【プロレス】時代を駆け抜けた“平成維震軍”越中詩郎 1990年代新日本プロレスの裏話明かす
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新日本プロレス“平成・黄金期”を戦い抜いた侍 越中詩郎インタビュー
プロレス界で今なお語り継がれる伝説の軍団・平成維震軍が、初の共著「平成維新軍『覇』道に生きた男たち」(辰巳出版/G SPIRITS BOOK)を上梓した。
越中詩郎、小林邦昭、木村健悟、ザ・グレート・カブキ、青柳政司、齋藤彰俊、AKIRAがそれぞれの視点から当時を回想し、本隊とは真逆の視点から1990年代の新日本プロレスを紐解いた一冊となっている。
このたび、平成維震軍のリーダーである越中がENCOUNTのインタビューに応じ、平成維震軍が戦い抜いた、新日本プロレス“平成・黄金期”のエピソードを明かしてくれた。
――平成維震軍メンバーによる初の共著となりますが、執筆のキッカケを教えてください。
「2017年にプロレスリング・マスターズで平成維震軍が復活して、去年俺のデビュー40周年記念大会でも平成維震軍の仲間と組んで、集まる機会があったんだよね。
新日本プロレスでバリバリやっていたのは、もう20年以上前。やっている方もビックリしているけど、こんなに続いている軍団も珍しいじゃない。
平成という時代が終わって令和になったことをキッカケに、平成維震軍という軍団の活動、歴史を振り返るのも面白いんじゃないかと思って、共著という形で1冊の本にまとめました」
――平成維震軍が駆け抜けた1990年代は、新日本プロレスの“平成・黄金期”と呼ばれる時代でしたが、越中選手にとってはどんな時代でしたか。
「やっている方は戦国時代ですよ。猪木さんがいて、藤波さん、長州さんがいて、闘魂三銃士がいて、馳と健介がいて、外国人はベイダーとかスコット・ノートンがいたりして、
毎日張り詰めていて、当時は年間200を超えるくらいの試合をしていたね、勢いに乗っちゃて。
新日本プロレスがオフの期間も平成維震軍は他の団体で試合をしていたから、試合、試合、試合って感じでしか印象がなくて、試合の内容も憶えていないくらいだよ」
――年間200試合もあると試合はもちろん、移動も大変ですね。
「長いシリーズがあって、5週間家に帰れなかったこともあった。あと広島で試合をして、次の日は山形で試合とか、体育館の空き状況でスケジュールを決めるので、
西から順番に、北から順番にというわけにはいかない。あっち行ったり、こっち行ったりと日本中を毎日移動していたよね。
どこに行ってもお客さんが入ってくれて、何年も満員御礼が続いてたみたいですよ」
――平成維震軍結成当時、越中選手が「平成維震軍」で目指したものとはなんだったのでしょうか。
「そういうことは考えていないんですよ。事件が起きちゃって(後楽園ホール殴打事件、青柳政司率いる誠心会館との抗争に発展)、引くに引けなくなって、前に出ていっちゃっただけだから(笑)。
でも、出ていったからには、やってやろうという気持ち。それが、こんなにも続くなんて夢にも思わなかったよね。
当時はポシャったらポシャっただな、と開き直りみたいなのと、泥臭く行こうぜというのは思っていました」
――1990年代は闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)も活躍した時代です。当時、闘魂三銃士のことはどう思っていましたか。
「別にどうとも思ってなかった。彼らは彼ら、僕らは僕ら。彼らに限らず、いっぱい選手がいるわけですよ。反骨心も全員に対して。
長州さんや天龍さんにぶつかっていって、粉々に砕かれて、また立ち向かっていく、という繰り返しじゃないですか。当時、新日本のリングに上っていた選手たちは個性も強烈でしたよね」
――平成維震軍でUWFインターナショナルやWARの興行に乗り込むこともありました。
「観客は9対1くらいで、向こうのファン。敵地に乗り込む感じで、あの時は気持ちよかったよね。『見てろよ、お前ら!』って燃えましたよ」
――著書では“維震魂”という言葉がありますが、越中選手にとって“維震魂”とは。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200219-00010000-encount-fight
2/19(水) 7:00配信
https://encount.press/wp-content/uploads/2020/02/f3aa3c4b8a411af37781540a6cfaa286.jpg
https://encount.press/wp-content/uploads/2020/02/4fffaf82d158ab8744e0ed8e479e427d-scaled.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EDltDGGUUAAShG0.jpg
https://www.njpw.co.jp/oimage/vga/result/result_4462.jpg
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https://www.youtube.com/watch?v=N34cCojnEuc&t=83s
【ドーム音質】越中詩朗「SAMURAI」【臨場感】
https://www.youtube.com/watch?v=GUiT2k-RxH8
越中詩郎 テーマ曲 「僕らはプロレスラーでリングで戦うわけですけど、世の中にはいろいろな仕事をしている人がいて、皆も辛いこととかたくさんあるじゃないですか。
平成維震軍は何度も立ち上がって戦っている。そういう所が共感してもらえたんじゃないかなと思ってるんで、そのへんだよね“維震魂”っていうのは」
――様々なエピソードが語られていますが、特に読んでほしいのはどこでしょうか。
「同じ時代、同じ事柄を7人が語って、全員捉え方が違ったりするので、その違いが面白いよね。平成維震軍で独立興行をやったり、選手会VS反選手会同盟もそうですけど、皆捉え方が違うんですよ。
まあとにかく僕のところを一生懸命読んでください(笑)」
――本隊と平成維震軍の待遇の違いについても明かしていました。
「当時は新日本プロレスの本隊があって、外国人レスラーがいて、平成維震軍がいて、3つに分かれて移動していたし、巡業で泊まるホテルも違うんですよ。
本隊は豪華なホテルなんだけど、我々は辺鄙な場所に泊まらされてね。今となっては笑い話ですけど、ここまで差をつけるかって(笑)」
――1999年に平成維震軍は一度解散しますが、どんな想いで解散を決断しましたか。
「もうやることはやったという想いだね。彰俊が辞めて、小林さんが病気で欠場してしまい、ここら辺でひとつの区切りをつけようかと。新しい人を増やしていこうという考えはなかったのでね」
――時代は令和となりましたが、今後平成維震軍の活動はどう考えていますか。
「とりあえず、マスターズで声がかかっているので、まずはそこ(プロレスリング・マスターズ 2月28日 後楽園ホール大会に出場)。
僕の考え方として、目の前のことを目一杯行く。その後のことを考えるのは嫌いだから。1年後はこうしようとかじゃなくて、目の前の戦いを皆で全力で行こうぜって感じですよね。
そういうことは口に出さなくても、平成維震軍の仲間は分かってくれているので、その意志の疎通みたいなのは、すごいと思いますよね」
――越中選手個人としては。
「先々のことなんか考えたら笑われちゃうよね。生涯現役という気持ちもぜんぜんない。そんなに甘くないですよ。次の試合でどうなるかなんて分からないので、締まった気持ちをずっと持ってリングに上っています」
――最後にファンの皆様へメッセージをお願いします。
「なかなか軍団で共同で本を出すっていうのは無いみたいなので、プロレスに興味ある方、プロレスに関わる方は手にとって読んでもらえたらうれしいね」
□越中詩郎(こしなか・しろう) 1958年9月4日、東京都出身。61歳。1979年3月5日に全日本プロレスでデビュー。
1984年にはメキシコ、東南アジア遠征を経験し、“サムライ・シロー”として暴れまわる。
坂口征二に誘われて新日本プロレスに移籍すると、1986年に初代IWGPジュニアヘビー級王者に輝く。
当時、高田延彦との激闘は“ジュニア版 名勝負数え唄”と称された。1989年にヘビー級に転向。
誠心会館との抗争を経て、反選手会同盟、後の平成維震軍を結成する。1998年には天龍源一郎とIWGPタッグ王座を獲得。
2003年、新日本プロレスを退団し、長州力が旗揚げしたWJプロレスに入団。WJ解散後はフリーとして活動し、2019年にデビュー40周年を迎え記念大会を開催した。 蝶野がCSで司会やってる番組で本人居ないとこでも
越中さんは結局プロレスが下手なんですよ!
ってちょこちょこdisるのが好き 越中vs高田の抗争はスタイル真逆なのにフィットして名勝負だらけだよね 一時2ちゃんのプロレス板は越中スレがめちゃくちゃ流行ってたって!
ケンコバが物真似する前から流行ったって!
世間じゃケンコバが広めたかもしれないが
業界じゃとっくの昔に有名だったってことですよ >>13
Youtubeで後藤達俊バックドロップ43連発って動画を見たけど
なかなかストレス解消になった 1+1+1+1+1+1+1は7じゃないぞ
俺たちは1+1+1+1+1+1で6だ
減ってんじゃねーか >>15
無い
挑戦自体Uインターで高田とやったくらいじゃないかな >>15
タッグとジュニアヘビーならある
ヘビー級獲ったら納得しない選手・観客も多かろうw 初代タイガーでプロレスにハマったものとしては、小林邦昭の再ブレークが嬉しかった
でもいつの間にやら越中が主役になっちゃったな AKIRAがここに入ったのは勿体なかったと思う。
後にビジュアル系?としてキャラチェンジ出来たからいいけどね。 平成維震軍メインのシリーズをやろうとしたけど
結局は闘魂三銃士がいないと地味な中堅選手しか
いないことが露呈してボツになった 長州「またぐなよ
またぐなよ
なぁまたぐなよ
詩郎またがせるなよ」
越中「なにしたんだコラァ
帰れコラァ」
大仁田「俺はぁ俺はぁ長州さんよぉ
俺はぁ」
長州「なにさん付けしてくれてんだこら」
大仁田「これを渡しに来たんじゃぁ」
長州「ケロ受け取っとけ」
健介「なにしに来たんだコラ!
ここはてめえの来るとこじゃねんだコラ!」 山崎が出戻りになったきっかけは後藤戦だったよね。自主興行だったかな。
あの時の山崎はクールな仕事人って言う感じでカッコよかった覚えが。
新日に出戻りでそこそこ活躍して引退と。良いレスラー人生だねえ。
今でも解説やらせてもらってるし。 >>23
>>1にも書いてあるけど越中がヘビー級転向した時期ってメンツが凄すぎるんだよ
永田さんの時期はある意味人材不足だったんじゃないかな?知らんけど >>30
人材不足だったかもね
橋本武藤がいなくなった時期だから 60超えてまだ現役なのかよ
越中の様な地味なブサイクハゲを売り出すのに
会社も苦労したことだろう 訳すとケツ攻撃だからな
こんなパネエレスラーいないわ 闘魂三銃士や正規軍より平成維震軍やレイジングスタッフ側好きだったな
平成維震軍は小林邦昭とカブキが一緒にサインと記念撮影してくれたから大好きだった 92年の新日年内最終戦メインで戦った天龍vs越中
滅茶苦茶面白いな 俗に言う「平成の乱」の興行は最高に面白かった。
みんなギラギラしてて勢いあってあれが平成新日本のベストだと思う。 えげつない初期型シャイニングウィザードをヒップアタックで迎撃した時はすげー興奮したわ 高田とやった後の武藤が、やたらドラゴンスクリュー乱発して越中が怪我してたな オカダだろうが内藤だろうが飯伏だろうが!
みんなまとめてやってやるって!! >>1
今からすると平成維震軍も第3世代もなんだかんだ面白かったな ケツと力のないパワーボムしかないよね。どこがサムライやねん >>1
ヘッドライン
壊すな
しね
ぼけ
くそ野郎
大田区体育館に観に行ったな
大田区体育館はきれいになったのだろうか どんな会社にも平成維新軍みたいな立ち位置の人いるからね
一定数の支持者はいる 92年夏の札幌で当時選手会長に就任したばかりの蝶野とのシングル戦で辻アナの「おおっ、電撃のスキンヘッド」で心奪われた お前ら小原の事も思い出してやれよと思ったが後藤の事は完璧に忘れていた プロレス界で馬場を呼び捨てにする人間が二人いるが
越中にそんな権利無いと思う
一応三沢に勝ったんだからな >>54
ヤングライオン杯の頃から熱心に新日見始めたから後藤が一番思い出深い 取材した面子にカブキとAKIRAが居て、オハラとゴタツがハブられてるあたり「解ってるなぁ」と思った。 言っちゃ悪いが、越中なんて前頭3枚目くらいの位置だったからなw
ケンコバのお陰で少しは名前知られるようになったけど こいつは全日の裏切り者
入門して育ててもらい海外遠征に出したら
新日本に帰りまちた
馬場さんが脱糞したそうなw 越中と高田がやりあってたあの時代は俺の中で一番プロレスが熱かった時やわ >>1
私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。
そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。
もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。
しかし、だからといってどうだというのか。
世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである。 こいつのパワーボムは酷い
抱えたあと落とすのが下手すぎる
と言うか自由落下より遅い >>62
口べらしのための片道切符の海外遠征だったんでしょ
当時の全日は充実してたから小兵の越中のポジションはない
一方、人気レスラー三沢の海外遠征は往復切符 >>62
三沢だけ呼び戻して越中は放置だったんじゃなかったっけ
それじゃ仕方なかんべ >>62
見込みのないレスラーは海外出して放置するという馬場のやり方がキチガイなんだ
越中とかターザン後藤とかよ >>72
ダブルタイガーの案もあったけど
越中は勝手に坂口と接触して辞めるだからなあ
馬場に今から小林邦昭に挑戦しろ、それで何もかも済むって引き止めたのに >>14
BGMがメタル系でなかなかカッコいいんだよな
てかハンセンのウエスタンラリアット200連発もおすすめ 思い出したがグレート・ムタの日本での初試合ってサムライ・シローだったよな
普段の越中と何が違うのか最後まで分からなかったが 今時のの珍日ファンには越中の良さとか解らないんだろうか >>76
結果的に越中としてはプラスになったと思うが馬場存命中は全日の敷居をまたげなかったんだっけ
興行にプラスに持っていけばいいのにと思う反面、頑なな馬場らしい話 >>79
ムタもほとんど反則技もなくノーマル武藤と同じ試合運びだったから
あんまり盛り上がらず、テレビ放送もなかったんだよな
ムタが本格的に反則仕様になったの馳浩戦からだから 越中・小林と誠心会館の抗争は最高にアツかった!
そして構想後に選手会からボコられる越中救出に青柳とアキトシが飛び込んで来たときはマジで変な声出た! WAR天龍との抗争が凄かった
新日、WARの両方でフアンが凄く熱かった。場外で折原が捕まって青柳に突っかかっていこうとしてる姉ちゃんいたもん >>84
越中は馬場さんの付き人してて高級料理を食わせて貰ってたからなぁ
飼い犬に手を噛まれた訳よ 同志の後藤達俊がスキンヘッドに眉毛まで剃って
「パチンコ屋にも行けなくなっちゃった」とボヤいて
プロレスマスコミに越中さんは(眉毛剃り)やらないんですか?って聞かれて
「あそこまでやったら確実に婚期を逃すからやらない! 」 >>60
やっぱ、小原と後藤って嫌われてるの?
あんまりいい噂聞かないけど
唯一のいいハナシが後藤が娘のお受験面接の為に髪染めて行ったら、面接官の先生がプヲタで
金髪で良かったのに、って言われたハナシしか知らない >>94
後藤は全く見ないが
小原は数年前に越中等数人と対談してる この監視社会で後藤達俊の目撃情報、生死すらわからないのは凄い 後藤はブログでアンチを増やして暗黒面に落ちたよな
バックドロップ以外に大した売りがなかったのもあるけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています