0001牛丼 ★
2019/12/06(金) 11:55:41.06ID:TrorM4I79ところが、その曲の歌詞の一部に「泣いて血を吐く ほととぎす」という表現があり、当時重体だった昭和天皇の病状に「適切な表現とは言えない」という理由から放送自粛となってしまう。まさに今で言う「忖度」そのものだった。結局、紅白出場は叶わなかった。
そして1989年、彼女は悪性リンパ腫と診断され、闘病生活を送るものの1990年(平成2年)7月23日、31歳という若さでこの世を去った。
昭和の後期に登場し、平成時代が始まりまもなく命を落とした「悲劇の演歌歌手」──村上幸子。そんな彼女が、30年の時を経た令和の今、新たなファンから熱い視線を集めているという。いったい、それはどういう現象なのだろうか。
1週間に1000人以上が「お詣り」
31歳で夭逝した美しき天才歌手・村上幸子をご存知か
1987年8月13日、横浜ジョイナスにて 写真提供/蘇我飛鳥
「まいり」というウェブサイトがある。
これは、亡くなった有名人のお墓を模したサイトから、お線香をあげたり、お花をあげたり、コメントを投稿できるサービスだ。もちろんウェブ上でのことである。
このサイト内に「村上幸子」のコーナーもある。そこには、リアルタイムでここを訪れた人数が表示されている。この1週間で1116人、1ヵ月で5992人、1年だと7万1957人になっている。そして毎日のように、コメントが投稿されている。
「今日も幸子さんの曲を聴いています。ありがとうございます」
「幸子さんの歌を聴くとなぜか涙が止まりません。同年代の私はこれからもさっちゃんの歌を歌っていきます」
ちなみに同サイトの「美空ひばり」の来訪者は1年で2803人。「島倉千代子」で7611人である。知名度的には、だいぶ下に位置するはずの村上幸子は今、これほど多くの人に愛されているのだ。
続きまーす
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191206-00068906-gendaibiz-ent
https://i.imgur.com/w5ygzlV.jpg