0001湛然 ★
2020/01/30(木) 23:23:24.65ID:UAobVrSN92020年01月30日 22:00 J-WAVE NEWS
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J-WAVEで放送中の番組『SAPPORO BEER OTOAJITO』(ナビゲーター:クリス・ペプラー)。クリス・ペプラーが音楽を聴く隠れ家=「オトアジト」に毎週ゲストを迎え、大人な音楽談義を繰り広げる。1月25日(土)のオンエアでは、音楽家のコトリンゴが登場。これまでの音楽ヒストリーや坂本龍一に初めて会ったときのエピソードを語った。
■バークリー音楽院に進学
コトリンゴは、友だちの影響で5歳のときにピアノを習い始めた。中学校と高校では運動部に属していたが、ジャズピアニスト・大西順子のCDを聴いたことなどもあり、世界的に有名なバークリー音楽院への進学を決めた。
コトリンゴ:アメリカに行きたい気持ちもありました。
クリス:それはなぜですか?
コトリンゴ:アメリカ文化にすごく憧れていました。音楽もそうだし、当時NHKでやっていた『セサミストリート』とか『フルハウス』の大家族とか子ども部屋のかわいい感じとかがすごく好きで。ジャズやポップスのことをもっと勉強するのにアメリカはすごくいいのかなと思いました。
クリス:本家本元ですもんね。
バークリー音楽院は名だたる音楽家やミュージシャンが卒業している。コトリンゴは「授業形式やイベントが日本とは全く違い、たくさんの刺激を受けた」と話す。
コトリンゴ:ピアノのクラシックのおじいちゃん先生をすごく好きになりました。それまではクラシックの楽しさをあまり知らずにいたのですが、1曲を1セメスターでみっちりやるその先生のレッスンで、ショパンを中心に習いました。その頃のショパンの背景も一緒に教えてくれたり、私がピアノを強く弾いていたあとに高いところをふわっと弾いたら「デヴィッド・ボウイみたいだからやめて〜」って言われたり、個性的な先生でした。できるまで何度も同じところをやるレッスンだったので、すごく勉強になりましたね。
■坂本龍一との初対面で…
コトリンゴは、バークリー音楽学院卒業後、2006年に坂本龍一プロデュースのシングル『こんにちは またあした』でデビュー。きっかけはJ-WAVEで放送中の坂本の番組『RADIO SAKAMOTO』のオーディションコーナーにデモテープを送ったことだった。
クリス:それまでは何をしてたの?
コトリンゴ:プラプラしてました。
クリス:どんなふうに?
コトリンゴ:ニューヨークに引っ越して、ピアノの先生のバイトをしていました。
クリス:いいな、ニューヨークでプラプラって。すごく格好いいじゃないですか。
コトリンゴ:でもピアノの先生って大変だなと思いました。
クリス:じゃあ、デモテープはニューヨークから送ったんですか? でもそのとき、教授(坂本龍一)ってニューヨークに住んでいたから会えたかもしれないですね。
コトリンゴ:目撃談は聞いていたんですけど、私は全然お会いしたことはなくって。ラジオ番組のディレクターさんから連絡をいただいて、坂本さんからも「デモに入っていたあの曲いいですね」ってメッセージをいただいたりして。
クリス:すごい!
コトリンゴ:だんだん近づいていった感じですかね。
クリス:実際にお会いしてどうでした?
コトリンゴ:オーラがありましたね。テレビでずっと見ていた存在の方だったので「あ、本物だ!」と本人に言ってしまって、今でも(坂本からそのときのことを)言われます(笑)。
■夜中に泣きながらマネージャーに電話
近年では、劇場アニメ『この世界の片隅に』など、数多くのサントラを手掛けているコトリンゴ。サントラは「やればやるほど発見がある」と語る。
コトリンゴ:やってしばらくすると、関わった作品を客観的に見られるんですけど、初めからはなかなか客観的に見られなくて。「ここはもうちょっとこういう感じがよかったな」とか「次はこうやってみよう」とか、いろいろな発見があって終わりがないですね。
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)