまりにいい投手なんで呆れてたって日本シリーズで言ってたな 斎藤、槇原、桑田って3人とも20年くらいやって誰も200勝してないのか 90年代最強は斉藤雅樹で異論はなさそう
00年代は前半は松坂、後半はダルか
10年代は前半が田中、前田、後半が菅野かな 黒田が大リーグ合わせて20年で203勝ってすごいんだな > ・杉浦忠(元南海) 防御率2.39
> ・斎藤雅樹(元巨人) 防御率2.77
防御率が凄い 石井は200勝てたと思うけど、メジャーで投げた石井からすれば、200勝っても徳なことはあまり無さそうだしなぁ 佐々木朗希の160キロみると江川はそこまで行ってないよなって思う >>15
名球会よりメジャー年金って考えそうではあるね 江川は135勝か
あれだけ世間を騒がせて巨人に入ったにしてはな >>19
江川ほど時間を無駄にした選手はいないよ。あれはプロ野球界の損失だった
高卒で即プロに入ってたらどれだけ盛り上がってたか >>19
大卒でしかも1年浪人してるからプロ入りも遅く
また衰えがひどくなる前にあっさりとやめてしまった
規定投球回投げて二桁勝利に届いたシーズンで引退した投手はあまりない(近年では黒田くらい) 江川は実働9年だしな
プロ入り前に壊れてたし
高卒即プロなら200勝は余裕、最強阪急だったしなw 1970年代の10年間にプロ入りした投手で200勝に届いたのは北別府1人
1980年代だと工藤と山本昌の2人
1990年代だと日米通算しかおらず野茂と黒田の2人
2000年代はまだわからんがおそらく田中1人だけだろう
200勝は70年代以降「10年に1人か2人」っていう無茶苦茶な難易度の高さになってる 田中将大 174勝
石川雅規 171勝
松坂大輔 170勝
岩隈久志 170勝
ダルビッシュ156勝
前田健太 144勝
内海哲也 133勝
涌井秀章 133 勝
和田 毅 130 勝
金子弌大 128勝
岸 孝之 125勝
能見篤史 103 勝
大竹 寛 101勝
中田賢一 100 勝
吉見一起 89勝
菅野智之 87勝
西 勇輝 84勝
則本昂大 80勝 斎藤は好不調の波が激しくて顔を見れば今日は駄目だな直ぐ分かったな 200勝達成年齢
金田24才
稲尾25才
山本昌42才
グラフで見ると凄まじい・・
https://youtu.be/9zwsb1oxZAc >>22
巨人だから先発だけで大事に使われたが上田阪急なら山口高志なみに早い回からの抑えメインで勝てると思えば連投で江川も早々に潰れてるわ(笑)
山田久志みたいにタフで技巧派ででもエースの活躍ができてないと200勝は無理
中4日すら嫌がり技巧派で20勝できなかった江川では60勝60敗60Sくらいやな(笑) 記録大事な野球って競技は今年みたいな事起きたら物凄く損するな >>27
80年以降だと7年で100勝到達が最速なのに。
ちなみに野茂と江川だけ。 >>25
マークン、マエケンはいけるな
石川も可能性ある >>20
高卒で即プロに入ってたら、失われた5年は全て20勝は固いんで、余裕で200勝以上、250勝まで行ったよね 江川の引退理由は無理があったよなー
肩に針を打たなきゃもっと現役できたけど、今シーズンに
かけてたから針打ったとか無茶苦茶な論理。
まあキャスター業やら財テクやら始めるいい頃合いだと判断したんだろうな。4 斎藤の全盛期は凄かったな
メジャーでも通用したんじゃないかレアなフォームだし
左のランディジョンソン右のセイロクだろ >>16
江川の速球は打者の手元で球速が増すように見える
もちろん錯覚なんだけどそういう風に見えるから打てない 江川のプロ9年間の年俸合計が推定3億円ぽっち・・・。
いくら1980年代とはいえ、やっぱ安いよね。 斎藤雅樹が元オーバースローなのは有名だが
上で投げてる映像は見たことないな 打者が安打数なら投手は取ったアウト数で考えてやればいいだろ >>15
メジャー行かなければってこと?
