0001THE FURYφ ★
2020/03/11(水) 22:30:47.67ID:nkX15kg69記者会見し「残念というのが最初に出てくる言葉ですが、主催者が子どもたちの夢のために最後の最後まで準備を
してくださったことには感謝いたします」。言葉には無念さがにじんでいた。
4日から休校中で、選手は自宅近くなどで自主練習。木村監督は岩間涼星主将(2年)とほぼ毎日、電話で連絡を取った。
この1週間を「キャプテンは『今日やる練習は夏につながるから』と常に言っていて、じーんとするものもあった」と振り返った。
午後6時少し前に日本高野連から正式に中止の連絡があり、岩間主将に電話で伝えると「かみしめるように『はい、分かりました』と
返事をしていました」と言う。
くしくも東日本大震災から、ちょうど9年目。被災した選手もいる。木村監督も選手も、午後2時46分に黙とうした。「あのときは
普段通りの生活が当たり前でないことを教えられた。(今回のことを)一緒にしたくはないが、まだまだ強くならないといけない」。
いつになるか未定だが、部員20人が次に集まったときにはそう伝えると力を込めた。
いわき市は、昨年10月の令和元年東日本台風(19号)でも被災。夏井川が氾濫して、浄水場の機能もダウンし、断水もした。
磐城の野球部グラウンドも入れ替えたばかりの黒土が雨で流された。選手は、被災地域の住宅で泥をかき出すなどのボランティア活動。
21世紀枠選考では、文武両道とともにそこが評価されたが、秋のほぼ全公式戦で先発した右腕エース沖政宗投手(2年)を中心とする
堅実な守りで昨秋の東北大会で8強入り。就任5年目を迎える木村監督の下で着実に力もつけてきている。
夏の大会も含めると、1995年以来25年ぶりの甲子園だった。「中止になってもセンバツに選ばれたのは確かなこと。コバルトブルーの
ユニホームを着た選手が甲子園で躍動する姿を見せるのは今回はかなわなかったが、チャンスはまだある。また頑張らせたい」。
木村監督は気丈に前を向いた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200311-00010058-chuspo-base