【公式】神戸っ子|関電不動産開発のマンション『シエリア』

シエリア芦屋翠ヶ丘SPECIAL CONTENTS
関西一の洋館≠Qつの邸の物語
自然豊かな環境を誇る翠ヶ丘が継承する気風。華やかな歴史に裏付けられた佇まい。
翠ヶ丘には、阪神間の屋敷町・芦屋らしい気風が漂う。 その街の佇まいには、住環境の理想を求めた先人たちによって開花し、 華やかな歴史に培われてきた街らしい佇まいがある。
かつて、この地にはふたつの大きな屋敷があった。
明治以降、交通の便と風光明媚な環境に恵まれた新興の邸宅地として、 往時わが国にもたらされた”欧米様式”を礎とする邸が次々と誕生していた芦屋にあって、 ひときわ重厚な洋館として輝きを放っていたという。
大海原を渡る豪華客船の建造技術とモダニズムデザインを個性とした木村鐐之助邸。
そのひとつは阿保親王塚の東隣、深緑に抱かれた地に、ハンター商会の総支配人として手腕を発揮した実業家・木村鐐之助が築造した邸である。
木村鐐之助は神戸とゆかり深いE・Hハンターが創設した大阪鐵工所(現在の日立造船)で手腕を発揮した実業家であるが、大正末期に建てられた邸は、
自身が勤める大阪鐵工所の手になるところが多かったようで、往時の粋を極めた内装には、床の寄せ木や幅木、格天井組から建具や階段に至るまで、豪華客船などに用いられる高級材チークがふんだんに使われている。
敷地の小高い場所に鎮座していた邸は、その瀟洒な内装を彷彿させる二階建て腰折れの切妻屋根は本瓦葺き、鉄平石貼りの壁面に欄間の付いたアーチ窓が左右対称に穿たれたエキゾチックな外観を纏い、翠ヶ丘の街並みに風格と威厳を醸していた。
戦後、木村邸は福岡銀行芦屋倶楽部として残ったが、残念なことに先の震災で壊滅してしまった。