【追悼】24年前、突如広まった“志村けん死亡説”とは何だったのか
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【追悼】24年前、突如広まった“志村けん死亡説”とは何だったのか
みんな自分こそが「志村世代」だと思っている
ラリー遠田 3時間前
「志村けんが死んだ」
今から24年前の1996年、そんな噂が日本中を駆け巡ったことがあった。「栃木県の県立がんセンターでがんで亡くなった」「四十九日が過ぎるまで遺族の意向でそのことが伏せられている」といったもっともらしい話がまことしやかにささやかれ、テレビ局や新聞社に問い合わせが殺到した。
最終的には事態を収束させるために本人自らワイドショーに出演。レポーターから「志村さん、死んでるんですか?」と問いかけられ、「生きてるよ」と笑って返していたのをうっすらと覚えている。
志村けんさん
https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/b/1/1500wm/img_b1724ba9043e0efbbd20eba2cecb1e3a1172909.jpg
本音をさらけ出すことはない“コント職人”
あのとき広まった死亡説は、今となっては根も葉もないバカバカしい噂話に過ぎない。だが、この噂話がそこまで大きく広まったという事実は、志村という芸人がほかの芸人とは一線を画す特別な存在だったことを象徴している。
そもそも、1996年当時の志村は自分の冠番組以外にはほとんど出ていなかった。彼が継続的に出演していたのは『志村けんのだいじょうぶだぁ』からタイトルを何度も変えてリニューアルされているレギュラー番組と『志村けんのバカ殿様』『ドリフ大爆笑』といった特番のみ。『天才!志村どうぶつ園』のようなお笑い以外のバラエティ番組に出たり、ほかのタレントが仕切る番組にゲストとして登場するようになったのはここ最近の話だ。
ビートたけし、明石家さんまといったほかの芸人が、さまざまな種類の番組に出て、素の自分として本音をさらけ出していたのと違い、志村はひたすら役柄になりきってコントを演じていた。
どの芸能人にも感じたことがない喪失感
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://bunshun.jp/articles/-/36979 >>179
女版ぶーさんとしてのポテンシャルを買ってた CIAの人による情報がどれだけの早さで国内に広がるか伝達網の実験だったんだろ なんか一緒にいろいろ出回ったな
ドラえもんの最終回とか高橋名人逮捕とか 復活したのは人気者で行こうに出るようになって浜田と絡んだからと記憶している。人気者で行こうで久しぶりに見た時にうわー志村けん出てる。痛々しいって思ったもん。 流れ的には志村けんを救ったのは浜田で間違いないよ
梅宮、志村と浜田ショックだろうな この時期は失意の低迷期だったんだよな
後にアイーンで劇的な復活を遂げるわけだが
そのきっかけ作ったのが岡村。
似たケースで再ブレイクしたのがアメトーークの有吉。
現在の石橋貴明がこの時期の志村と境遇が似てる。 アイーンの名付け親はバッファロー吾郎Aじゃなかったかな
あれで志村は生き返った 俺が何したのよ?っていう志村の番組はやってたのに死亡説流れてたよな >>212
岡村はバイーンだよね
アイーン説には複数あるからどれかはわからない この時もフジ深夜で番組やってたし消えてはいないんだけどな それでも低迷期前からやってる言わば一度NOを突き付けられたバカ殿なんかを結局死ぬまでやりきったんだから立派なもんよ 復活って言うが何をもって復活なんかよく分からないんだか 岡村が真似してアイーンが話題になったとかいうのは
高校生ダンスでダンシングヒーローが話題になった荻野目と同じ 人がなくなるとアマチュア評論家が溢れ返るのはいつもの現象だね >>102>>108
ネットが無いからこそ、すぐ消えずにしばらく残るんだよなあ
ネットが無い時代といえば、芸能人や有名人の偽物がたくさんいて営業回りして金稼いでいたなw
今じゃすぐバレるw 70年代〜90年代にかけて数々の芸人の芸を怒濤のごとく見せられた庶民が
「さて、どの芸が良かったかな?」
と冷静に振り返ることができるようになったのが00年代。
「マンネリマンネリと馬鹿にしていた志村の芸も振り返ってみると本質を突いていて面白かったな」
それが再評価につながり復活の原動力となった。
価値観の評価に20〜30年というタイムスパンを要すのは特筆すべき事
志村が死んだのは悲しいが、でも生きているうちに再評価されたのは良かったよ
芸術家・音楽家、死んで久しく経ってから再評価された人間なんて世の中ごまんといる中で。 昭和は海外もこういう死亡説云々たくさんあったよな
ちょっとメディア露出ないと
あいつ死んだか?
って
酷いパターンだとマスゴミが〇〇死亡って記事出したりな >>48
タモリは司会シフトだからお笑いじゃないし
個人ならさんまが実質トップだな。
たけしも低迷期だったよ消えてはないけど。
天下と言うならとんねるず時代か。 いかがてしょうとかオーマイゴッドをやっていた時期だったから
少し迷走期に入っていた頃かな だいじょうぶだぁ→いかがでしょう
だからな
人気下降とともにタイトルも弱気になったと揶揄されてた 1996年が24年前って、そんなアホなことあるかいな・・・・ホンマや! 懐古大好きで80年代と90年代について
とどまる所を知らないほど喋る2ちゃんねるの40〜50代が
ゼロ年代については何故か一切口を噤むのは、
一つには、「竹中平蔵」という一人の政治家による
暗黒時代があったからだろうと思う >>1
志村けんの番組が終了して特番もなかなかなかったからだろ >>55
ヒムケン他多数
変なおじさんコンテストみようぜw 志村を助けたのは間違いなく松本人志。著書で褒めた時点では「え、あんな正反対の?落ちぶれジジイを?」っておもったもん >>240
96年の普及率はどうだったけな?
モデムも24.4kくらいだろ 一時期かなり落ちぶれてたな。
そっからたけしと一緒に番組はじめたっけ 浜田と志村が芸能人にイタズラするドッキリで、オール巨人が志村にダメ出ししてたの覚えてるw ダウンタウン以外との絡みは見てて痛々しかったな。
そんな中、志村動物園はうまくいったね。 >>25
山城新伍は冠番組いくつも持ってた頃でも割といろんな番組に出てた とんねるず、ダウンタウンが全盛の時な
あの時はさんまですら少し落ちかけたもんなぁ >>249
あとウンナンも全盛期
若手ではナイナイ辺りが勢いがあった頃だった
死亡説で思い出したけど堀江淳にも死亡説があったな 今回もデマだったりしないかな(´・ω・`)
だって家族も誰も遺体見てないんだよね 大物芸人の迷走期の冠番組
たけし→ビートたけしのつくり方
さんま→生さんまみんなでイイ気持ち!
志村→いかがでしょう、オーマイゴッド >>1
カトケン→だいじょぶだぁ
の頃はソロ志村ブームだったんだよ
ブームが去って消えた感じになった
晩年のように他のバラエティやトーク番組出たりは一切してなかったのがデカい
バカ殿とか大爆笑も定期的に放送してたけど
作り込まれたコントだし当然録画だし
近年のバラエティ風おしゃべりコーナーも無かったから
現実感が希薄なタレントだった
昭和スターのまんまだった
志村がスターじゃなく生活感ある“TVタレント”になったのは
岡村や堂本剛のアイーンブーム以降
そもそも志村はアイーンを「アイーン」とは発音してなかったのに、これ以降アイーンとハッキリ言うようになった
視聴者の目線に降りてきた感じ さんまはダメダメボーイがウケたのが大きかったからな
たけしとスナックのコントとかやっていたりしてたな
有名人の集まるお店とかいうやつ >>252
たけしは迷走期というか全盛期でも当たり外れが大きすぎるんだよ
笑ってポン!とかお笑いサドンデスとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています