【キングカズ】カズが明かした『キング』の由来。「93年の北朝鮮戦の後に…」
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東京五輪イヤーとなる2020年の日本サッカーについて語り合うイベントが開催され、カズをはじめ日本サッカー界のレジェンドが集結。
思い出や裏話、来年への期待など多岐にわたった内容に、会場は大いに盛り上がった。
新国立競技場に「興奮した」
12月22日に東京都文京区の日本サッカーミュージアムで開催されたトークショー『2020 日本サッカーこう戦う』には、横浜FCのFWカズ(三浦知良)、
日テレ・ベレーザのDF岩清水梓の現役2選手に加え、前園真聖氏、川上直子氏の男女五輪経験者が出演。
ほかに日本サッカー協会名誉会長の大仁邦彌氏が出演し、司会は本誌でコラム『日々是なでしこ』を連載中のスポーツキャスター、日々野真理氏が務めた。
前日に行なわれた新国立競技場でのオープニングイベントにスペシャルゲストとして登場し、初めてピッチに足を踏み入れたカズは、
そのときの印象を「6万人が入っているところに1人で入っていって、すべての目線が集中するので興奮したし、みんなのエネルギーを感じながら、かみ締めながら第一歩を踏み出しました」と回想。
続けて「やはり国立競技場はいいな、と思いました。待ち時間のときに少し緊張しましたが、ピッチに立ったら安心するんですよ。実際の試合と一緒で、ピッチに立ったら落ち着きました」と舞台裏を語った。
カズが愛称の『キング』の由来を、自ら語る場面もあった。「キングといえば『キング・ペレ』ですよ」と語った上で、「93年の(アメリカ・)ワールドカップ予選の北朝鮮戦で、僕が2ゴールしたんです。
そのときに『ガルフ・タイムス』という中東の新聞のイギリス人記者が、ペレのいたサントスで(ブラジル時代に)プレーしていたカズが2ゴールを決めたので、
ペレのいたサントス=ペレといえばキング、ということで、『キング・カズ』と見出しにしたんです」と明かすと、場内は驚きとどよめきに包まれた。
ただ、カズが直後に「それで…自分で言うようになりましたね。自分で言っちゃった。翌年に出した写真集のタイトルも自分で『キング』とつけました」と笑うと、場内も爆笑。
「その後、96年にJリーグで得点王になって、サッカーマガジンなどの専門誌が『キング・カズ』という見出しをつけて、また自分で言い出したんですよ」と続けると、
さらに場内が沸き、前園氏は「海外メディアが発信だとは知りませんでした」と驚いていた。
カズはスケジュールの都合で、冒頭30分間のみの出演で途中退席。残りの時間は岩清水、前園氏、川上氏、大仁氏が2020年東京五輪について語り合った。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191222-00010001-bbmv-socc
12/22(日) 15:25配信
https://i.ytimg.com/vi/vSH0LMSEVtY/maxresdefault.jpg
https://image.middle-edge.jp/medium/6498faa3728461c6188a51906aa9a9e4.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/narashikamaru2/imgs/1/0/10fbb46b.bmp
https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/img/201801120000540-nsogp_0.jpg
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr131/auc0303/users/3/8/4/6/eiko_matida-img600x450-1439357744wpgxhw14684.jpg
https://www.nikkansports.com/soccer/news/img/20170225kazudance-w1300_0.jpg
https://image.middle-edge.jp/medium/cdafb07b-773d-4e90-b1ed-ea6e299080f0.jpg 横浜FCがJ1昇格決めたときに
俺の役割は終わりましたって引退してたらかっこよかったのにな とっても人格者でストイックのように言われてるが、40歳くらいになるまではそうでもないよね
トシちゃんと六本木で朝までテキーラショットで飲んでたとか、岡ちゃん馬鹿にしたり中澤の髪掴んで引き摺り回したとか
40くらいで今の人格者でストイックな感じなの出来上がった感あるけど、若い頃はねえ >>2
そうそう、これで引退してればまだ良かった
引退どころか来年、J1に出て世界記録、ギネス記録を作るでー!ってウキウキなのが嫌だわ ヴェルディのユニホームってかっこいいよな
今だとカッコ悪いのかな
あの緑のクシャクシャな感じとコカコーラのロゴとそれを着たカズ 全てが揃ってるよな イタリアでは「イミテーション」「疫病神」
クロアチアでは「亡霊」
と言われていたけどな >>7
それで話題になってJリーグ盛り上がるんだからいいだろ 名字が三浦
韓国大好き
電通ゴリ押し
わかっちゃいました 三浦カズのルーツ スターにしきの
世界のヘイポー
キングカズ
同じカテゴリー たいしてうまくないけど点はとってた周りはかなり忖度してたとおもう 世界三大キング
キングカズ
キングジェームズ
キングコング 今シーズン
5節 ホームで岐阜 先発54分交代
8節 ホームで福岡 先発52分交代
最終節 ホームで愛媛 途中出場3分
3試合109分出場 シュート0ゴール0 他人が言い出したとしても普通はキング付けるのはやめてくれと頼むだろ アマラオがキング・オブ・トーキョーと呼ばれていた頃
これとごちゃ混ぜになってカズのことをキング・オブ・カズ
と呼んでいた人が結構いたような記憶あり ヴェルディが嫌いすぎて緑色の服を着れなくなった
こいつらひっくるめて全員トラウマ >>32
32歳が全盛期じゃないよ
〜26.27ぐらい >>19
その一年で終わればいいけど、降格したらしたで責任を勝手に感じて続けたりして >>4
ナンバー カズへの手紙 ドゥンガより。
スピードに乗ったドリブルやFKといった君のプレーの数々をとても懐かしく思うよ。
ブラジルにいて思い出すのはJリーグ時代の君よりも、やはり私と一緒にサントスで頑張っていた頃の君だ。練習場へは誰よりも早く現れ、全体練習後も遅くまで両サイドからのFKを練習していたね。
全く環境が異なる中で、両親や友人から離れて生活するのはとても大変なことだったにちがいない。
君のお父さんがクラブを訪ねてきて「どうか息子をよろしく」と頼んだ時のこともよく覚えている。お父さんに言われるまでもなく、私は君の力になりたいと思っていた。
なぜなら君はいつも、「日本に帰って、日本サッカー界のために尽くしたい」と言っていたからね。そんな心がけのある選手は滅多にいるものじゃない。
それにしても困難は多かったはずだ。監督の指示を理解するためにも、他の選手とコミュニケーションをとるためにもポルトガル語を学ばなければいけなかった。
ブラジルではサポーターの要求も高いし、選手同士の競争も厳しい。君はそのような困難を乗り越えるために強い意志を持ってひたすら練習を重ねていた。
遠征で同じ部屋になったことも多かった。メキシコとアメリカへ遠征に行ったときも一緒の部屋だった。スペインでも確か一緒じゃなかったかな。
最初はおとなしかった。日本人に共通することだけど、あまり話さないし、冗談も言わない。
でも時間の経過とともに、チームメイトともふざけ合うようになった。
よく君は戦術のことなどを質問してきたね。若い選手が向上心を持ち、いろいろと尋ねてくれるのは嬉しいことだった。
左ウイングのゼ=セルジオにもいろいろと尋ねていたのを覚えているよ。君は監督の指示を忠実に守ろうとしていたし、チームのために尽くしていた。プロ意識もとても高かった。
数々の困難を乗り越えられたからこそ、その後日本やイタリアで活躍することができたんだ。
カズよ、誇りに思って欲しい。君はブラジルの中でも名門といわれるサントスで試合に出場し、得点まで決めた。君がブラジルでプロ選手として成長し、大きな成功を勝ち得たことが、日本人選手にとってどれだけ大きな力となったろう。
今日、日本サッカーが世界中から注目され東アジアで大きな力を持つようになったのも、君のような選手がいたからだよ。
これからも日本サッカーのために尽力して欲しい。君のようになりたいと思う子供たちの大きな目標であり続けられるように、頑張って欲しい。
愛を込めて
Dunga
http://www.twitlonger.com/show/6ks2oj ザグレブの会長に
「ミウラを試合に出す度に金が振り込まれる契約だった」
と暴露されたキングカスさん カズの父親はやり手の代理人でJにブラジル人選手を沢山送り込んでいたな
ブラジルのクラブにもかなりコネがある 裏方が仕込んだ浪花節に訴えるような話並べて実績は空っぽの人
プロならピッチで結果を出しましょう >>3
むしろプラス収支を持って来る側なんだが(´・ω・`) 自分で名乗ったのかw
当時からキングってwwwだったけどよくやく一周回ってほっこり笑い話くらいにはなった 飲み歩くミスターチャラ男だったからワールドカップ落選したときも全然同情されなかったカズさん ジェノア、川崎、京都、神戸、横浜F
降格請け負い人のカスさん ザグレブ在住の日本人がブログで
「カズのせいでザグレブ市民は今も日本人に冷たい」と嘆いていたっけw >>1
最悪だなこいつ
今更謙虚になったって元がクズだから キングって?
恥ずかしい。
やっぱり、テレビに洗脳されたんだね。 >>58
カズファンって日本のごくごく一部のおっさんだけなんだよな
いわゆるカズ信者ってやつ
こいつらが強烈に未練たらしい
まあカズ本人もだけど >>61
それもヴェルディの練習を見に行っていた人が写真付きでブログに載せてたな >>4
カズの練習量は周りの目を見張る程であった。
ブラジル名門クラブであるサントスFC時代に同僚であった元ブラジル代表のストライカーで82年ワールドカップにも出場しているセルジーニョ・シュラッパはこう言っている。
「あのころ、お前はまだ若かった。20歳かそこらだろ?でも、意識は本当に高かった。俺は覚えている。
お前がフィジカルを一生懸命鍛えていたことも、一人残ってフリーキックやクロスの練習をしてたことも。
お前があんまり熱心にやるもんだから、他の選手も刺激を受けちゃってな。
当時一緒にやってたドゥンガより練習するヤツって評判だったぜ。
俺が一旦サントスを離れて90年にまた戻ってきた時、お前はすでにブラジルのどこに行っても、レギュラーを張れる力を身につけていた。
でも、俺はもう驚かなかった。あれだけやってりゃ当然だって思ったよ」
ジェノア時代の監督でミランなども率いたジェゼッペ・マルキオーロもこう語っている。
「この私にとってフィールドに立つ資格を持つ選手とは、仲間のために走ることを厭わない者に限る。
年間20ゴールを決める能力を持つ選手は、往々にして他者のために自らを犠牲にはできない。
だけど、真の一流選手ってものはそうじゃない。エゴを封印し、年間10ゴール程度に留まろうとも、その分をチームのために走ろうとするものだ。
果敢に走ることを知る者は、一方で同じように走る者への労わりの心があるから、必然的にパスの質も他との違いがあるものだ。
そういう心あるパスを送れる者こそが、私の言う本物のプロということになる。
カズはその点、本物だった。私は70年代にACミランの指揮を執っていて、あのジャンニ・リベラやファビオ・カッペロらを指導していたんだが、カズのプロ意識は彼らと同じか、もしくはそれを上回るほどのものだった。
使い古された言い方だが、練習場に誰よりも早く現れ、そして誰よりも遅く去る。あの1年、君はずっとそうだった」 代表の時のカズて
中田なみに嫌われてたよな
落選の時
全国民がざまあwwて空気だった 2012年の福山のラジオにゲスト出演したときに既にこのネタは披露してたな。
https://www.youtube.com/watch?v=GFXdV8cYOak
26:45付近から ヴェルディの練習場に行くと酒の匂いがぷんぷん漂っていたと書かれていたな〜
Jでキングと言われ自惚れちゃったんだね 伝説の少女になりたいのマンションの周りを車がぐるぐる
帰ったと思ったらまた車を変えてぐるぐる 全盛期に六本木で夜遊びなどせず今のようなストイックさがあればワールドカップに出場できたかもな〜 >>1
懐かしいな
93年ドーハの最終予選はサウシ相手に勝ちきれず、
イランに負けたとはいえ、カズさんのシュート自体は全部枠を捉えていて好調だったんだよな
そして北朝鮮戦で2発決めたんだけど、2点目のボレーは画面にズドンって音が響くくらいのスゴいゴールだった
あれで地元のマスコミがキングカズって見出しつけたんだよな
そして天王山の韓国を相手に価千金のゴールをねじ込んで、松永の奇跡の足セーブで公式戦初勝利をおさめ、
運命のイラク戦でも先制ゴールを決めた
カズさんとドーハ組にはアメリカに行ってほしかったな〜 >>1
懐かしいな
93年ドーハの最終予選はサウシ相手に勝ちきれず、
イランに負けたとはいえ、カズさんのシュート自体は全部枠を捉えていて好調だったんだよな
そして北朝鮮戦で2発決めたんだけど、2点目のボレーは画面にズドンって音が響くくらいのスゴいゴールだった
あれで地元のマスコミがキングカズって見出しつけたんだよな
そして天王山の韓国を相手に価千金のゴールをねじ込んで、松永の奇跡の足セーブで公式戦初勝利をおさめ、
運命のイラク戦でも先制ゴールを決めた
カズさんとドーハ組にはアメリカに行ってほしかったな〜 >>1
懐かしいな
93年ドーハの最終予選はサウシ相手に勝ちきれず、
イランに負けたとはいえ、カズさんのシュート自体は全部枠を捉えていて好調だったんだよな
そして北朝鮮戦で2発決めたんだけど、2点目のボレーは画面にズドンって音が響くくらいのスゴいゴールだった
あれで地元のマスコミがキングカズって見出しつけたんだよな
そして天王山の韓国を相手に価千金のゴールをねじ込んで、松永の奇跡の足セーブで公式戦初勝利をおさめ、
運命のイラク戦でも先制ゴールを決めた
カズさんとドーハ組にはアメリカに行ってほしかったな〜 >>1
懐かしいな
93年ドーハの最終予選はサウシ相手に勝ちきれず、
イランに負けたとはいえ、カズさんのシュート自体は全部枠を捉えていて好調だったんだよな
そして北朝鮮戦で2発決めたんだけど、2点目のボレーは画面にズドンって音が響くくらいのスゴいゴールだった
あれで地元のマスコミがキングカズって見出しつけたんだよな
そして天王山の韓国を相手に価千金のゴールをねじ込んで、松永の奇跡の足セーブで公式戦初勝利をおさめ、
運命のイラク戦でも先制ゴールを決めた
カズさんとドーハ組にはアメリカに行ってほしかったな〜 ドーハで負けてなければ中国代表や巨人軍の選手みたいに
雑魚のくせに遊びまくってるような代表になったかもな。
長谷部が遊んでる奴は怪我が多いっていってるぐらいだし。 >>48
>>66
今となれば、この辺もやっぱりエアインタビューだったんじゃないか?って思ってしまう。 いったい何処の地方のキングなんだ
よっぽど狭いエリアなんだろうな
恥ずかしくないのか キングねぇ、、、。
ネットがなかった時代は洗脳できたんだろうけど。 >>1
知ってたから当時から違和感しかなかったけど今ならまあ納得出来るかも 96年アジアカップクウェート戦ではQBKかましてたなw
あの大会でカズの時代は終わったと思ったね
あの頃からガチ試合ではアジア上位に通用しない選手になっていた ホテルは勝手に違うところに泊まるとかw
普通に永久追放だろう。 親父は静岡県の朝鮮ヤクザか?こいつ
だったらメディアがうはうは
納得 >>4
カズは当時からアルコールはほとんど飲まなかったんじゃないか?
シラフでクラブに行ってたはず >>31
代表戦でも点を取ってたんだが?
相手国がカズ相手に手を抜いていたとでも >>4
若い頃はヤンチャしてて歳とったら人格も備わった
何が悪いかわからん。お前が何求めてるかもわからん
人格者はオギャーと言った瞬間から人格者じゃないとダメなの? >>2
そんなんじゃダメだろ
カズはJ1で伝説のスーパーゴール決めて引退するんだ >>85
ねーよ
カズはワイン大好きだし最終予選中も飲んでる カズ、ラモス、北澤、阿部、石塚、前園、永井、、、
当時の緑はチャラ男しかいないな
カズと違って最初から最後までストイックだった中澤は緑では浮いていただろうな 不倫するわ六本木で豪遊するわ好き放題やってたカズが何故か聖人キャラになっていて笑えるw 94年予選は ヴェルディ軍団が遊びまくってスタミナ切れ
98年予選は カズは遊びまくったつけがきて体調不良でメンバー外 >>65
>>>61
>それもヴェルディの練習を見に行っていた人が写真付きでブログに載せてたな
98年 中澤ヴェルデ加入
99年 中澤プロ契約
99年 カズ ディナモザグレブ移籍(その後京都サンガ)
中澤がカズにやられたのは練習生時代と様々な書籍、雑誌に書かれているので98年
98年は日本でブログサービスは一般的でなく、いわゆる"ホームページ(個人ウェブサイト)"やニフティの時代
当時ブログは無いんだわ
後年ブログに載せたとか言い張るんならそのページを教えてくれ
http://www.kogures.com/hitoshi/history/blog/index.html
ブログの日本上陸
日本では個人ニュースサイトが自然にブログ(SNS)に移行したものが多く、ブログがいつ日本で始まったかを明確に特定するのは困難である。
1999年代末から2000年代初頭にかけて、多くの紹介が行われたので、「ブログ」という言葉が認識されるようになったのがこの時期だといえる。
2003年、ニフティがレンタルブログサービス「ココログ」を開始した。
ニフティはパソコン通信のフォーラム時代から多くの情報発信利用者をもっていたし、日本最大のインターネット加入者をもっていたので、これによりブロガーが急激に増加した。 >>90
イタリア料理の時はワイン飲んでたのは知ってる
夜遊びの時はシラフだと言ってたぞ、当時 >>97
ブログじゃなくてホームページだな
黒い画面に原色の赤と青の文字でカズの蛮行について書かれていた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています