【野球】野村克也の野球理論は間違っていない。しかし――/廣岡達朗コラム
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私と少し考えが違うのは――
野村克也が亡くなった。
野村という男はもともと良い素材を持っていた。
それを見抜いたのが南海・鶴岡一人監督だった。こいつをリーダーにしなければいけないとの一心で帝王学を叩き込んだ。
そして一人前に育て上げた。“答え”が出る前に野村の可能性を看破。鶴岡さんの慧眼はすごかった。
鶴岡さんに厳しく鍛えられながら野村は発奮し、戦後初の三冠王になった。
三冠王というのはセンスがなければ獲れない。
野村が優れていたのは次の点だ。
苦手なコースに来たカーブは平然と見送る。
それを見た投手がタカをくくって甘いコースへ同じカーブを投げると、待ってましたとばかりに仕留めてしまう。
それを受け継いだのが野村の薫陶を受けた柏原純一(元南海ほか)だった
捕手としては、必ずしも肩は強くなかった。盗塁は走られ放題も同然。そこで、ささやき戦術で打者の集中力を殺ぐなど自身の弱点を補う術を研究したのが野村だった。配球にも長けていた。
同じ捕手の森祇晶は現役時代(巨人)に日本シリーズの対戦相手が南海以外の場合は、プライベートで付き合いがあった野村の自宅を訪れて、パ・リーグ優勝チームの情報収集をしていたほどだ。
野村の野球理論は間違ってはいない。
「野球とは頭のスポーツである」を持論にしていた。ミーティングにも長時間かけた。
私が野村の考えと少し違うのは、理論がどんなに正しくても、それを頭に叩き込むだけでは足りないということだ。
頭がよくて野球に勝てるのなら、東京六大学で東大がもっと勝っていけなければおかしい。つまり、正しい理論を体で覚え込ませるべきなのだ。
いまの若い人は根気がなくなった。だが、指導者は答えが出るまで手取り足取り丁寧に教えるべきだ。
野村の男気を感じさせるエピソードも紹介しよう。私が監督時代に、球審の判定に抗議したことがあった。
当時は、ユニフォームのパンツの裾をふくらはぎまで下げてストッキング細い部分しか見せない着こなしが主流になっていた。
私はといえばパンツをヒザ下で折り返す昔ながらのスタイル。その姿を見た相手チームの選手たちが私をヤジったときだ。
相手ベンチにいた野村はヤジを飛ばした味方の選手を「そんな失礼なことを言うな」と一喝した。
評論家・草柳大蔵との出会いで
晩年は著書を何冊も出していたように、野村は言葉を武器にしていた。
しかし、彼は先天的に言葉を持っていたわけではない。私が知る野村はむしろ喋れなかった。
そんな野村を変えたのが評論家・草柳大蔵との出会いだ。
野村は草柳の著作を読み、最初はその受け売りだったかもしれない。
しかし、読書こそ自分の言葉を獲得する最大の手段であることを知った野村は、草柳以外にも多くの本を読むことで、
新聞記者が泣いて喜ぶような名コピーライターになっていった。その代表作が「マー君、神の子、不思議な子」だろう。
人間は生まれたら死ぬ。それが早いか遅いかだけだ。桜と一緒。
どうせ散るなら生きているうちに世のため人のために尽くせばいい。
人に喜んでもらう。それが本当の幸せだ。野村の生涯は幸せだっただろうか。その答えは本人にしか分からない。
『週刊ベースボール』2020年3月2日号(2月19日発売)より
●廣岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。
広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。
82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200221-00000003-baseballo-base
2/21(金) 11:01配信
https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783186/rc/2018/08/27/235d5aa9dcb9f641df781adfb703e240cdb981b6_large.jpg
https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/show_img.php > 理論がどんなに正しくても、それを頭に叩き込むだけでは足りないということだ。
叩き込むことすらできなかった阪神の選手はバカばっかりという悲しい結論 ノムほど教え子が大成してる指導者も中々いないよな
色々古田もキャンプ地から態々顔見に帰ってきてたし尊敬されてたんだな 自己管理と節制して長生きしたオレの勝ちということか 監督としての実績は野村に負けないほどなのに
なぜ誰にも感謝されないんでしょうね 落合との対談は面白かったなあ。
今の選手たちが練習しなくなったのはノムさんがそういう流れを作ったって
面と向かって言ったもんなあ。
今の選手が頭でっかちになってるように見えるんだろうな、落合 さっき野村と落合の対談見てた。落合はミーティング嫌いだ!練習量減ったのはノムさんのせいだ!と言って面白かった。 考える野球なら俺の方が先にやってたし本も先に読んでたぞ、と
ヤクルトの記念試合が完全に野村克也フェスティバルになって
自分は声すらかけてもらえなかった嫉妬もあるんだろうな ほとんど知られてない事だけど、広岡さんは現役時代うまいだけではなくて下半身のしっかりした馬力のあるショートだった。 >>13
ヤクルト50周年記念試合に呼ばれなかった時のコラム
「私を誰だと思っているんですか」
に吹いてしまったw 広岡が監督時代(76-79年ヤクルトと82-85年西武)に野村が相手ベンチにいたことあった? ヤクルトのOB会呼ばれなかったことをネチネチ言ってるときは記事見た時そんな奴だから呼ばないと強く思ったよ 野村も凄かったけど、
当時のヤクルトはキラ星のごとく、
人材が集まったよな。 広岡は自分の理論や信念を絶対に曲げない頑固さ故
ヤクルト西武の弱小両球団をリーグ優勝日本一へ導くも
最後は現場やフロントと対立して辞める損な性格 広岡ってインテリで賢い雰囲気出してるけど、文章はも一つだなw
エピソードも弱いし ロッテのGMなんかやったことが経歴の最大の汚点だな
功績は園川の開幕投手くらい >>23
オープン戦くらいしかないな。
いくら広岡でもオープン戦で抗議に行ったとは思えんが。 野村は広岡を歴代No.1のショートだと言ってたな
長嶋もそんなこと言ってたけど、打率見る限り有り得ないと思うんだが 2月9日生まれは変わり者しかいない なぜなら俺も2月9日生まれなのだから 俺の考えとは違った←これを素通りできたら誉めまくりに気づく
めちゃくちゃ頑張った努力の人ですよって言ってるしな >>8
ノムさんが本で古田のことを野球は教えたけど人間としては成長させることができなかったって結構辛辣なこと書いてたな
文脈がかなりマジっぽかったので驚いた記憶がある
その後も交流はちゃんと続いてたみたいだから、あれも愛のあるイジリだったのかな ある意味対談で落合がノムに言ってる事と同じじゃないのか 88歳でこのしっかりした文よ
70歳でもはやひらがなすら書けなくなったオヤジを見るにつけ
廣岡さんは凄いわ >>16
落合は練習の虫だったらしいもんな
なんか勝手に理論の野村、練習の落合、閃きの長嶋みたいなイメージがあるわ(笑) 指導者として活躍してるOBは森よりも廣岡の影響を強く受けてると思うが誰も感謝してないw >>35
古田は愛人だかに
俺は普段良い人を演じてるからとセックスは酷いという記事を読んだことがある
古田は善人じゃない気がするんだわ
でも川上哲治とか人間性最悪でも球聖扱いだからなあ
川上哲治は本当にクズ >それを見抜いたのが南海・鶴岡一人監督だった。こいつをリーダーにしなければいけないとの一心で帝王学を叩き込んだ。
そして一人前に育て上げた。“答え”が出る前に野村の可能性を看破。鶴岡さんの慧眼はすごかった。
ノムは鶴岡は軍隊式の根性論、精神論者で
監督としては最低と言っていたけどなw >頭がよくて野球に勝てるのなら、東京六大学で東大がもっと勝っていけなければおかしい
これなんか違うと思うけどw 少年野球やってるとこざかしいことばっかりやってくるオッさん指導者がいるが、野村はそれと一緒 >>1
はっきり言うが、日本プロ野球1世紀の歴史の中で最も名監督と呼ばれるのは三原脩だろう
しかし三原の時代は今の半分以上の国民は知らない
今の国民の8割が知っているであろう間違いなく2番目に挙げられる監督は、野村克也ではない
野村克也は3番目4番目あたり、星野や仰木、西本川上哲治などもいるし 間違いなく2番目は、広岡達朗 多分実際の中身がクズじゃない名将や名選手少ないと思うぞw >理論がどんなに正しくても、それを頭に叩き込むだけでは足りないということだ。
別にノムさんもそう考えていたわけではないような。 誰もあんなリーグのお荷物と呼ばれていた、転売に転売され親会社がどこかもわからないような状態だったヤクルトと西武をほとんど何の補強もなくいきなり優勝させたのは三原除いて広岡しかいない 野村さんは、サッカー、バスケ、等等には無い、野球独自の一球一球の間合いの時間を頭を使って生かせと言ってると思う。 >>14
時代が早すぎただけで
今は栄養管理は当たり前。
当時も肉を一切食うなとかは言ってない。 >>1
この文章を読むだけで広岡がなんで人望ないのかよく分かるな まぁでも広岡は成績だけは残したから、成績も人望もない鈴木啓示に比べればまぁ >>13
辻や工藤、石毛など西武時代の教え子は廣岡にめちゃめちゃ感謝してるぞ。江夏とは折り合い悪いけど。 日本シリーズのヤクルトvs阪急と西武vs巨人
どちらも7戦まで縺れたけど弱者が強者を倒す痛快なシリーズだった ノムさんを呼び捨てに出来るのもこの人とよっさん、関根さんくらいかな? 広岡さんは選手の不摂生に厳しかったが痛風もちである
他人に厳しく自分に甘いの典型 ヤクルト50周年記念試合に呼ばなくて正解だったなこんなの
今となっては野村監督生前葬だったな >>56
わたしは40代まだおじいさんはちょっと早い >>4
広岡がロッテのGMクビになったのってまさにこれなのよな
>>16
落合監督時代のキャンプは凄まじいものがあったと言われてたな 新庄のYouTubeを今さら見た、
やっぱり野村は面白いわ、新庄が仲の良い友人のように野村を語ってて、こういう人になりたいもんだなって思ったわ > 理論を頭に叩き込むだけでは足りない。
> 正しい理論を体で覚え込ませるべきなのだ。
だから野球の強豪私立は、これひたすら繰り返させて
身体に覚えこませようとしてるし、それで実際に強くなるからな 広岡が監督、相手ベンチに野村って、広岡がヤクルトの監督時代のオープン戦で? >>32
名ショートと評しているが名打者とは言ってない >>64
痛風は体質にもよるから不摂生だけが原因じゃないよ。意外とスポーツ選手に多いし。 >>1
張本さんのちんこが小さい事をバラすような人に失礼なことを言うなとか言われたくないよね(´・ω・`) >>41
広岡は呉出身だから、地元の大先輩の鶴岡に関しては
雲の上の存在なこともあってか叩かない 広岡は上司にはしたくないタイプだけど
話しは面白いんだよ 広岡の物言いもおかしいな、正しい理論を実践するのは選手の意思の部分が大きいから、そこを強制したのが広岡なんだろうな 広岡の言うことはもっともだが監禁野球はもう時代が許さない
残念だけど論破になります
終了 老人の野球評論家のコラムって
@昔話が異常に多い。
A今は間違ってて、昔はこうだった。
この2つの内容がすごい多い気がするな。 広岡って森監督に全てをもっていかれた人だよね
常勝西武っていうと、ほとんどが監督やコーチになってるけど、どの人も握手してる写真は引退した森としてるもんな >>40
良い人じゃないのってキャッチャー的にはいいことかもしれん この歳になっても仕事貰えるのはすごいな
同級生の小森光生さんはお元気なのか >>40
雲助なんだが、古田は乗車中ブツブツと独り言を言ったり、チッチッと舌打ちしたりと
良い人 とはとても思えなかった。 レジェンドゲームに呼ばれなかった人は言うことが違うなー(棒) >>41
確かにノムさんは鶴岡御大の事を毛嫌いしていたみたいだね。
南海の監督を解任された時も「鶴岡御大にやられた。」と口走ったらしい。
現役時代も「鶴岡御大は杉浦や蔭山には気を使うくせにワシや皆川には目も合わせてくれん。」と愚痴ってたらしい。
ただウマガ合わなくても干さずに試合に起用してやるのが鶴岡が名監督と云われる所以。 80年代の成績だけで食っていけるんだから演歌で一発当ててやっていけるのと変わらんな サッチーボケのジジイにしか見えなかったが
成績見るとすげえな野村って 森とは本当に仲良かったんだな。日本シリーズでのプロレス懐かしい >>人間は生まれたら死ぬ。それが早いか遅いかだけだ。桜と一緒
長生きで元気な人に限って大抵そう言うよなw >>64
通風は普通の生活をしていても発症するひとはする
贅沢病とか思っていそうなキミは無知すぎる 野村はプロにはいったら監督は根性論ばっかりで学ぶものがなくて呆れたとかいってたような
鶴岡は違ったのかな?どうも鶴岡のことを指してたような気するんだが >>32
広岡は、野村が阪神の監督やった時ぐらいから
もの凄い嫌悪を感じさせるぐらいの感じで野村を叩いていた。
野村が、ベストナインで広岡をショートを選ぶようになったのは、それ以降
それ以前は吉田義男とか別の選手だったはず
広岡が見るのを見越してわざと広岡にしていたんだと思う。
ほら、日本シリーズでイチローの耳にはいるように「内角が打てない」
あれと同じ 報道を利用しようとした
自分への批判を緩和させるためなのかな?そこら辺は推測 >>91
巨人との日本シリーズのさなか、東京ドームで
退任ばらされたんだっけか森さん 違う違う
三流は無視、二流は称賛、一流は批難
野村は一流だった故に批難されただけ
その辺は野村もよくわかってる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています