【訃報】日本で最初の空手全国王者、金澤弘和氏が死去
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日本初の空手全国王者の金澤弘和 國際松濤館 宗家・最高師範が他界した(c)月刊空手道
國際松濤館空手道連盟宗家・最高師範の金澤 弘和(十段)が死去した。88歳だった。
【フォト】昨年7月、87歳の金澤氏。最後のインタビュー時に座右の銘を色紙に書く
金澤氏は1931年(昭和6年)5月3日岩手県生まれ。拓殖大学在籍時より松濤館流空手の開祖である船越義珍、日本空手協会設立者の中山正敏らに空手道を学んだ。
1957年(昭和32年)10月、東京体育館にて日本で初めて開催された空手の全国大会『第1回全国空手道選手権大会』(日本空手協会主催)の組手の部において、右腕骨折ながら蹴り技だけで優勝し、蹴りの金澤と名を轟かせた。翌年の全国大会では組手、型部門ともに優勝を果たした。
昨年7月、87歳の金澤氏。新空手道で最後のインタビュー時に「山は富士、花は桜木、人は武士」と色紙にサインを入れた
1960年(昭和35年)より、海外へ空手を普及する先陣を切ってハワイ、ヨーロッパ各国などで指導、世界の空手普及の基盤の確立に貢献。
1978年、日本空手協会から独立し國際松濤館空手道連盟を設立。「調和の哲学」に基づいた空手の普及発展に努めた。
著書に『空手六週間で強くなる!!』(福昌堂)、『空手組手全集―空手道・組手教範』(池田書店)、『我が空手人生(日本武道館)』がある。昨年12月に出版された『新・空手道 第1号』では18年7月に収録した事実上最後のインタビューが掲載されているが、高齢のため、言葉が少なめだったと編集者は語っている。
この3〜4年は高齢のため杖をつきながらも全国大会に出席していたが、昨年8月の全国大会では開会式に出席し会場を途中退席。今年8月の全国大会は欠席。大会関係者は自宅で休養していると話していた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191210-00000020-gbr-fight 日曜日の大会見たけど型の顔芸のおっさんのほうがひょろひょろの組手勢より
つよそうだった 大山総裁死去により
団体が分裂した。
世界大会は、松井派や諸団体で
行われてしまい
松井派の八巻が王者になったが
実力で見れば
八巻より塚本徳臣の方が
上だったと思う。
それが今でも残念だ。
結果的に、塚本は
新極真側の大会で王者になったが
塚本をヨイショするような
雰囲気も造られていたので
その中でも塚本に挑み続けた
岡本の勇敢さも評価したい。 戦後初の空手道選手権大会決勝は
大山倍達vs南波五段
だろ? >>17
岡本徹は結局、なんかで優勝したの?
二年連続で七戸相手に合わせ一本かましていたな。 このスレで極真の話してるやつって朝鮮人?
それともいまだに梶原一騎に騙されてる人? >>31
キミィ〜、アダシが生きでいだらマスイ君を破門にしているとこダョ〜。
大山 倍達は、(おおやま ますたつ、男性、1923年(大正12年)6月4日 - 1994年(平成6年)4月26日)は、朝鮮半島出身の武道家であり、国際空手道連盟総裁・極真会館長。段位は十段。
別名:マス大山(Mas Oyama)。韓国系日本人で民族名は崔 永宜(さい えいぎ、チェ・ヨンウィ)。
文 章圭(ぶん あきよし、ムン・ジャンギュ、通名:松井 章圭(まつい しょうけい、松井 章奎(読み同じ)に改名、1963年(昭和38年)1月15日 - )は、東京都文京区出身の武道家・実業家。国際空手道連盟 極真会館の館長。極真空手八段。
盧山 初雄(ろうやま はつお、帰化名:梅原 初雄(うめはら はつお)、1948年(昭和23年)3月31日 - )は、埼玉県出身の武道家。極真空手道連盟 極真館の館長。極真館空手道・範士九段。
朝鮮系日本人で民族名は盧 初雄(ろ はつお、韓国語読みではノ・チョウン、北朝鮮語読みではロ・チョウン)。 極真と言えばライターの小島なんちゃらにストーカーされている印象しかない 蹴り技だけで優勝って
やっぱりテコンドーは正しかったんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています