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【プロレス】'90 賛否両論だった大仁田のプロレス大賞2冠

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0001牛丼 ★
垢版 |
2019/12/07(土) 12:35:15.54ID:ppyVo/ff9
【プロレスPLAYBACK(1990年12月14日)】2019年度の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」選考会が迫ってきた。毎年、激論が交わされているが、今年は例年以上に多種多彩な選手のエントリーが予想される。

 1974年に始まった大賞の長い歴史で最も波紋を呼んだのは、邪道ことFMWの大仁田厚が2冠を獲得した90年だった。当時はアントニオ猪木率いる新日本プロレス、ジャイアント馬場の全日本プロレス、社会現象にまでなった前田日明率いる第2次UWF、さらには天龍源一郎が旗揚げしたSWSがマット界に君臨していたからだ。

 正々堂々としたスタイルでは勝負にならない。85年に引退した大仁田が再起してメジャー団体に挑むには「邪の道」しかなかった。今では当たり前になった有刺鉄線電流爆破マッチは「負の発想」から生まれた革命でもあった。だが、この結果はマット界に大きな波紋を呼び「賛否両論」どころか「否」の声が圧倒的。29年前の90年12月15日発行本紙では1面で選考過程を報じている。

「大仁田厚が年間最高試合賞と最優秀選手賞を独占の大波乱! 14日に東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞選考会が開かれ、各賞が決まった。プロレス7団体の戦国時代となった平成2年の大混戦を飛び抜けたのは意外にも大仁田だった。ベストバウトは、8月4日東京・汐留で行われた大仁田対ターザン後藤の電流爆破マッチと、4月13日東京ドームの天龍対ランディ・サベージが3度の投票の末、1票差で大仁田が天龍を振り切った。キワモノか死闘か。世間の評価も真っ二つに分かれた。自ら『何が飛び出すか分からない』と語り、常識を破天荒に突き破る大仁田が2冠王に輝いた。激動の時代の象徴といっていい。格、既成概念、団体規模が尺度ではなく、新たな基準が生まれた。大仁田には失礼だが、知名度と過去の実績では四天王(天龍、前田、ジャンボ鶴田、長州力)にはるかに劣る男が達成したゲリラ的2冠。時代のアダ花と呼ぶのは酷としても、マット界は新たな局面に突入した」(抜粋)

 いま読んでも文章には明らかに拒否感が満ちている。90年代の多団体時代を生み出し、その後のインディー団体乱立の原因となった弊害もあるが、歴史的快挙であることに間違いはなかった。この翌日、運悪くUWFの道場で現在のプロレス界の王・鈴木みのるに紙面を見せるハメになった記者は「何だよ、これ。バカじゃねえの。俺と練習生のスパーリングの方がまだ面白えよ。何考えてんだよ、東スポ!」と激高され、横にいた藤原喜明組長は「まあ、いいんじゃない」と達観した表情を見せていた。

 現在では世界の荒鷲こと新日プロの坂口征二相談役をして「レスラーが1000人超えたんだって? それはそれでいいんじゃない。プロレスラーとレスラーは違うと思うけど、みんなプロレスが好きでやってんだから」と容認する時代になった。こうなった以上、邪道には10度現役復帰の自己記録更新を狙い、令和の時代も駆け抜けて責任を取っていただきたい。

(敬称略)

https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1649820/
https://youtu.be/i9n3sH-j-CI 42:あたりから
0018名無しさん@恐縮です
垢版 |
2019/12/07(土) 13:33:13.50ID:y4VokCsR0
全日時代は馬場鶴田天龍大仁田の順位で、空中戦も投げもラフもなんでも出来きた器用な選手だったのに、
復帰して数年後にはレスリングの出来ないキワモノ扱いになっていたな。
0019名無しさん@恐縮です
垢版 |
2019/12/07(土) 13:44:40.90ID:hwlco7/Q0
>>18
タイガーマスク全盛期に全日のジュニア任されてた不運はある
ライバルはドラゴンのお古のチャボゲレロだったし
でも悪い選手じゃなかったんだよ、大仁田は
ちゃんと動けるレスラーだったよ
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