アリアス、メイ、ブライアント…拾ってもらった先で成績を伸ばした助っ人外国人
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結果が残せないと、ドラ1選手でも自由契約となるのがプロの世界。助っ人外国人となればさらに評価は厳しくなり、「そこそこの成績」ぐらいでは放出されることもある。多くはそのまま母国や外国のリーグに行くが、中には幸運にもNPBの他球団に拾われ、さらにそこで目覚ましい活躍を見せる選手もいる。今回は、そうした「拾ってもらった先で才能を開花させた助っ人外国人」を紹介する。
平成の歴代外国人 最強ベストナインは?
アリアス、メイ……拾ってもらった先で成績を伸ばした助っ人外国人
阪神・アリアス
●ジョージ・アリアス(オリックス⇒阪神)
2000年にオリックスに入団したアリアスは、持ち前の長打力を武器に1年目は26本、2年目は36本の本塁打を放つなど活躍。しかし、首脳陣が満足する成績でないとしてチームを退団することになる。
そんなアリアスを獲得したのが阪神だ。長打力は相変わらず破壊力満点で、2003年には38本塁打を放ってチームのリーグ優勝に貢献。ベストナインを受賞した。また、一塁の守備も安定しており、2003年にはゴールデン・グラブ賞にも輝いている。
アリアス、メイ……拾ってもらった先で成績を伸ばした助っ人外国人
巨人・メイ
●ダレル・メイ(阪神⇒巨人)
1998年に阪神に加入したメイは、好投するも援護に恵まれない試合が続き、そのフラストレーションから2年で退団。しかし、ライバルの巨人に移籍すると、いきなり12勝を挙げてチームのリーグ優勝に貢献し、翌年も10勝と活躍した。
阪神では2年で10勝と芳しくなかったが、巨人では打線の援護もあり、素晴らしい活躍を見せた。特に不満を溜めたまま退団した阪神が相手だと、いつも以上に強気のピッチングを披露。エキサイトしすぎて危険球を投じることもあったが。
アリアス、メイ……拾ってもらった先で成績を伸ばした助っ人外国人
DeNA・エスコバー
●エドウィン・エスコバー(日本ハム⇒DeNA)
2017年に日本ハムに加入したエスコバーは、その年の7月にDeNAにトレードで移籍。加入したばかりの新外国人をシーズン中に放出するという異例の事態だった。放出されるまでは14試合に登板してまずまずの成績を残していたが、外国人枠の関係で出場機会が限られており、チームが野手を補強したかったことから異例のトレードが成立したという。
1年目から放出の憂き目に遭ったエスコバーだが、新天地のDeNAは投手不足だったことから先発、中継ぎで27試合に登板。大車輪の活躍でチームをクライマックスシリーズ(CS)に導き、CS本番でも好投して日本シリーズ進出に大きく貢献した。以降もチームの中継ぎの柱として活躍。2019年シーズンも74試合に登板している。
続きまーす
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191209-00000004-baseballo-base >>1
●トム・エバンス(阪神⇒西武)
2001年に阪神に加入したエバンスは、初年度は攻撃では活躍できなかったものの守備で貢献。しかし、2002年は外国人枠がほかの助っ人で埋まってしまい、前年に目立った活躍を残していなかったことも災いして1試合も出場できずに橋本武広とのトレードで西武へ。
期待に応えるように、ここで阪神時代とは別人のようなバッティングを披露。当時西武の四番だったアレックス・カブレラほどの大活躍はできなかったが、78試合に出場して15本塁打、45打点と、来日してから最高の成績を残した。
アリアス、メイ……拾ってもらった先で成績を伸ばした助っ人外国人
●チェン・グァンユウ(DeNA⇒ロッテ)
現在、ロッテで中継ぎの要として活躍しているチェンは、大学在学中にDeNAが獲得し、育成選手として契約。何度も育成契約を結び直した後に2014年に支配下登録されるが、思ったようなピッチングをすることができずに自由契約となってしまう。
DeNAを退団したチェンは2014年にロッテのキャンプに参加し、入団テストで好投を見せて入団。翌2015年は開幕一軍を勝ち取り、14試合に登板して5勝4敗、防御率3.23という成績を残した。2017年からは中継ぎでの登板が増え、2019年は44試合に登板。自由契約からチームに欠かせない存在にまで成長した。
アリアス、メイ……拾ってもらった先で成績を伸ばした助っ人外国人
●ラルフ・ブライアント(中日⇒近鉄)
くすぶっていたところを拾われて大躍進を果たした選手といえば、ブライアントも外せないだろう。1988年にドジャースから中日に入団したブライアントは、日本の投手に苦しみ、一軍はおろか二軍でも結果が残せなかった。そんな中、チームの主砲が逮捕された近鉄がブライアントに注目し、獲得した。
三振ばかりだったブライアントの獲得を疑問に思う声もあったが、加入後の74試合で34本塁打と大爆発。翌1989年は129試合に出場してリーグ最多の49本塁打を放つ。特にリーグ終盤でのダブルヘッダーでは4打数連続本塁打で勝利に貢献。優勝の立役者となり、リーグMVPと最多本塁打のタイトルを獲得した。
今シーズンも西武のカイル・マーティンやソフトバンクのアリエル・ミランダなど、まだまだ大きな活躍を見せてくれそうな外国人助っ人が自由契約となった。新外国人を連れてくるよりも安定した成績が見込めそうだが、果たして獲得する球団は現れるのだろうか。 >>4
ヤクルトでも阪神でもけっこう活躍してた記憶あるな
あの破壊力満載の六甲おろし最高 アリアスは試合中に一塁と三塁を行き来したりして良かったわ
打順も6番に置ける余裕の有る時期だったのも良かった
東京ドームに強かったから巨人入った時はちょっと怖かったが駄目だったな 死球で激高した清原にニヤニヤしながら来いよって手招きしたのメイだっけ? エスコバーって大谷の特別待遇にキレて、
首脳陣批判したらトレードに出された外国人選手かな 三大野村再生工場といえば?
小早川
田畑
あと一人は? アリアスは阪神の後で拾ってもらった巨人ではダメダメだったけどな >>4
どっちも活躍した
球場の違いでヤクルトん時は30本超えた >>14
越えたか?
20本くらいじゃなかったか? 6番打者が38本塁打だなんて
今の阪神じゃあ夢のまた夢 なんか急に思い出したように過去の助っ人外国人選手の話題って上がるよなw アリアスは阪神行って年俸馬鹿みたいに上がったろ、そんなの拾って貰ったと言わんわ。 >>12
辻かな
キャリアハイの打率はヤクルトで残してる
もっとも、年棒が高騰しすぎて放出されたパターンだから、成績低迷でクビになったケースとは違う 閃光見せろ狙え場外
グレイトパワーブラッズ フルスイング 昔、破格の高額年俸で来日したけど直ぐに自打球で骨折し、それを野球を辞めろと云うお告げといって国に帰った選手が居た記憶がある。 メイは阪神打線が酷すぎて勝ち星付かなくてかわいそうだった
巨人行ってからは余裕持って投げとったわ
エバンスはあのまま阪神居てもオリックスの成績は出せなかっただろう
環境なのかなぁ 元いた球団でイマイチだった選手がよそで活躍すると元の球団がうんこだったんだなと思う
選手もこの球団じゃダメだ、よそに行きたいって思ってるのは多いだろうな メイは拾ってもらったか?
実力あったけど阪神が暗黒だっただけだろ
アリアスも安定はしてたし
ブライアントもなんか違うような >>39
そこまで年俸上げたくないから阪神に移動したってイメージだな
この頃は新外国人取るより活躍したのを金で取る方が確実性高くなってた時代だな >>51
新庄はある意味一番酷いわ
再生させたら勝手にどっか行っちゃったイメージ メイはオールスター休みにバカンスに行って、
野村が例のごとくネチネチ言ったら、
ブチキレて野村の悪口かいたレポートをマスコミにばらまき退団になった。
今考えたら他球団で大問題起こした奴をよく巨人が獲ったと思う。 ブライアントの説明はちょっとおかしい
当時、外国人選手は支配下内に3人までしか獲得できず、一軍には2人までしか登録できないという制約があった
中日の外国人枠は主力投手の郭とクリーンアップのゲーリーで埋まっていた
ゲーリーの調子に波があったことを考えてブライアントを予備的に獲得
そしたらブライアントを獲った直後からゲーリーがずっと好調でブライアントの出番なし
そんな中、近鉄のデービスが大麻で逮捕・解雇されて4番を失った近鉄のために救済的に金銭でトレード >>48
打席外した和田豊の頭部付近に投げてたの思い出したわ。 >>1
嘘吐き
アリアスがオリックスを退団したのは年俸をふっかけたから >>4-5
「長打がない」という理由で解雇され移籍1年目に
自己最多本塁打
これは1992年に同僚だったパチョレックも同じ >>60
当時の近鉄のコーチが中西太だったのが幸運だった
もし中西さんに出会わなければ大型扇風機で終わってた
だろう >>7
アリアスってサードでも
鉄砲肩でいい送球してたな ドミニカ出身 広島カープからメジャーになったソリアーノが優勝だろ 檻クビになったオルティズとかセギノールよそで活躍したな。
連れて来た人は見る目あるけど、使う人に見る目なかったんだろな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています