「1000年に1度の逸材」といわれ、21歳の若さにして映画、ドラマ、バラエティと幅広く活躍している女優・橋本環奈。
上京当時はまだ高校生で、マネージャーの和智茉璃奈(わち まりな)さんとは3年間同居生活をしていたという。
公私を共にしてきたマネージャーがインタビュー取材を受けるのは今回が初めて。
橋本環奈の知られざる素顔と一躍スターに押し上げたマネジメントの裏側を2回に渡ってお届けする。

■高校生の橋本環奈と突如始まった同居生活「不慣れな料理も毎日褒めてくれた」

――和智さんがマネージャーになったきっかけは?

【和智茉璃奈】元々、私もタレントとして同じ事務所に所属していたんです。でも、表に出るのは向いていないなぁと考えていた時期に「環奈のマネージャーをやってみないか」と連絡をもらって。
裏方の仕事も学びたいと思っていたので、迷わず「やります」と。電話をもらった次の日の始発で福岡に向かい、そこからスタートしました。

――担当してからすぐ同居生活を始めたんですか?

【和智茉璃奈】そうですね。本格的に一緒に住むことになったのは、主演した映画『セーラー服と機関銃』の撮影の時からです。
1か月半くらい高崎で撮影だったのですが、ホテルに閉じこもって外食生活よりは、一緒に生活して私が食事を作って、手作りのごはんを食べさせてあげた方が精神的にも体調的にも良いだろうと。
まだ高校生でしたし、女優業に専念してもらうためにも、同居を始めることになりました。

――マネージャーとはいえ、いきなり他人と。妹の面倒を見るというような感覚だったんでしょうか。

【和智茉璃奈】当時はよく「家族」や「姉妹」みたいと言われることが多かったんですが、私としてはご両親からお預かりしているという感覚で、「ちゃんとしなきゃいけない」という責任感の方が強かったと思います。
ストレスを感じさせないように、過ごしやすく住みやすいように、仕事に影響しないようにしなければならないと思っていました。でも、私がずっと実家暮らしだったので料理もほとんどやったことがなくて、最初は不安だらけでしたね(笑)。

――食事も毎日作っていたんですか?

【和智茉璃奈】朝と晩は、ほとんど毎日作っていました。好みを細かく聞くのも変な気がしたので、環奈との雑談の中で拾っていきながら、料理教室にも通って色んな料理を作っていましたね。
環奈は「私まずいときはまずいって言うからね」と言っていたんですが、いつも何でも「おいしい」と言って食べてくれていました。

――共同生活の中で、不満や要望などは言われなかった?

【和智茉璃奈】言われなかったです。今振り返ると、色々あったんじゃないかと思います。
環奈が20歳になって一人暮らしをすることになり、3年間の共同生活を終えることになったんですけど、その時初めて、お風呂の排水溝の掃除は環奈がやっていたことに気づいたんです。
そういえば、詰まったこともなかったしいつも綺麗だったなと。彼女からは何も言ってこなかったし、共同生活が終わってから気づいたのでびっくりしましたね。

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3/29(日) 8:40配信

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https://www.youtube.com/watch?v=pWcMuZdmUq0
【MV】橋本環奈ソロデビューシングル「 セーラー服と機関銃」(公式)