関根さんの口癖は「僕は勝負する監督ではない。
育てる監督」で、広島・山本浩、衣笠、ヤクルト・広沢、池山らを一流選手に育てた。
熱心な指導とともに、鋭い観察力を持った人だった。
私の新人記者時代、巨人の2軍監督だった関根さんと一緒に練習を見ていると、3メートル先にルーキーの篠塚(和典)が背中を向けて立っていた。
「これ(篠塚)はすごいよ。良くなるよ」。関根さんはそう言うと、小声で「シノ(篠塚の愛称)」とささやいた。
呼び掛けたわけではないが、その声に反応した篠塚が振り向いた。「ねっ! 言った通りだろう。こいつは背中に耳を持ってるから」。
常に集中力を持っている選手だと言いたかったのだろう。あの時の関根さんのうれしそうな顔が忘れられない。

「プロ野球ニュース」でのひょうひょうとした語り口から「ソフトで優しいおじいさん」のイメージがあるが、素顔は筋金入りのやんちゃだ。
「球界の寝業師」の異名があり、旧友でもあった根本陸夫さん(元ダイエー監督など)も「潤ちゃんの方がはるかに上だった」と、一目置いていた。

大洋の監督時代、本紙に辛辣(しんらつ)な表現で采配を批判されたことがあった。
記者に対して取材拒否をするような心の狭い人ではないが、その記事を見た日から長年取っていた本紙の購読をやめてしまった。頑固な人でもあった。

5、6年前に東京ドームでお会いしたのが最後になった。「相変わらず、お元気ですね」とあいさつすると、あの人なつっこい顔で答えてくれた。
「うん。でも、じきにお迎えが来るよ。僕が行くのは(天井を指さして)あっちじゃないけど」。
そして、ニヤッと笑って付け加えた。「地獄には友達が多いからね」。人を食ったようなことを平気で言う人だった。

根本氏が亡くなってから21年。「ネモ! 待たせたな」「おう、潤ちゃん。待ってたぞ」。
今頃は天国で日大三中時代のバッテリーに戻って、根本さんとそんな会話を交わしているだろう。関根さん、あなたの行った先は地獄ではありませんよ。(洞山 和哉)

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4/9(木) 19:24配信

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https://www.youtube.com/watch?v=FRSm_XmGkeg
篠塚和典 伊藤智からサヨナラ本塁打 巨人 vs ヤクルト 1993年6月

https://www.youtube.com/watch?v=ncu58zkycMU
誤審?篠塚疑惑のホームラン 1990年4月 巨人 vs ヤクルト

https://www.youtube.com/watch?v=ZYOeqD956Gw
【懐かしの巨人応援歌】篠塚和典(利夫) 応援歌(1984)

http://npb.jp/bis/players/81383844.html
成績