晩年の石井見てたらそんなこと思えないけどな >>31
松坂 ダルビッシュ 田中将は8年目に100勝だけど
田中は7年99勝だからかなり惜しかったな 完投勝利、完封勝利にボーナスポイントつけたい気分だな >>34
もしミスターか藤田さんが監督だったら現役続行だったと思う
ソリの合わないOさんが監督だったというのが実は引退の要因だと思う 長島が監督やらなかったら斎藤桑田槙原3人とも200勝してるわ
生え抜きより工藤の200勝バックアップしたセゲオ >>1
斎藤雅樹、西口でも達成できない200勝
荒木、谷繁とかでも達成できる2000本 松岡がな・・・・
勝てないときは勝てないもんなんだな。 >高卒即プロなら200勝は余裕、最強阪急だったしなw
超高校級だった、野中徹博(中京)も高卒後、阪急入りしたんだが、
どこで差が付いた? >>35
ルーキーイヤーの快刀乱麻ぶりを見て、将来200勝は通過点だと思ってた >>36
スライダーが変態みたいな曲がり方してたな 昔、呵呵大笑で有名な某大御所が
「ワシラの頃は江川ぐらいの投手はゴロゴロいて一軍になぞ上がれんかったわガハハ」とおっしゃっていた 西口さんは本当にいい人。あんなに優しいプロ野球選手は知らない。 荒木はよく槍玉に上がるが
チームに必要とされる中での2000本なんだから別にいいだろ
福浦には殺意が沸いたわ
あと田中幸雄も酷かった 松坂もメジャーでは結局60勝も勝ってないんだな
あらためて野茂ってやっぱ凄い男だよ >>39
斎藤はオーバースロー時代に打者への頭部死球をやらかしてからイップスっぽかった
サイドスロー転向で大化けした 藤田がいなきゃ埋もれてたかもしれない >>1
そもそも先発投手が年間25前後の登板ってのが少なすぎ
200勝したければ20代の時は年間30登板以上が必須 桑田はな0年代は奇跡的に復活した02以外はお荷物でしかなかったし全然惜しくもなんともねえわな
斎藤雅樹は桑田みたいに見苦しく続けたら200行けたかも知れないがそんな斎藤見たくもねえわな 石井は頭にボール直撃して球速が一気に落ちた
あれさえなければもっと勝ってたし三振も取っていたと思う >82年でした。名古屋遠征中に関根監督のホテルの部屋を訪ね
>「辞めようと思うんですが」と申し入れたんです。
>「オレが最期をみとってやる」と言ってくれた。
>続く甲子園遠征で、再度話し合い。
>続行を決めました。
>翌83年。「薬を飲み続けたら体が持たないぞ」の忠告も受けて、
>体づくりから再スタートしました。この年に200勝に届いた。
>関根さんが監督でなかったら私の成績に200の数字はなかった
>と思います。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202004090000601.html 松岡弘の不幸は真性のクズ武上四郎が監督になった
ことだろうね
それさえなければ200勝に届いたかも知れない >>56
そこから26勝プラス日シリ勝利
物足りないかどうかは人それぞれ分かれる >>10
酷使無双なんだけど稲尾さんよりはマシなんだよ
だからあの時代の投手にしては大往生といえる35歳まで
投げられたし壊れる以前に稼いだ勝ち星がやや少ない >>20-21
本人がよく言ってるように「六大学で投げるのが僕の夢
なのでどこから指名されても行きません」って宣言する
のは無理だったのかねえ?
拒否したときの態度がバッシングに繋がったのは間違い
ないだろうし >>46
ちょうどバブル始まるタイミングだったしな
不動産業界参入するには絶好のタイミングだったんだろう
第一不動産だっけ? >>50
創立時から暗黒が続くヤクルトで400勝出来た(晩年は巨人だが)カネやんに比べたら楽勝だろ >>15
ヤクルトで100勝出来た事が奇跡
他なら200勝いってたかもしれないがエース級って程の印象もない投手なんだよな石井一久って
10勝10敗防御率4点みたいな >>83
それは無い。
その二球団だから一軍で使えてもらってんだから。 >>27
まあ、カネヤンの頃は連投リリーフとか何でもありの時代だからなw >>82
NPB通算が143勝103敗
貯金40も作ってるのは立派 >>83
強いチームで三番手四番手でやるより
弱いチームで
エースとしてやる方が勝ちは稼げるだろ >>82
石井は大事な試合に強いからエースって感じだったな
ヤクルト前半時代に限るけど >>10
落合「杉浦さんが入れない名球会なんて意味あるの?」 >>90
フォークの神様が入れないんだから意味ない 杉浦についてはノムさんが生前、「杉浦はシンカーを投げる様になっておかしくなった。俺はシンカーじゃなくてスライダーを覚えろって言ってたのに」ってこぼしてた
と言いつつ高津には「潮崎のシンカーを真似ろ」って言ってるw 昔、稲尾さんは42勝した年があったらしい。
今じゃ考えられない。
そんな時代だと200勝到達も早いのだろう >>93
先発・休み・救援・救援・休み・先発
って感じだもん
救援だって1イニング限定じゃないし >>19
いや、9年で135勝やからヤバいぞ
15勝8敗 × 9年とか相当ヤバいやろ >>36
球威足りんやろ
むしろメジャー向きは槙原やろ >>97
9年で135勝なんて北別府と大して変わらんやん。 >>93
そりゃ昔はバッティングマシン無いわ癖を盗んで球種読むのはスペンサーやブレイザー辺り
からだわ反発係数の高いバットは無いわ更にVTR解析も当然無い時代だから
勝負所以外手抜きで年間200イニングどころか300投げても成績が極端に落ちる事は無かった
個人的に80年以前以降の投手成績は分けて考えるべきと思うし
もう山本昌の様に細く長くじゃないと200勝は無理かと >>100
北別府のいいとこどり9年で134勝だから、やっぱり江川凄いじゃん。 川崎徳次、真田重蔵は戦争がなければ200勝していたよな
二人とも名球会の資格はないけど >>101
米田哲也とかごく一部の例外を除いたらぶっ壊されてるよ
江夏豊が血行障害に苦しむようになったのも若い頃の酷使
が原因だろうし >>12
おっさんになってから行ったのにメジャーで大きな故障も無く毎年200イニング前後投げてたからな >>63
たった2年で30勝だぞ
ただしWBC後に怪我してダメになったんだよ
こればっかりはね 井端ももう少しやれんかったんかな
ニ遊間コンビで名球会はそう無いんじゃないか? >>101
そんな時代で1人だけ異次元の打球飛ばしてたらしい中西太はマジの化け物だな >>98
井川と同い年だからえらい大器晩成型だったな >>108
井端は巨人以外だったら名球会へのカウントダウンシーズン過ごしてたと思うけどな
由伸の引退のタイミングが悪かったわ >>105
そやね、金田国鉄監督時代みたいに4回迄で勝てそうならと勝ち星横取り以外
200イニング続きからの300イニングは翌年故障で100イニング代やぶっ壊れの原因やね
あとスレチやが最強日本人投手は金田じゃなくて野茂やと思うわ
NPB78勝新人から4年連続最多勝・最多奪三振・200イニング越え他
MLB123勝ア・ナ両リーグでノーノー他
近鉄時代右肩痛と代理人契約で実質干された1年半あって
NPB/MLB通算200勝・3000奪三振・3000イニングは不滅の記録かと
代理人の時のメディアや落合等のディスで何故か過小評価されてる気がするわ 江川斎藤桑田がいない時点で
名球会が全てではなく単なる1グループ分けに過ぎない >>115
ローカル番組で桑田と立浪の対談見て
名球会と野球殿堂の二つの勲章あるのに方や何もないというのがすごい違和感があった
ただ単に先輩という力、威厳だけが桑田を支えた 470本塁打の田淵、380本塁打の原、350本塁打の掛布がいないのも歪だよなあ 2000本安打より300本塁打達成者の方が少ないんだよな このままだと400ホームラン以上で満塁ホームラン20本のおかわりが入れないからな 昭和生まれという入会基準で、大正生まれは弾かれてる
金田ももういないし
平成と令和生まれは別の組織作って入会基準も変えたらいいとおもう >>94
その2人は120勝くらいだろ、凄いけど
星野仙一は投手として過小評価されてるが通算148勝だか143勝だから凄いんだよ
長く現役やったわけじゃいのに 斎藤雅樹はキャリアを通して普通のローテ投手だったけど
3シーズンくらい化物みたいなピッチングしてたからな >>120
もうすでに規約が「昭和生まれ」から「昭和生まれ以降」に変えられてるから
平成生まれも入会条件クリアしたらおそらくそのまま名球会に入会するだろう
これまで入会資格があるのに無視するか明確に入会辞退の意志を表明した者は3人しかいない ハンカチが引退するまでの公式1軍イニング数と年俸更改数どっちが多いだろうな >>32
逆に松坂、岩隈は無理っぽいね!特に松坂はソフバン時代の未勝利が響いているな! 黒田なんかは
最高16勝、15勝以上2回で
20年で200勝だから
一見無理ゲーでもなさそうなんだが
ケガで長期離脱すると厳しくなるんだよな やっぱり自分の世代だとヤクルトのエース松岡弘だな。確か後9勝で達成だったはず。弱小球団じゃなかったら多分余裕で達成してたんだろうけどな。 そういや、中日の郭や西武の郭も記録に届いていないんだな。
鈴木孝政と小松辰雄はセーブ(抑え)もやってなかったっけ? 大野豊や佐々岡はチーム事情で抑えをしてたけど、先発に専念させたらいけてた。 >>25
金子の「弌」は何と読むんだ?日本人として初めて知ったぞ! 名球会に入れそうな奴らはこぞってメジャー行っちゃうから国内記録限定してたら二度と出てこないな >>120
昭和と言う基準なくなったろ?
それでも年号に関係無く
昭和以降って事で大正は入れて無いね
フォークの神様が入れないって
なんだかな… 斎藤雅樹と上原の日はたいがい8時半にはヒーローインタビューも終わって、巨人軍の歴史みたいな時間潰しVTRを流してた記憶 菅野や則本も30突入
今の20代で期待できそうなのっていないのか? 意外も何も知ってるから何とも思わない
200勝つのはたいへん 今時勝ち星なんて向こうでは何の指標にもなってないんだけどね >>122
89 20 07 1.62
90 20 05 2.17
91 11 11 3.38
92 17 06 2.59
93 09 11 3.19
94 14 08 2.53
95 18 10 2.70
96 16 04 2.36
97 06 11 4.11
98 10 07 3.08
普通のローテ投手かあ‥ 200勝を達成している山本昌はチームの中では2番手、3番手の投手なんだな。
無双したのは93.94.97年のみ。そこそこの活躍を長く続けたら200勝に到達したということか。 >>57
斉藤のスライダーは、高速で最後にキュッと曲がる、当時で言う高速スライダー、今のカットボールだろ
変態的な曲がり方をしてたのは伊藤智仁とかであって、斉藤はそういうタイプではなかった記憶 >>61
西口は年俸交渉で無抵抗すぎてかなり抑えられてたよね
今なら3億4億もらってたはず 西口はいい時と悪い時の差が大きかったイメージがある
あとパーフェクトやノーノーをよく惜しいところで逃してるイメージが
達成させてやりたかったな >>92
体つき、筋肉、投げ方、腕の振り方 人によって違うんだから教え方も違ってくるのは当たり前 >>138
それはそれでつまらんだろ
データ偏重になりすぎた今のMLBなんてシーズン序盤は先発を50球を目途で降板させる惨状だぞ
そう遠くないうちに先発の概念すら無くなるといわれてる始末
(中継ぎ3回→中継ぎ2回→中継ぎ2回→セットアッパー1回→クローザー1回)で9回を回す
こんなのの方が面白いと思うか? 斎藤雅樹って200勝してないの?ずーっと投げてるタフなイメージだったけどな
阪神ファンだからそう感じるだけか 完全試合1回、ノーヒットノーランを2回の広島の外木場を忘れないでくれ あと弱小広島で197勝した小さな大投手長谷川良平も >>146
覚醒が遅かったし怪我も早かったから、全盛期は数年だった
その全盛期のインパクトだろうな >>149
覚醒は2年目だから遅くはねえよw
クソ王が干したのが全て
86序盤に打ち込まれることが多かったが
我慢して使うべきだった >>135
200勝するとしたら、高卒なら3年目くらいからローテーションに入り、
酷使されない前提で毎年10勝以上を15年くらい続けてどうにかというところ。
オリックスの山本とかは今後ケガなく続けたらチャンスはあるかも。 オリックス山本いいねー
どしっとして、見てて安定感がある
山岡もいいけど息が長そうなのは山本だな
あと笑顔がかわいい
まあ勝ち数はチームの強さも関係するからオリックスが強くならない限り200は難しい気もするが 石井はチームのことを考えずに、自分と子分のことばかりなんなよな
GM向いてるのか? ランディ・ジョンソンは30歳で68勝だからまだチャンスあるぞ >>151
理想的なキャリアの積み上げ方は北別府だろうな
高卒でプロ入りして3年目で初の規定投球回到達と二桁勝利
そのまま30歳過ぎまで過度な酷使も大きな故障や不振もなくコンスタントに勝ち続けて
30代半ばごろに力がめっきり衰える前に200勝到達
大卒は大卒って時点でもう厳しいな…… 斎藤は疲れてくると顔が死んでくるから子供でもわかりやすかった >>148
広島だからエースになれたし
長谷川良平中心に回してたってのはあるよ >>160
エースってことは相手エース投手と当たる可能性が1番高いんだよなぁ こっちのほうが驚く
工藤公康 224勝
山本昌 219勝
江夏豊 206勝 >>151
雑魚オリックソにいるうちは無理だろ
早く脱出できればあり得るが >>160
当時のエースなんて酷使されまくりだからただ過酷なだけなんだよなあ 江川は現役期間が短かったから「意外」ではないだろ。 200勝する投手ってのは大体制球がいいんだが野茂と石井は異質だったな
石井とかどうせ要求したところに来ないからと古田が常にど真ん中にミット構えてたからな
そっちのほうが適当に球が散らばるとか言って >>155
北別府は確かに理想的なキャリアの積み方だね、しかも稼働していた時期の大半で
広島がAクラスだったことも勝利を重ねるにはいい環境。
>>161
本来なら相手がエース級のときは捨て試合にして、相手の先発が2番手以下の試合に
こちらのエース級をつぎ込んで勝つ確率を上げるというやり方もあるけどね。 >>162
工藤は上手くサボりながら現役続けたのがよかったんかな
昌は二番手三番手でコツコツ稼いだイメージだな >>29
巨人坂本は張本の安打記録を抜きそうだけど
何十本か損する >>131
本来は「いち」とか「ひと」「ひとつ」とか読ませる漢字。なぜ弌大で「ちひろ」なのか検討つかない。 >>2
先発が発表された時点で対戦チームはお通夜状態 >>161
逆だろ?
エースで負けるわけいかんから避ける >>180
名球会立ち上げたときの話だ。分かりにくかったか >>182
その時は昭和限定だったからな
今は昭和じゃ無くてもいいけど
大正はだめってのが
納得いかん >>146
阪神ファンからしたら先発が斎藤の日は勝てる気がしなかったな >>183
杉下ってまだ存命なんだな。
他に対象者はいるのかな 大卒の佐藤義則(阪急)には200勝の
ハードルは高かったか 昔江川は130試合制でフル回転で31試合登板。
今菅野は143試合制で28試合。
厳しいよ。 江川、遠藤、外木場はじめ
個人的に全盛期なら最強と思える投手が130勝台に固まっている
130勝投手最強論 野手は単純に1割り増しだもんな。2000本が増えるよ。 大学経由で2000本。
長嶋
山本浩二
有藤
落合
古田
金本
阿部
原も余裕で行けるはずだったが。 >>183
金田が自分より年上を排除したがってたって言う人いるけど
実は名球会発足当初の最年長会員は金田ではなかったりする >>25
内海は余裕で200勝行くと思ってたけど全然だな 大学経由追加
谷沢
井口
稲葉
新井
宮本
和田
青木
鳥谷
小久保 >>36
劣化版の阪神川尻がメジャー相手に好投してたから行けたかもな >>77
何をもってマシと言っているのか。
単に投球回数のことを言ってるなら短絡的。 稲尾さんは剛速球キャラみたいに思われてるけど快速球とコントロールが身上だったからな
カーブはダメだったらしいけどw >>78
両刀使いなんてされてない。
先発する2日前に投げ込みするから、
それにあたる投手がリリーフで使われてただけ。
たまたま槇原のケースが多かった。
ちなみに斎藤も、リリーフ登板する予定があったが、ブルペンて準備してるときに味方が大量得点して、投げなくてよくなった。
そのお陰で連続完投勝利の記録を作れた。 斎藤は少し生まれるのが遅ければメジャー行ったんだろうな 斎藤の腕のしなりは凄かったな。
打席はもちろんキャッチボールもやったことなどないけど、打者からは腕の振りが見えなくて、体からいきなり速球が飛んでくる感じだったんじゃないだろうか?
その関係で痛めて単なる腕投げになってアウト。 1987年入団の阿波野と西崎はそれぞれ最初の4シーズンで58勝、59勝と素晴らしいペースだったが、
2人とも5年目以降は成績を落とし名球会には遠く及ばず。
まあ西崎は5年目以降も何回か2ケタ勝ったけどね。
大卒で即ローテーション投手になったこの2人でも200勝はできないとなると、
大卒で最初の4シーズンでほとんど活躍できなかった黒田の200勝は奇跡に近い。 >>192
原は今の試合数なら2000本は厳しいかもしれないが400本塁打は打ってたな >>190
そんなら、横浜一筋の 斉藤明夫 もいれてやってや・・・www
128勝 125負 133セーブ
個の価値分かりますか・・・www
甲子園には京都の花園高校時、外野手で一回出ているが、ほかにこれといった
成績ナシ・・・www しかし大商大で投手として大学選手権準優勝、それにプロになってから
セーブの133は必見に値する・・・www わかりますか・・・www 西口は大卒だからな
大卒200勝は村山実と黒田(日米通算)の2人しかおらんし >>187
よっさんは
1980年 絶不調
1981年 故障で1年を棒に振る
1982〜83年 リリーフ転向
で4年間勝ち星を稼ぐチャンスを喪失したから
この4年間2桁勝利を維持してれば200勝いけた 石井一久は松井秀喜をカモにしてたイメージなんだが調べてみたらそうでもなかった >>179
野球見たことないだろ
開幕戦にエース同士投げあうの見たことないのか?
にわかかなw 斎藤雅樹は、酷使で潰されたよな。
分業制が当たり前になってるのになぜか斎藤だけは
完投当たり前になってて、打たれない限り交代させてもらえないの >>11
90年代最強は野茂英雄に決まってんだろどう考えたって。 >>212
でもそれって斎藤が望んでそうなってたんだけどな
10年くらい前のインタビューで完投しなきゃ負けだと思ってて途中降板だけは嫌だった後悔はしてないって言ってた >>190
80年代に活躍した選手は投手も打者も選手生命が短かった。
これは90年代にNPBのレベルが急速に上がっていったので
実力的についていけなくなったからだよ。 20年以上前のスポーツニュースで
オリックスのイチローが
インタビュアーの松岡弘(通算191勝)を小馬鹿にしたような態度をとってた
あと9勝してれば、イチローの態度も違っただろうなww >稲尾さんは剛速球キャラみたいに思われてるけど快速球とコントロールが身上
オレも一緒。歴代名選手の紹介本なんかを読んでいると、チカラのある
ストレートでバッタバッタ三振を取っていたのかと想像していたが、
亡くなられたときの追悼記事によるとスライダーを持ち味にしていたと
初めて知った。
意外とスライダーって歴史のある球種だったんだな。
あと、ライオンズの投手は東尾、西口、松坂とみんなスライダーが
得意なのね。 全然、関係ないけど1970年代後半から1980年代って、何が理由かは
知らんけど、投手のノーヒット・ノーランが殆どなかったんだよね。
ホント、よく中日の近藤が達成できたと思うわ。 斎藤はバッティングも良かったんでサイドスローでも駄目だったら多分打者に転向させられてた すいません、愛甲さんは高校→入団時はオーバースローで
途中からサイドスローに変えましたが、駄目だったので、
打者に転向致しました。 >>213
ヒデオノモは90-93の4年だけだからな >>7
槙原は中日に移籍してたら達成したかもな。
斎藤は先発にこだわってダラダラやっても微妙。
桑田も微妙。 >>218
星野がリリーフ専門になったのは晩年だけ
リリーフで付いた勝ち星とかほとんどない >>222
元のスレでは他の年代の奴らだって前半後半分けたりしてんだろ
なんでノモだけ十年間続けてという制約なんだよ
アホ >>220
斎藤も桑田もバッティングがいいとか巨人だけDH制みたいだな >>220
当時の二軍監督の須藤が言ってたな。
投手辞めないで良かったよ。 >>96>>101
ああ昔は先発・中継ぎ・抑えって役割分担が確定してなかったし、今の様に先発が中6日でしっかり休養とれる様なシステムじゃ無かったな。 >>93
その翌年以降先発、中継と酷使されたツケがきて、引退までの勝利数は42勝しかしていない。 >>14
杉浦さんを悪く言うつもりはサラサラ無いけど戦前〜60年代くらいまでのスーパーエースは通算2点台がわりといる
大野とか斎藤雅みたいなのは相当なレアケース >>213
野茂って防御率悪いし、四球多いし斉藤より劣る >>231
大野豊は兄貴が何かのトラブルになるまでは先発で防御率0点台の年があったな 小久保が2000安打まで残り1になって怪我したときに、このまま引退したら伝説になれたのにと思ったのは俺だけではないはずだ >>82
おまえメジャーから戻った後しか見てないだろ >>233
1988年だったような。
その年は阪神のバースが息子の病気で帰国したっきりで退団になったり掛布の引退問題、阪神球団社長自殺、近鉄デービス大麻など何かとトラブルが多かった。
大野兄の件もその頃にあったような >>206
大卒入団で12年間規定打席到達で100安打20本以上続けたのは原だけ。 >>231
マシン使ってのバッティング練習もない大昔とは違うからな
1970年以降にプロ入りした投手で通算防御率2点台は現時点で3人しかいない
ある意味200勝に匹敵する難易度 >>237
有藤さん(ロッテ)が、それに次ぐのかな? >>1
砂漠のマスカレードは、まじめなネット工作員
自作自演でスレを伸ばすのが上手です >>238
私生活の乱れ。
一歩間違えたら近鉄前川のように処分されてたかも。 江川のせいで阪神行った小林も巨人にいたら200いけたと思う
けどズルズルやるの嫌いそうだから巨人にいても年10勝てなくなったらやっぱりスパッと辞めてたかな >>238
引退が早すぎたね
パ・リーグに移籍して打撃スタイルを変えてたら2000本安打は
確実にクリア出来たよ >>207
勝ちと負けとセーブの数字が全部100オーバーというのが斎藤明夫の面目躍如?!
頭上を抜かれてグラブを放り投げて審判にドヤされて、すっぽ抜けただけだとか言い訳してたな。 >>226
堀内や江川も良かったし巨人のエースはバッティングも良いイメージが強い >>25
菅野ってまだ100勝してなかったんだ
なんかずっと巨人のエースってイメージだったんだが最近のことなんだな >>239
人力ではありえない速球や凄い変化球も疲労と無関係に延々と可能というのが何ともかんとも。
極端なのは時速300キロなんてのも試作したけど意味ないから没とか。 >>226
横投げに変える前に投手としてダメなので野手転向も打診だか考慮だかしてたとか。 >>25
山本昌みたいな記録の残し方ならみんなぬ200勝のチャンスありか 打者2000本安打、投手200勝
ヒット10本=1勝
ヒットは消えないけど投手はクローザーが打たれたら勝利が消える
打者は試合負けてても退場なくヒット打つチャンスあるが投手は打たれたら交代
投手のハードル高すぎて割に合わないな >>46
ああ
そう言えば昔読んだ本で
江川の入団経過を嫌った王は江川に対してかなり冷たい態度をとっていたとあったな >>25
田中はまだ30歳なので、大きな故障がない限り200勝には届きそう。
ダルビッシュはCHIとの契約残り4年間で、サラリーに見合った働きを続ければ
毎年12勝くらいして200勝にたどり着けるかな。 >>162
昌は記録のために
普段リアリストっぽい落合が不調でも昌を使い続けてkるえたからな >>257
通算170〜180勝が同時期の同チームに3人もいたから分散したのかな。他に宮本もいたし >>261
選手生命に影響を与える怪我をしないことが大事 >>263
イチローと黒田は親に感謝だな。黒田は引退セレモニーで丈夫に
産んでくれた親に感謝の言葉を言ってたような記憶があるが >>261
今の時代200勝するなら
30代後半下手すりゃ40過ぎでも10勝前後積んでかなきゃならない
3人ともそれができなかった >>134
槇原vs大野だと8時半には延長12回に突入、みたいだったな >>261
長嶋批判じゃないが10.8決戦94・メイクドラマ不発95・メイクドラマ96の
イニングだけでは測れないシーズン終盤の酷使で一気に劣化した印象
大森等の松井以外は打者・投手共ドラフト失敗続き
中継ぎいないチーム状態で95桑田故障 >>259
田中は大きなケガしないで強いチームに居られればひょっとすると東尾以来の250勝いけるかもね
もしそこまで勝てたら日本プロ野球史上最高のピッチャーは田中って言ってもいいレベルだと思う >>171
工藤は170イニング以上投げた次の年は170イニング以下しか投げなかったからね
上手く休んでたから長持ちしたんだろうね
伊藤智仁とかジョニー黒木みたいな男気あるタイプは痛くても無理して投げて悪化させて短命で終わる >>63
メジャー最初の2年で34勝
2年目のオフにWBCでハッスル >>250
斎藤雅樹はバッティングが良かったどころか王監督は野手転向させて吉村とクリーンナップ組ませたがってたんだよ ショートで3番4番打てる とまで言ってた記事を読んだ記憶ある
王監督が極端に原を見下してた印象もあるけど
なまじっか打撃も守備もセンス抜群だったのが仇なったかも >>252
山本昌ディスってるのか?
昌は最多勝3回も取ってるんだぞ
そんなことは最多勝一回もとらずに200勝した工藤公康に言えw >>255
アホか、球史に残る名キャッチャーだろが >>257
個人的には原sageするつもりは無いけど もう少し打てる「4番バッター」だったら斎藤 桑田 槇原の通算勝利数は増えたと思う >>278
原って.280 32本みたいな成績を10年連続で残せるような選手やん
かなり優秀やん >>278
吉村がケガしたのが大きかったと思う
吉村が居たら巨人打線が強かったのはもちろん原ももう少し楽に打席入れたんじゃないかな いま思えば、鈴木啓示も凄いピッチャーだったんだな。
FA制度が古くからあれば、きっとFA移籍してたんだろな。 >>283
監督とモメて一選手の身でありながらヨソの球団の監督んちに電話かけて
ワシをトレードで獲ってくれまへんか?などと持ちかけるくらいだからな
FA制度あったら使ってただろうな >>275
あ、見込んだのは王さんか。
野手なら選手生命はもっと伸びてたかね。
まあ、投手として十分活躍したとは言えるから、良いんでねーの? >>286
沢村賞は後一回取れていてもおかしくは無かったんだよね、20勝して取れなかった年があるから 桑田は野手なら名球会入れたかも
肘を怪我しなかったら余裕だっただろうが >>278
実は80年代の10年でホームラン、打点が一番多い打者は原らしい 名球会入会資格として『昭和生まれ』というのがあったな
大正生まれを排除したのが何でか知らんよ知らんけど当然平成生まれも排除するんだろうな当然
じゃないとおかしいもんね
もう名球会は終わりだ終わり >>284
他球団に後から入って来た自分より実績で劣る投手にも年俸であっさり抜かれたりして
その不満を契約更改後の会見で公言してたくらいだから 石井は90年代最速の先発左腕
キャラとモデルチェンジのせいで評価低すぎ >>296
89年は斎藤と西本が20勝で並んでいたが
両リーグで唯一選考基準オールクリアしていた斎藤で文句なし
90年も20勝したが18勝の野茂にもってかれた
総合的な成績は両者拮抗していた 名球会には実は知られて無いが、もう一つ条件が有る
昭和以降生まれじゃないと2000本安打・200勝をクリアしても入れないと言う条件
これは名球会の産みの親のカネやんが、単に安打数と勝利数だけを条件にすると
先輩の川上や別所などが入ってきて、小山の大将で居られなくなる為w >>278
手首壊れる前の原はいい打者だった、壊しても30本弱ホームラン打ってたから凄いんだけども。
三本柱は時代もあって完投が多いのも原因か、
もっとも中継ぎ抑えが糞すぎて完投しないと勝てないし
エース級とぶつかりまくってたけど。
広島の北別府、大野、川口との潰し合いとか川口が絶好調ならロースコア対決すぎてガキにはつまらなかった。 原は大洋あたりに入ってればもっと成績上がってただろうね、巨人にいたら2安打してもチャンスで打てなくて負けたらマスコミに叩かれる 90年は後半ヘロヘロでお情け20勝
日シリ不安視されて案の定KO
V9時代なら日シリターゲットにミニキャンプ調整だったろうな
川上に遠く及ばん藤田の甘さだわ 原は打率3割を4度達成してんだな
4番としちゃ全然悪くない成績
でもTVだとポップフライか三振のイメージだから擦り込みって怖いもんです 「俺たちが若い頃は、斎藤、桑田、水野で
二塁、三塁、ショートを守れば、巨人は
黄金時代になると言われたもんだよ」
(元巨人:水野雄仁)
※3人の共通点:投げて守れて、打撃センスもあった >>254
20年ずっと同じ成績で稼働する選手がいるとしたら
投手は毎年10勝なら名球会
野手は毎年100安打で名球会
こう考えるとハードルの違いがわかるな >>254,305
エース級なら20勝は当たり前で、
30以上勝つのも珍しくない時代の規定だからな。
今はその半分でも一流扱いなのに。 >>302
原は打線爆発の時は追い討ちでよく打つけど、窮地回復の一打はあまりなかったイメージ。
あとシーズンの形勢が定まった後によく売ってたイメージも 松岡弘が一番先に頭に浮かんできたな
スピードガンがない時代に活躍した大投手だったけど全盛期は150キロ越えてた
ヤクルトのような弱いチームで190勝到達したんだから桑田の174勝より価値はあると思う セリーグに入団した高卒のピッチャーで過去30年の1990年以降に入団した選手で100勝以上したのは3人しかいない
石井一久と三浦大輔、前田健太だけ >>308
名球会が発足したときには現場はすでに分業化されてたんだけど、分業化が行われてなかった時代に記録を達成した人たちによって名球会が立ち上げられたってのが正しいかと >>310
ほぼ毎年2桁勝利で190勝までは順調だったのに、
そこからピタッと勝てなくなったんだよな。
同世代の堀内や平松はギリギリ届いたのにちょっと可哀想だった。 >>37
投げ下ろすようなフォームで打者の手元でノビるから尚更な >>291
昭和生まれじゃなくて昭和以降生まれだよ >>295
球速落ちても三振取るのは上手かったよね >>317
当時、阪神なんかより親会社の規模ははるかに大きかったのにな >>307
引退後も仕事に困らなくなる
(フリーでも解説者や野球教室とかの仕事が) >>308
名球会ができたのは1970年代後半
この時代にはもう先発ローテーションの概念は確立しており
シーズン30勝をあげる投手はとっくにいなくなっている(よっぽど勝っても25勝あたりが限界)
最多勝利投手の勝利数が20を割り込むシーズンがぼつぼつ出てきたのもこのころ 名球界のイベントだと
名選手揃いなのにダントツ王の周囲に人が集まるパターンが多い
王も気さくに対応する まあ原の場合、比較対象が王、長嶋だったから
かなり損してる 原の後の巨人の4番も落合、清原、松井、阿部だもんな
前も後も凄すぎてシャレにならん 監督としては原はONを越えられたって事で良いのかな >>196
ボンズがぜんぜん打てなくて「さすが日本のナンバー1ピッチャー」って言ってたな川尻のこと >>330
FAで取りまくっても優勝できなかった長島のことか 本島に惜しかったのは
長谷川良平197勝
毒島章一1977本 >>333
毒島どくしまとしか読めない
2000本達成したも同然として引退させられたのはこの人かなとウィキ見たらそうだった >>217
ストレートは一球ごとに握り変えてたって言ってたな
ストレート全部微妙にム〜ブ そりゃ42勝するわ その稲尾が他には投げないフォーク使ってたとか言う榎本喜八てどんだけヤバいんだ >>259
田中は史上初のメジャー日本両方で100勝も狙えるな
日本で今99勝だから帰って来て1勝する必要があるが >>327
たしかに、原は気の毒だよ
対戦相手と戦うと同時に王長嶋の亡霊とも戦っていたんだろうな 若手時代の王だって川上の後釜だっただけに凄まじい叩かれ方だったと思うんだけど。 >>2
たとえ200勝してなくても勝率は高いから
負けないというのも凄いことやね 現代の選手は今回のコロナ禍でかなり通算成績損しそうだな
今年はもう無理だし来年も143試合とかやるのは無理だろう
戦時中に川上やら野口二郎スタルヒンなんかが野球できずに
かなりのロスが生じてるが
現代において同じようなことが起きるとは思ってなかった >>299
これが痛かったかな
毎回1-0,2-1とかみたいなスコアだったし
子供の頃は見ててもつまんなかった
今なら逆にそっちを堪能できるのだけど >>339
テレビ中継もかも
あの頃は基本19時開始のテレビ中継で
原は既に先制打点あげてたのに(始まった時点で)
中盤からの中継になるから勝負弱いみたいなイメージ刷り込まれて 山本浩二や掛布が巨人の4番だったとして原なみに打てたかどうか疑問 >>303
でもファースト中畑(駒田)、セカンド篠塚、サード原より
その三人が打てるとは思えない
巨人の80年代の内野はショート以外は凄いって
ショートの岡崎と鴻野淳基は巨人打線の中だとかなり落ちるが >>344
パリーグの打者なんて、ダイジェストニュースのいいとこしか映らないからいつも打ってるイメージだったな
原辰徳は凡退ばかりがワーワー言われた感じ >>345
山本浩二は打つだろ、長島よりOPSが全然いいだろ
今でいう柳田みたいな選手だし >>347
だね
落合とか有藤とかロッテだからのびのびやれてただろうし
清原なんかも西武時代はニュースで打つところだけTVで流されて、巨人移籍してからは凡退とところばかりニュースで放送されてた >>349
有藤はともかく落合は中日時代もOPS1.000越え3回やってるし晩年の巨人時代でさえOPS.800切ったことないぞ >>25
松坂、田中でもいってないのか
田中はこの先まだ十分あり得るけど既にいっているのかと思っていた 平松さんて、なんか同情してしまう。
最後までホエールズのユニフォームを着ていたけど、
結果、日本シリーズとは無縁だった。
200勝到達したけど、チーム優勝に無縁だった人って
少なくないのかな? >>352
田中は高卒1年目から大きな不振もなくずっと数字残し続けてるからめっちゃ順調な部類だぞ
田中は去年で高卒13年目満31歳で日米通算174勝だったが
200勝投手の工藤はその年齢の時点ではまだ通算113勝
山本昌にいたってはたったの88勝だった 木田勇って、入団していきなり、20勝した凄いピッチャーだったけど、
2年目以降はパッとしなかったな。
本人はテレビで原因は他球団に徹底研究されたため、みたいな事を
言っていたけど、本当にそれだけだったんだろうか? 本人たちがやりきって誇りに思えてるならもらえるもらえないはなんてことないんだろうけど、名球会や殿堂入りじゃない評価軸があればいいのに
殿堂は後々あるのかもだけど、勝手なファン心理としてはこれらの選手がすごかったことが何らか評価として残ってほしいわ >>354
田中がここから山本昌ペースになったら300勝できるのか
夢あるな 米田哲也とか異常な酷使に耐えてしまったバケモノがごく一部
居ただけで当時でも酷使でぶっ壊された投手が大半なんだよ
そういう同時代の消えていった投手を無視して「今の投手は・・・」
とか言ってるから老害扱いされるんだよ米田とかは >>278
贅沢言いすぎだろ
原辰徳レベルの成績残せる打者がどんだけ居るんだ 杉内(ソフトバンク)って、年毎に成績に安定しなかったの? >>300
2年目から関根さんに監督が代わるしね
初年度がド無能土井淳なのが大問題だが >>313
平松さんは肩痛で関根さんに引退を申し出たんだけど
たまたま直後の試合で勝ってまたやろうと決意
そして翌年200勝を達成出来て感謝してると先日追悼
してた >>355
当時の監督だった大沢親分の著書にそのあたりのことが書かれてた
詳しいことは忘れたが >>353
プロで優勝経験ない200勝投手は平松だけ
そして甲子園優勝した200勝投手も平松だけ
…のはず 長嶋信者の団塊老害族が思い出補正で「長嶋はチャンスに10割打った。原は7割も凡退する(=3割打つ)からチャンスに弱い」と言い出す。
ほんとにもう… この時代に一番殊勲打(先制、同点、勝ち越し、逆転打)が多かった4番は原だったのだが。 >>367
戦前組がいたか
名球会の中ってことで一つ >>365
多分チーム成績も大きかったんじゃないかな
長嶋はV9時代で日シリにも強く最後勝って終わるから印象良く終わるけど原は毎年優勝する訳じゃないし日シリにもそこまで強くなかった
あとはONは基本リーグ最強の成績だけど原より上の成績の4番が他にいたのも大きかったんじゃないかな >>359
当時だけでもリー兄弟・落合・ブーマー・バース・クロウ・浩二・掛布・門田・秋山(打率以外)等結構いたが。 >>313
ヒロムの晩年はヘロヘロ球で
元々素直な球筋だからまさに打ち頃
「あ、これもう何回投げても絶対勝てない」思ったわ >>355
ルーキー年 22勝 年俸720万→1440万
二年目 10勝 1440万→1440万(現状維持)
ひどい話だよな当時でも大企業リーマンなら500〜600万もらってたのに
今の時代なら二年目で一億越えの成績だろ 斎藤雅樹はふっくらしたニヤけ顔のせいでイマイチ凄い投手という印象がない
名前も普通な感じだし
それでもよく先発で投げてたから軽く200はいってるだろうと思ってたのに意外だな >>320
足立ってむしろ
「日本シリーズ専用機」のイメージしかないわw >>377
「日本シリーズ専用機」と言えば大塚光二のイメージ >>276
40代で勝ち星を積み上げるって意味ではないか? 2000本安打達成者が52人
150勝達成者が48人
150勝ぐらいが適正だと思う >>380
名球会もそれはおそらくわかってるだろうけどそれ採用すると
2000安打=200勝と2000安打=150勝の時代をどこで区切るかでもめるからまず採用されない
2000安打と200勝の難易度に差がない時代もあったんだからどこかで線を引かなきゃならなくなる
250Sのように入会資格の追加はありえても最初に決めた数字を変えるのはないと思う まあ、金田のような超絶大親分が提唱するのでないとまとまらんだろうな。 楽天の松井が今季から先発に転向するらしいけど、
どんなにセーブ数が多くても、やっぱり、200勝
しないとダメ? >>310
立民の支持率、維新に抜かれましたが、
パラレルワールドに御住みでしょうか? ( ´・ω・`) 高橋一三は何度も20勝してるので200越えだろうと調べたら
通算167勝とは意外だった
V9の立役者の一人だったが好不調の波が強かった
200届かなかったのもそのあたりが影響したのかな >>340
王は最初6番ぐらい打ってたし、すでに長嶋がいたから
そんなにも叩かれてない、
三振王と揶揄はされてたが、高卒選手にそこまで高くは望まなかった
1本足に替えて覚醒したから、原ほど叩かれてない >>384
楽天松井はその前に今季(あればだが)の心配した方が良くないか?
いきなり大炎上してたやん >>390
高卒2年目から5年連続で50試合登板だからな
よっぽど頑丈じゃなきゃそろそろ危ない気もする 去年68試合も投げてるんだな
クローザーにしちゃ投げ過ぎだね
もうちょっとセーブ機会に限定して投げさせてあげないと20代で潰れるよ いまは楽天にいる、岸(元西武)ももう、30代半ばなんだな。
あと、10年は現役でいてもらわないと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています