・1978年秋のドラフト会議の2日前に帰国し、ドラフト会議前日に巨人と電撃契約した(空白の一日事件)。セントラル・リーグ事務局は即時にこの契約を無効として
 江川の選手登録を却下したが、それに抗議した巨人はドラフト会議をボイコットした
・ドラフト会議では巨人の抜け駆け契約に抗議する意味で南海、近鉄、ロッテ、阪神の4球団が江川を1位指名し、
 阪神タイガースが江川との交渉権を獲得。巨人は、全12球団が出席していないドラフト会議は無効であると主張して、江川の阪神の交渉権を認めなかった。
 この問題はこじれにこじれたが、最終的にコミッショナー・金子鋭の「強い要望」により1979年1月にドラフトで指名した阪神に入団した上で、小林繁を
 相手とする交換トレードで巨人に移籍することとなった。この事件により江川は一躍悪役に祭り上げられ、マスコミは大挙して江川を批判すると同時に、小林を悲劇のヒーローとして報道した。
・「エガワる」(周囲をかえりみず強引に自分の意見を押し通すこと)という言葉が流行語にまでなった。
 ・1979年初登板の阪神戦、後楽園で阪神ファンの「アホ! アホ! アホの江川!」の大合唱を浴びせられる
・初勝利の広島戦では鼻血を出して途中降板
・1981年、20勝(最多勝)6敗 防御率2.29(1位)奪三振221(1位)勝率.769(1位)で沢村賞を逃す
・1982年肩を痛め、翌1983年再び肩を鍼灸の治療などを受けてマウンドに立ち続けたが、スポーツ新聞などからは「百球肩」と揶揄されるようになった。
・1984年オールスター戦で8連続三振
・1985年バースが54号打って王の記録にあと1本に迫った時、セイロク斎藤など他の投手が敬遠策取って王に従う中、
 当たり前のように勝負しに行って抑える
・翌1986年には、これまた6試合連続ホーマーで王の記録に並んでいたバースに勝負にいき後楽園場外にホームランされる
・最後1987年年、アトランタブレーブスで前年31本で4番のホーナーと初対決で3三振に抑える
・広島小早川にサヨナラホームランを打たれ号泣、翌日の朝日新聞にこき下ろされる
・子供のころ、夜店で買ったひよこを「ぴーちゃん」と名付けて可愛がっていたが、ある晩、夕食のおかずに変わり果てたぴーちゃんを出されたことは永遠のトラウマになる。
・結婚後、夕食に鶏肉を出した奥さんに激昂し張り飛ばす
・霧が丘にキリンコというレストランを開いたが閉店
・引退会見では、優勝のかかった対広島戦を前にして長年傷めていた右肩の故障が限界に達し、即効性があり一時的に力は
 回復するが投手生命を縮めるといういわゆる「禁断のツボ」に鍼を打つ治療を受けたと語り、引退記者会見に出席した多くの
 スポーツ記者が、涙をにじませて語る江川の姿にもらい泣きした。しかし鍼灸関係者から、鍼灸治療でそのような危険な
 治療方法があるかのような誤解と不安を与えたとの不満と抗議が起こり、そのようなツボが彼が主張した患部(肩胛骨)の裏に
 あるという事実も確認できなかったため、治療をした鍼灸医の姓名を明らかにするように、鍼灸医の団体から正式な抗議を受けた。
 この件に関しては、江川サイドから文章で謝罪することで一応の決着が計られたが、後に江川は、引退記者会見でテンションが
 高まったあまり、思わず口をついた作り話であることを認めた。