2019年12月22日
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“ゆきぽよ”の愛称で親しまれる木村有希など、多くのギャルタレントを輩出してきた雑誌『egg』(大洋図書)。
当時の読者モデルたちは雑誌を卒業後、テレビで活躍する人もいれば、結婚して主婦になったり、
キャバ嬢になったり、一般企業に勤めていたり……。
その進路は実にさまざまである。

まずは、どのようにして『egg』モデルになったのか。
宇津木さんが当時を振り返る。
「小学生のときに『GALS!』という漫画が流行って、主人公の寿蘭に憧れたんです。それで、私服はなんとなく
 ギャルっぽくしていたんですが、実際に肌を焼いて、髪にメッシュを入れたのは高校を卒業してからでした」
遅咲きのデビューだった。
ギャルに対して憧れはありつつも中学・高校までは黒髪で、盛り髪にすることはあれど、ウィッグを付けていたという。
実は、高校にはソフトテニスと学業の特待生で入学するほど成績優秀だったのだ。

晴れてギャルの見た目になった宇津木さんは、『egg』の読者投稿ページに写メを送った。
すると、編集部から連絡があり、まずは『egg』の姉妹誌でストリートスナップに呼ばれた。
そこから『men’s egg』などの兄弟誌からも声がかかるようになり、企画の表紙ページにも大きく掲載された。
こうして、徐々に『egg』本誌でもモデルとして登場するようになったという。
「当時は静岡に住んでいて、横浜の保育士の専門学校に新幹線で通っていたんです。そこから撮影の時は
 編集部のある渋谷まで出て。ただ、最初は自分がモデルだとは思っていなかったんです。
『モデル相関図』という企画に名前を載せてもらって、ようやく『存在が認められたんだな』って実感しました」
雑誌に出るようになってから、ヤマンバギャルのサークルにも入った。
日サロは週3回、いちばん強いマシンに入っていた。
お金を節約するために、日サロでアルバイトを始めた。
屋外に出て太陽光で肌を焼く“天サロ”の様子がテレビで紹介されることもあったという。
(全文はソースで)

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元『egg』モデルで現在は保育士
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黒ギャルだった当時
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仕事中の姿