0001砂漠のマスカレード ★
2020/01/22(水) 15:49:51.59ID:KT9QNW//9決勝5万6025人と大会通算33万6999人の来場者は、いずれも史上最多。好天に恵まれたことが動員につながったが、“サッカー王国静岡の復活”も大きかった。
マイナー時代、サッカーに憑りつかれた私の世代にとって、“王国静岡”の響きは特別な重みがある。
Jリーグ以前のサッカーは、ワールドカップなど夢のまた夢。リアリティのある夢の頂点には、高校サッカーが輝いていた。その輝ける高校サッカーの中で、もっとも輝いていたのが静岡勢だったからだ。
静岡勢の全盛期は1980年から'90年代後半にかけて。18年間で優勝6度、準優勝3度、3位4度を記録した。超満員の“聖地”国立には、ほとんどいつも静岡勢の雄姿があった。
国見の長崎、青森山田の青森とは違い、静岡は群雄割拠。藤枝東、清水東、清商、東海大一、静岡学園など、どこが出ても強い。これがサッカーどころの底力だ。
おかげで幼いころの私は、静岡県民はみんなサッカーが上手いものだと思っていた。このあたりは、ブラジルのイメージと通じるものがある。
ブラジルでカズと出会って。
そんな“世界のサッカー王国”ブラジルから、“日本のサッカー王国”静岡にやってきた男がいる。
'86年度、第65回大会で得点王となり、東海大一(現・東海大翔洋)を初出場初優勝に導いたアデミール・サントス(現在は三渡洲アデミール)さんだ。
サントスさんと日本をつないだのは、静岡学園を中退してブラジルに渡ったカズこと三浦知良。ふたりはジュベントスでチームメイトになり、カズはサントスさんに高校サッカーの盛り上がりを熱く語ったのだという。
「高校サッカーの人気にびっくりしたね」
サントスさんは静岡に来たときの印象を、次のように語る。
「カズから教えてもらっていたけど、高校サッカーの人気にはびっくりしたね。ブラジルではユースの大会に5万人も入るなんてありえないから。技術レベルも思ったより高かった。
東海大一のチームメイトでは、大嶽(直人)、澤登(正朗)、吉田(康弘)の3人が上手くて感心したね」
続いてサントスさんは、東海大一に通うことになった経緯も教えてくれた。
「来日したときは、どこに通うかはまだ決まっていなかったんだ。で、居酒屋に強い高校の監督たちが集まって、なにか相談している。どんな話をしたのか知らないけど、そこで東海大一に行くことが決まったんだ」
当時としてはかなり珍しい、高校サッカーの外国人留学生。その第1号は静岡の地を踏み、争奪戦となった。
それは自然の成り行きだった。全国を制するよりも、静岡で勝つことが至難の業だったからだ。王国からの優勝請負人は、来日2年目にして見事にその使命を果たしたのだ。
'93年のJリーグ発足を境に、静岡勢は徐々に国立から遠ざかった。これは彼らが弱くなったというより、日本中が強くなった、各地が静岡のようになっていったと言ってもいい。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200122-00842250-number-socc
1/22(水) 15:01配信
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