【プロレス】天龍も初めて知った! 坂口氏が明かす幻の「馬場&猪木コミッショナー設立」龍魂激論•前編
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【天龍源一郎vsレジェンド対談 龍魂激論】ミスタープロレスこと天龍源一郎(69)がマット界のレジェンドと熱く語り合う特別連載「龍魂激論」。今回は天龍ですら頭が上がらない“世界の荒鷲”新日本プロレスの坂口征二相談役(77)が登場だ。坂口氏は新日本でアントニオ猪木、一方の天龍は全日本プロレスでジャイアント馬場というプロレス界の2大巨頭の元で全盛期を過ごした。2人だけが知るBI砲の秘話や経営者としての哲学、そして日本プロレス界の今後について前後編の2回にわたりお届けする。
坂口氏:よっ、久しぶり。
天龍:お元気そうで。
――お二人は柔道と大相撲からプロレスに転向した経緯があります
天龍:一番お聞きしたかったのは、1967年当時に柔道日本一からの転向は、さぞ大変だったかと。
坂口氏:全日本選手権を取ってブラジルの世界選手権まで行ったけど、メキシコ五輪(68年)は柔道がなくなってね。将来が見えなくなった。まだ現役でいたかったから、25歳でプロレスから勧誘されて決心した。高校卒業時は相撲から誘われたよ。
天龍:知ってますよ。
坂口氏:大騒ぎになったから、日本プロレス入団発表の夜に手ぶらで馬場さんとハワイに逃げた。その後、ロスに渡って靴から背広まで作ってもらってさ。
天龍:俺もそうでした。馬場さんはいつも坂口さんのことを弟のようにほんわかと語ってました。日プロに入ったらエリートコースだったんでしょ?
坂口氏:いや、行ったり来たりで最初の3年はアメリカ。最後は日本に帰りたくなかった。ロスでは馬場さんとタッグを組んだり楽しい思い出ばかり。
天龍:「坂口が入ったら、おっさんばかりだった会場に若い女子が増えた」って馬場さんから聞きましたよ。
坂口氏:逆に相撲からの転向も大変だったろ。
天龍:26歳でプロレスに入ったけど不安で。でも系図を調べたら坂口さんが25歳で転向してる。「俺も何とかなるかな」と励みになりました。
続きまーす
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191206-00000003-tospoweb-fight
https://youtu.be/YpwRZOE2wiU >>1
――馬場さんの存在は
坂口氏:兄貴のようなもんだよ。俺が社長になって最初の東京ドーム大会(90年2月)には快く選手を出してくれた。
天龍:俺には「どうしようか?」と聞いてきたから「意地でも地方で大会やりましょう」と言ったら「坂口へのご祝儀かなあ」と。何だよ答え出てんじゃねえか、コンチクショーって(笑い)。
坂口氏:全日本が出ると決まったらチケットが一気に完売して驚いたなあ。
天龍:やっぱり数千万持って行ったんですか。
坂口氏:キャピトル東急(ホテル)まで小切手持って行って、頭下げたよ。
天龍:俺たちは数十万でしたけどね。ご祝儀と言いながら馬場さんはしっかり潤っていたわけだな、フフフ…。
坂口氏:「日米レスリングサミット」(90年4月13日)はWWF(現WWE)と3団体合同のドーム興行だったけど、馬場さんがビンス(マクマホン・シニア)と大ゲンカしちゃってさ。キャンセルするって怒っちゃって参ったなあ。最終的にはキッチリ利益は3等分してくれたけどね。
天龍:坂口さんが社長だったからこそですよ。
坂口氏:その時期、俺はほぼ毎月1回、ホテルに部屋を取って馬場さんと猪木さんを会わせてコミッショナー設立の話が進んでいた。頓挫したけど議事録は今でも残ってる。
天龍:えっ、初めて聞きました。実現したら業界は変わってたな…。
――お互いに経営者だ
坂口氏:猪木さんが(89年に)参院議員になって「お前社長やれ」って(苦笑)。金庫番からマッチメークまで何でもやった。体はガタガタだったし、現役は退こうと思っていたしね。借金は十何億あって「バカだなあ」と言う人間もいたけど8年で返済した。闘魂三銃士が出てきてドーム大会が成功したおかげ。俺が社長だった10年間は誰も辞めないでくれた。全てがうまく回った。
天龍:ビッグ・サカに胸ぐらつかまれたら誰も逃げませんって。WARみたいな小会社がやってこられたのは、新日本で稼いだ大金を自転車操業に充てたからですよ。
――マット界の重鎮として未来をどう見る
坂口氏:会社の50周年(2022年)はしっかりと見届けたいね。五輪後に新国立競技場で記念イベントを開催するくらいの目標を業界全体に持ってもらいたい。できないことはないと思う。今の俺はスカパー!で新日本からインディーまで見てるファンのような立場だけど、新日本は選手の第2の人生も考えてくれるし、いい時代になった。未来は明るいんじゃないか。天龍には永遠に業界のお目付け役でいてほしいね(笑い)。
天龍:まだまだ話が尽きませんね。そういえば、まだあの人の話を詳しくしていませんね。
坂口氏:……。
※続く
☆さかぐち・せいじ 1942年2月17日生まれ。福岡・久留米市出身。高校時代から柔道で活躍。明治大学卒業後、旭化成に入社し、65年に全日本選手権で優勝。67年、日本プロレス入門。73年に新日プロに合流。UNヘビー級、北米タッグ、北米ヘビー級王座などを奪取した。89年6月、同社長に就任。会長、CEOを経て、現在は相談役。長男はプロレスラーの坂口征夫、次男は俳優の坂口憲二。 坂口はレスラーとしては塩だったけど社長としては有能だった
猪木は真逆
適材適所だよな 武藤、蝶野、橋本は華があったんだな
確かにそれ以降若手が育っていない ワープロが1時間番組だったのが30分番組に成り下がったのは坂口社長(最後は会長)が退任したから
会社の経営のために簿記の勉強までしたのは有名な話 ビッグサカも大概よくいわれないが輪をかけてボロクソな奥さんの話を聞きたいぞ
当時アントニオ猪木の奥さんの賠償美津子が新しい毛皮コート来てきたらすぐに坂口にねじ込んで
自分も毛皮コート新調して見せびらかすとかあったんだよなw 猪木の金玉をトップロープに打ち付けたアトミックドロップは未だに鮮明に覚えてる うろ覚えだけど、アトミックドロップを失敗して超高角度投げっぱなしバックドロップになってしまったことがあったような
ホントに命を落としかねない、ある意味最凶の必殺技だわあの失敗技はw >>12
テレ朝が全日に行けば馬場の下だが、新日に来れば猪木と2トップで同格扱いにしてやると言ったから
結局人気に差があり約束は反故されたが、移動のバスは最前列の席でそこだけ格上扱いだったw あの人の話をしてないということは
次は猪木の話題か >>22
東スポで自分の会社の現状を知る情報通だぞw >>21
事実かどうかわからないけど「馬場は『坂口君はうちに来ればもっと人気が出るのに』と言っていた」という逸話を聞いたことがあって、
体格が良くて力が強い坂口は全日向きではあるんだよね。
ただ、本当に行っていたら馬場はもちろん鶴田より下の扱いになっていたんじゃないか?とか、新日にいたから個性を発揮できたんじゃないか?
とも思う。
今、坂口が相談役として穏やかに老後を過ごせてるということは、新日に行ってよかったのかもしれない。。 >>1
私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。
そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。
もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。
しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである。 >>28
全日には坂口の上位互換の馬場が君臨してるから坂口はタイプの違う猪木と組んで正解だね 坂口は全然プロレス出来なかったろ。
梶原一騎の原作漫画で日プロの坂口派のレスラーが坂口はプロレスしょっぱいと
いじめられてたぞ。 >>29
何を必死になってトランプをディスってるのかな アトミックドロップをロープ際で放ち猪木のリトルトーキョーが悲鳴をあげた話好き。
坂口のリングアウト勝ちだっけ? >馬場さんがビンス(マクマホン・シニア)と大ゲンカしちゃってさ。
ジュニアだろアホ
さいしょはWWFが勝手にやろうとしてたのを、
あんなガキに舐められてたまるかって3団体合同にしたのが馬場だ 馬場猪木坂口鶴田あたりは大きくていかにもプロレスラーって感じで良かったな
若いのでも武藤蝶野秋山なんかも大きかった
今は岡田は大きいけど塩だしあとは小さいのばっかり
中邑は大きいか >>29
このスレ減って開いてそんな長文を書くくらいプロレス好きなのは分かった (´・ω・`)新日50周年は今の現役世代と坂口時代の人合わせてなにか大きなイベントやりそうだな よっしゃーバック取ったど!
バックドロップくるーーー
からの、アトミックドロップε≡ ヽ__〇ノ ズコー
って毎週のお約束だったな懐かしい 坂口のジャンピングニーはどっちかっつうとケツーだったよな アンドレと闘ってる時は生き生きしてた
小さいレスラーが相手だと壊してしまうかと思っておっかなびっくり試合してたらしい プロレスラー同士の喧嘩なんて勝手にやらせとくのが普通なんだけど
坂口が親指をペロっと舐めた時だけはヤバいからって外国人レスラーも止めに入ったという >>32
ケイオスのオールナイトニッポン0
オカダカズチカのオールナイトニッポン0があったから完全な夢物語ではないかもな >>44
https://www.youtube.com/watch?v=2NjQc4oeeBk
これの4:20あたりから
この試合坂口がアンドレを2回投げるんだけどその2回目の後
アンドレがムッとしてその後の攻めがエグい
他の日本人選手だったら壊れてそう >>28
馬場さん、鶴田さんが亡くなった時に坂口さんが全日の社長になっていたら、
ノアはなかっただろうし、今頃禅譲されて三沢社長が全日の社長だったんだろうな。
っていうか、新日に坂口が居なければUWFとジャパンプロレスが出来た時点で新日は終わっていたかもしれないね。 坂口は何気に大卒なのがでかいな
その都度合理的な判断してる 大卒以上に社会人経験があるからプロレス界で数少ない常識人なんだよ このあと11時から日テレで、かわいい浜辺美波ちゃんみようぜ >>29がなんのパロディなのか教えて下さい(´・ω・`) >>24
この対談に拠るとパパンも女子受けしてたんだなw >>60
「プロレス少女伝説」という本に対する評論家である立花隆の書評かと 坂口ってプロレスが下手糞すぎた名勝負一切ないな
カーンに言わせると中抜きして金儲けは上手だったらしいけど マスクドスーパースターとかといい勝負してたと思ったが >>7
鶴田は肝炎患者であってプロレスラーじゃないよ。
プロレスのリングに肝炎患者を上げて喜ぶような奴はプロレスファンじゃない >>66
肝炎になったのは引退する数年前だろ、ナニ言ってんだ?
体格的にもスタミナ的にも銭ケチリぶりでも、ジャンボを超える
日本人レスラーなぞ居なかった(巨人病と元子病の馬場以外は) 坂口てハンセンのラリアットで
血反(血のり)吐はいて倒れるて台本かんがえたんだよな
馬場がハンセンが初登場したとき
初期のころは血ヘドで失神パターンを原や石川にやらせてた >>67
鶴田保子著
さよならつうさん
1985年8月に肝炎キャリアって書いてあるぞ。
その前のシリーズで肘の手術のブックとしてキラーカンのニードロップでKO休場した時の事前の検査で肝炎キャリアと発覚。 >>71
キャリアがわかる事と発症する事は別じゃね? >>73
エイズキャリアとセックスするとエイズ感染するのと同じで肝炎キャリアと接触したら肝炎感染するよ。
感染力はエイズの数100倍な。 >>74
なんか噛み合わないね。
母胎感染の方に多いけどキャリアでも90歳すぎても元気な爺ちゃんもたくさんいる訳で、感染即発症じゃないよね?って聞いてるんだけど。 >>72
レスラーの鶴田はいいけど人間鶴田(やる気ない技かけてはいどうぞ)は許せないとか言ってたな 鶴田が肝炎とわかってからは流血になりそうな技は遠慮されてたと思う >>78
病気掛かってる知らなくて 試合前に「今日はちょっと」とか言われてがっかりしたとかね >>68
アンドレけしかけたの坂口だと思ってる
坂口本人にも聞いて否定されたのに >>82
すでに現役時代より裏方時代のほうがずっと長いからじゃね >>76
それもエイズと同じで潜伏期間が数週間から数10年だろ。
肝炎の場合はエイズと同じでいつ感染したか分からないから
感染源の特定が難しいんだよ。
お前エイズキャリアがリングに上がっても問題ないって言ってるんだぞ。 坂口も小沢(キラーカーン)も、日プロ崩壊後に全日行っとけば国民的プロレスラーになってたと思う
新日みたいなスタイルは合わない コミッショナーって佐川から猪木が金を引き出すために馬場をダシにしたって話だろ? 昭和新日世代だが、シン&上田や格闘技戦あたりの頃からのファンなので、
ワールド戦の大木との喧嘩まがいの試合を見てみたいね・・。 全日行ってたら鶴田の上に坂口がいてってことか、それは凄いな
新日にしても坂口がいるかいないかってのはいろんな意味ででかいな 猪木も時々気を遣ってたよな。
IWGPで坂口にリングアウト負けしたり、藤波・木村戦では自らフォール負けしたり 一回だけ柔道競技が行われなかったメキシコ五輪の幻の代表選手か。 CSのワールドプロレスリングクラシックで猪木・坂口vsゴッチ・テーズやってたんで見てたら
リングサイド最前列がどう見てもヤクザとしか思えない強面のスーツ着た連中がズラリと並んでてビビった
その中でもとりわけ目立つ白いスーツ着た四角い顔のヤクザがいて何だこいつと思ってよく見たら梶原一騎だったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています