ノムさんの阪神時代に弱かった原因として、1軍と2軍の風通しも悪かった。
1軍は弱いけど、ファームはウエスタン優勝して日本一とかなってた。
その時の2軍監督が岡田。
要はノムさんと岡田2軍監督の仲も悪かったし、全然会話なかったらしい。
こんな1軍と2軍でバラバラのチームが強くなる訳がない。

“天才”今岡誠を生かした監督、生かせなかった監督
https://www.bizclip.jp/articles/bcl00070-011.html

2017.03.22

・期待の新人、ノムさんに冷遇される

今岡氏はプロ入り前から注目を集めていた選手だった。
高校時代には春の選抜大会で甲子園に出場。
大学時代にはアトランタ五輪に出場し、銀メダルを獲得。
1996年のドラフトにて阪神を逆指名し、1年目は打率2割5分、2年目は3割近い数字を記録した。
低迷するチームにあって、新人としては十分な結果を残していた。

しかし、1999年に野村克也氏が監督に就任すると、不遇の日々を過ごすことになったのである。
ミーティングを重視する野村監督と、練習を最優先したい今岡氏では、野球に対する考えが合わなかった。
野村監督は今岡氏に対し「やる気があるのかないのか分からん」「注意するとやる気のないプレーをする」と、マスコミに対してたびたび発言した。
今岡氏はやがて2軍に転落。本人曰く「クビ直前」の状態にまで陥った。

その今岡氏を救ったのが、当時2軍監督の岡田彰布氏だった。
野村監督が「全員でミーティングやるから2軍も来い」と指示を出すと、岡田氏は、「2軍は頭使うより練習させなアカンのちゃいますか」と合流を断った。
「ミーティングより練習」という考えは、今岡氏も岡田監督も同じだった。
岡田氏は2軍で腐りかけていた今岡氏に声をかけ、「お前は何も気にせんで、好きにやったらええ」と励ました。