【音楽】沢田研二、岸部一徳と急接近で高まる「ザ・タイガース」再結成説を直撃!
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3/27(金) 4:00 週刊女性PRIME
沢田研二、岸部一徳と急接近で高まる「ザ・タイガース」再結成説を直撃!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200327-00017504-jprime-ent
沢田研二
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200327-00017504-jprime-000-1-view.jpg
'67年、『ザ・タイガース』のリード・ボーカルとしてデビューして以来、半世紀以上“わが道”を歩んできたジュリーこと沢田研二。
「デビュー以来、所属していた渡辺プロダクションを'85年に独立。設立した個人事務所の社長は、元ナベプロの方が務めていました。それが昨年末、社長の交代があって、新社長が岸部一徳さんになったんです」(音楽業界関係者)
沢田で記憶に新しいのは、
'18年『さいたまスーパーアリーナ』ライブのドタキャン騒動。動員数が予定より2000人以上も少なく、スカスカの客席を見て激怒し、公演を直前に中止した。
「沢田さんは、とにかく気難しくて有名。そんな彼にモノを言える数少ない人が、二人三脚でやってきた事務所の社長さんでした。でも、岸部さんも沢田さんとは50年以上の付き合いがあるんです」(前出・音楽業界関係者)
17歳だった沢田を、自分が組んでいたバンドに誘ったのが2学年上の岸部。ベース担当の岸部は“サリー”として、デビュー後のザ・タイガースでリーダーも務めた。当時を岸部は過去の雑誌インタビューで、こう振り返っている。
《音楽は18歳のころ、当時の仲間と遊びみたいに始まったんです。あとから沢田研二が入らなければ、4人でただただダンスパーティーをやって、それで終わっていたかもしれない》
ザ・タイガースは、日本のGSブームの頂点に立ったが、売れ始めのころは東京・四谷のアパートで、メンバーとマネージャーが共同生活。そのときも沢田と岸部は同じ部屋だったという。
「自分は俳優だと思っております」
'71年にザ・タイガースは解散。岸部は沢田のバックバンドに参加しつつ、30歳で俳優業に転身。当時の樹木希林さんの事務所に入るも、仕事は少なく不安な日々だった。
《あんまり深く考えないほうだから“まあ、何とかなるだろう”と思っていたら、ちょうどそのころ、沢田が自分のマンションが空いてるから使わないかと言ってくれてね。僕はそれがホントにありがたかった》
そんな沢田の応援もあり、地道な役者修業の末、岸部は見事に花を咲かせた。
「'95年に、岸部さんは自分の俳優事務所を設立しています。そこには井上真央さんや岸本加世子さんらが所属しています。今や岸部さんといえば俳優としての活動がメイン。米倉涼子さん主演のテレビ朝日系人気ドラマシリーズ『ドクターX』でも欠かせない存在です。それなのに、新たに沢田さんの個人事務所の社長業も引き受けたのは、よほどのこと。ザ・タイガースのファンなら、また再結成があるかもと期待しちゃいますよね」(前出・音楽業界関係者)
そこで、まずは沢田の個人事務所を引退した前社長に、今回の社長交代についての経緯を聞いてみると、
「もう80歳になるから退職しただけ。その後のことはわからないなあ」
と素っ気ない。沢田の個人事務所にも聞いてみたが、
「前社長が高齢で辞めることになったので、沢田の人間関係で、岸部が代わりに就任しました。ザ・タイガースの再結成とは関係ありません」
とのこと。岸部本人に話を聞くべく自宅を訪ねたが、京都で撮影中のため、不在。そこで岸部の俳優事務所に連絡すると、スタッフが岸部に電話で話を聞いてくれた。
「ザ・タイガースというより、長い友人である沢田さんから社長をやってほしいと頼まれたので引き受けました。ただし、今はあくまでも俳優業に重きを置いており、自分は俳優だと思っています」
以前、岸部はインタビューでこんな話もしていた。
《死ぬときは少なくともこの2人(編集部注:ザ・タイガースのメンバーである沢田と森本タロー)にはそばにいてほしいね》
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) タイガースは、半世紀以上たっても新旧メンバー全員が存命という
世界的にも稀有なバンド >>127
プロのバンドメンバーとしてはあり得ないエピソードだなw もしかして日本の音楽はGSに追いついていないような
すごいレベルが高いな 沢田研二 現役シンガー
岸部一徳 重鎮俳優
瞳みのる 中国文学研究の第一人者
森本太郎 音楽プロデューサー
加橋かつみ ? 何して食ってるんだろ
岸部シロー タイガースくくりでは認め難いのでどうでもいい >>1
ふと思ったのだけど、沢田研二は痩せて髭を剃ったら岸部一徳よりもイケメン爺さんになるのかな....?
ライザップの沢田研二バージョンが見てみたい 田原俊彦・安達祐実のドラマ「愛してるよ!」で
岸部氏がマヌケな悪役の校長を演じていて、完全に主役を食っていた
誰も知らない・憶えていないだろうな…… 岸部一徳のほうが俳優として成功したからな
いっぽう沢田はコンサートドタキャン騒動から見てないな
落ち目なのにあれでクソミソ付いて一徳にお願いするしかないんだろ ジュリーはジムモリソンが好きだからね
若い頃はセックスシンボルで 今は太って髭もじゃも気に入ってるのかねも >>173
加橋かつみさん、何やってるって、都内でライブ定期的にやってるよ。
一番、近くで会える人じゃないかな GSの馴染みな曲ってお前のすべてーじゃないか
これのフレーズは知っていた >>30
鏡コントはマルクス兄弟の丸パクリ
ついでに髭ダンスの扮装や動きもグルーチョマルクスのパクリ >>160
そのタンバリンも短気なジュリーに「お前、リズム音痴や!」と、
テープで鈴の部分を固定されて音が出ないように加工されたw >>176
虎キチのジュリーも泣いてはるで(´・ω・`) あやめ池のライブで最前列で騒いでいてメンバーに怒鳴られた少年が後の明石家さんま >>68
あのドラマで岸部一徳という人を知った。
大立ち回りしたあとの店員の
「ハツお待たせしましたー」みたいなセリフが
すごい印象的。 タイガースが解散して3年で沢田研二が出来上がってるんだな
すごいスピードであの完成度は驚く 聞きやすい関西弁っていうか、なんかほんわかしていいねぇ
https://youtu.be/c-ii_d4yqko シローのナチュラルな高音はジ・アソシエイションの曲に威力を発揮した
当時のレパートリーに「グッバイコロンバス」があったが
あれはシローの高音があってこそ名演だった >>30
87年前でこのクオリティと高画質に驚きだわ wikiみたら、2013年に再結成してるじゃん
それより岸部修三って誰だよって思ったら一徳のことかw
一徳の息子もバンドやってるんだな
仲良しの米倉涼子呼んでやれよ
沢田研二は嫌いじゃないが
やっぱり頭がおかしい
>>1
>「デビュー以来、所属していた渡辺プロダクション
>を'85年に独立。設立した個人事務所の社長は、
>元ナベプロの方が務めていました。
喧嘩別れとかではなく暖簾分けなんだよね
ただ前妻との離婚のせいでナベプロとの関係が悪化
して結果的に干されることになるが >>179
長年一緒にやってきた社長にまで
見限られたんだろうな >>203
干されてはいない
テレビも映画もドラマもよく出ていたし
ただ再婚独立の時に半年休んだのが痛かった
欽ちゃんも視聴率100%男の絶頂期にレギュラーを全部降りて半年休んだら急に人気が落ちて、復帰後はヒット作なし
ピンクレディやフィンガー5もアメリカ進出で日本を少し留守にしたら急に人気が落ちてな
昭和の芸能界は絶えずテレビに出ないとすぐに脱落した >>200
世界的にレジェンドクラスの大コメディアンだが >>204
80歳になるまで面倒見てくれた社長に何言ってんだ >>211
Wikiだったか読んでびっくりした。
シローが麻原へのインタビューで弁当屋の話をしたら表情が和らいだとか。 ジュリーが一時期仕事が全く無くなって困窮状態に陥ったことは確か
当時知り合いのスポーツ新聞の記者に「仕事ください…」と不精ひげ生やしてうつろな目をしたジュリーが懇願してたとか記事になってたの見た記憶あるし
誰かれ構わず仕事無心するくらい追い詰められてた時期はあった >>193
あやめ池懐かしい
みさき公園もなくなるし生駒山上は何とか持ち堪えてほしいな >>213
そんなことあったんだ…
そんな状況でも毎年アルバム作ってたんだからすごい この記事書いてる奴何歳だよ?
今更こんなじいさん達が集まったところでなんだっつーんだよw あれタイガースでコンサート
やってるだろ、
シローも車椅子で出た 一徳さんも仕事まったくない時期があり
子育てしてたらしーよ
でも彼は貧乏が嫌ではなかったと >>167
でも、資産すべて(当時で20億円)をピーナッツ妻に残し、自分は手ぶら無一文で田中裕子のもとに転がりこんだんやで。 >>166
沢田研二は萩原死去でマスコミにコメントは出さなかったが、自分のコンサートのMCで、「今回ショーケンが亡くなったのはこたえた」と語っている。
若いときからショーケンと言えばジュリーだと並べて出され、ありがたいけど恐縮していた。僕なんてショーケンと比べて全然たいしたもんじゃない。
僕は生き方が下手くそだけど、ショーケンはもっと下手くそだった。
けれど大好きだった。かなわない。
そんなことを少し泣きながら言ってたわ。 ワタナベ独立後のに90年代沢田研二と田中裕子が確定申告した後に記者会見してた映像覚えてる
あれはなんだったんだ? 当時10年ロマンスを集まって歌っているのを見てこんな年になっていろいろ大変なんだな・・・と感じて見ていたよ
その頃まだ30代頃でしょ時代だな >>68
時をかける少女の
ボケた先生役も好きだよ 与えたもの残したものは大きい
現に超える人はまだいない >>222
若い頃のジュリーはショーケンにメロメロだったね
私がコンサートに行った時はショーケンの話はしてなかったわ 田中裕子って今の木村多江とか西田尚美みたいな不幸顔の走りみたいな女優さんだったよな
ジュリーと結婚してからほとんど女優として見なくなったな
なんか凄いラブラブ夫婦らしいとは聞いたことあるけど >>1
東京事変、自粛しないのかよ
2020年4月4日(土)
名古屋国際会議場 センチュリーホール
2020年4月5日(日)
名古屋国際会議場 センチュリーホール
2020年4月8日(水)
NHKホール
2020年4月9日(木)
NHKホール
https://sp.kronekodow.com/goraku/incidents-tokyo2020/
【東京事変】椎名林檎、西村担当相に苦境訴え ★3
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1585106474/ >>226
さびしんぼうでも同じような役回りだったな >>216
ガチで言ってたの?w
全盛期は体型維持のために吐いてたっていう噂があるが。
腐っても鯛、デブってもジュリーなんだね。
ただ中尾ミエが言うようにプロ意識は皆無だな。過去の栄光で食えてる
ラッキーな人。 ショーケンとジュリー違いは男人気だね
ジュリーがかなわないっていうくらいだから 木嶋則夫ハプニングショーで学校の先生たちに
キチガイの音楽と言われた時の岸部一徳さんの反論
https://youtu.be/O2iUFw6Zeow ショーケンもジュリ―も基本ヤンキー気質だよな。GS全体がそういう人種で構成されてた。
どれだけ無茶やれるかが評価の基準だからね。ジュリ―もかなり好戦的だがそれでも常識人の
範囲において。ショーケンは…w >>237
暴行事件とか起こしてるのに
どこが常識人なんだよ 歌ってる時の魅力はジュリーのほうが上だが
俳優としての存在感はショーケンのほうが上だったと思う
そういう個性の違いもおもしろいなあと思う 岸部といえばたけしの教祖様とかいう映画で
いちゃもんつけてきた
寺島進に百発くらい蹴りかましてたシーンが思い出される >>220
金を投げつけて妻子を捨てた
田中裕子に全財産投げつけられて捨てられないと
エミさんの苦しみは一生出来ないだろうよ
この薄情野郎は >>148
この時のライブ映像カッコよかったなあ
色つきの女しか知らない世代だが
オフクロ連れて見にいきたい 若い頃のジュリーはマジでスーパースターって呼べる存在だった >>244
最近は知らんけど数年前までは声は紛れもなくジュリーだったわ
カーネルサンダースが放つ美声で謎の感動を覚えたわw >>244
それ
見た目も声も酷い
今のは偽物だと思ってる 好きなアイドルが郷ひろみや松田聖子みたいに劣化せずいつまでも魅力的だとファンとして嬉しいだろうな
好きだったアイドルが見る影もなくなったり落ちぶれて早死にしてしまったら自分に見る目がなかったような気になるだろうな カーネルサンダースに官房長と余計なノイズが邪魔で音が入ってこなさそうw タイガースの再結成は加橋かつみとジュリーの距離感次第じゃないかと。ジュリー面倒な人だし。
一徳は井上バンドクビになってから大変だったので、もう(気持ちの上で)ミュージシャンにはなりたくないだろ。 >>250
ヒロミゴーは何かきつい…
ああなるしかなかったのか 望みのないものに期待しても時間は待ってはくれない
70ってぜんぜん若いって感覚だな
紅白でザ・タイガースを連れてきたら見直すわ >>256
あれはあれで不自然なサイボーグだが
沢田の方が汚くてキツイな 全盛期のジュリーはマジで日本史上最高のアイドルだったからな >>257
悲しいくらい差があるな
何だこのカーネル・サンダースは
笑わせにかかっとんのか >>253
再結成しても誰が見に行くんだ
ファン後期高齢者ばっかりだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています