◆サッカー 天皇杯全日本選手権 ▽決勝 神戸2―0鹿島(1日・国立競技場)

 新しい国立競技場での初のスポーツイベントとなった決勝戦は、神戸が鹿島を2―0で下してクラブ史上初タイトルを獲得した。1995年、チームとして初練習が予定されていた1月17日に阪神・淡路大震災が発生。震災を乗り越えた地方クラブが25年の節目に栄冠をつかみ、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)出場権も手にした。一夜明けた2日は地元に凱旋し、優勝報告会を実施。約3000人のサポーターが集結した。

 2003年に経営破綻したクラブを再建した三木谷浩史会長(54)がスポーツ報知などの取材に応じ、経営に携わってから15年で悲願を達成したチームへの思いを語った。

 ―念願の初タイトル。

 「25年目でようやく取ることができた。世界レベルの選手を集めて、単純に強いだけじゃなく、お客さんを魅了するスタイリッシュなフットボールを目指してやってきた。信念を貫いて良かったと思う」

 ―04年にクラブの営業権を取得した。

 「今だから言うと、本当は引き受ける気はなかった。でも『引き受けないとどうなるんですか』と聞いたら『消滅する』と言われて。それはさすがに忍びないな、と。神戸に生まれ育ったから今の自分がある。大量に損することは分かってましたけど、恩返しと思って引き受けたらどっぷりはまってしまいましたね。ちょっと使いすぎました(笑い)」

 ―多額の投資で強化することへのポリシーは。

 「神戸のプロジェクトはある意味、内からのJリーグ改革。日本ってサッカー先進国のなかで一番の経済大国なんです。イギリス、スペイン、フランス、ドイツ、イタリアよりも日本の経済は大きい。ということは、やり方次第では本当に世界のトップリーグになれると思う。ウチに来ている選手は給料が安いか高いかでいえば高いんですけど(笑い)、いろんな情報化が進む中でスポーツが与える感動というのは経済的にも非常に大きいし、国民を笑顔にするところもある」

 ―今後のビジョンは。

 「日本人だろうが外国人だろうが関係ないでしょ、というのが僕の考え方。外国人枠も大きく緩和するべきで、そしたら世界中のトッププレーヤーが日本に来るんじゃないかと思う。逆に日本のいい選手が海外に行きたいと思うことを恥じるべきだ、と。少しずつ、海外のすごい選手が日本に来たい、となりつつある」

 ―日本にバルセロナやRマドリードのようなクラブを作って選手を呼んでくる考えは。

 「あります。そうできると思いますし、そうしたい」

 ◆三木谷 浩史(みきたに・ひろし)1965年3月11日、神戸市生まれ。54歳。88年に一橋大卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。96年にクリムゾングループを設立。翌年にエム・ディー・エム(現楽天)設立。2004年に神戸のオーナーに就任。同年秋には楽天野球団を設立し、プロ野球に新規参入を果たした。06年に神戸の代表取締役会長に就任。08年1月に楽天のオーナー職から退き、代表取締役会長に。12年8月に会長兼オーナーに再び就任。

1/3(金) 6:00配信
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