【コラム 竹下陽二の「Only Human〜みんなただの人間〜」】

野球評論家の野村克也夫人、サッチーこと沙知代さんが2017年12月8日に急死して2年が過ぎた。
「サッチーが亡くなったのは、今みたいに寒い日だったなあ」とふと思ったら、命日の翌日だった。
そして、大切なことは、意外とその人が亡くなった後に気付くものだなあ、今さらながら思う。

思い出すのは、沙知代さんがあの日、確かに見せた「泣き顔」とその後に起きた私に対する「激怒事件」である。
私は2006年4月に「野村克也 クソッタレイ!」(学研)なる本を出版した。
クソッタレイはノムさんがよく口していた反骨の言葉であるが、出版後、間もなくすると、私の携帯電話が鳴った。

「アンタ、よくもあんなデタラメ書いてくれたわね。まあ、クソッタレイは良いわよ。
でも、私がアナタの前で泣くわけないでしょ!うぬぼれるのもいいかげんにしなさい!」

電話の向こうの声の主は怒っていた。沙知代さんだった。私は「そんなつもりでは…」と説明を試みたが、生きた心地がしなかった。
人生の中であれほどの恐怖を感じたことはない。

本の中の一文が、沙知代さんの逆鱗(げきりん)に触れたようだった。2001年冬、ノムさんは3年連続最下位の責任を負って、阪神監督を辞任した。
沙知代さんの脱税容疑による逮捕も足かせにもなっていた。私は「それからのノムさん物語」を知りたくて、東京都内の野村邸をたまに訪ねた。
そして、ある日、野村邸を訪れ、帰り間際、玄関先で沙知代夫人に呼び止められ「あの人、ずっと家にいて、元気ないのよ。主人を励ましてやって。
もう1回、野球をやってほしいのよ。イキイキしてほしいのよ。だから、元気づけてやって」とお願いされた。自責の念もあったのだろう。
その時、ノムさんの前でも泣いたことない沙知代さんの声は震えて、目に光るものがあった。
「サッチーが泣いている」と思ったことを今でも覚えている。しかし、本に書く段階になって、本当にサッチーが泣いていたのか、自信がなくなった。
沙知代さんに会って、あの時、泣きましたよね!ね!ね!と確認するのもヘンである。
だから、文中では、「今にも泣きだしそうだった」と表現をゆるめた。
私は沙知代さんのノムさんに対する愛情とか優しさを表現したつもりだったが、沙知代さんは自分の弱さを世間に知らされたという思いがあったのかもしれない。

以来、私は沙知代さんの陰におびえることになった。ノムさんに「間に入って、誤解を解いてください」と頼んだが、われ関せずとつれなくされた。
ボクシングの世界戦を取材に行った時、リングサイドの最前列で試合を見ていると、ゲストで呼ばれていた沙知代さんがリングの反対側の最前列にいるではないか。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00010018-chuspo-base
12/11(水) 12:42配信