◇17日 大相撲九州場所8日目(福岡国際センター)

大関高安(29)=田子ノ浦=がぎっくり腰のため8日目の取組直前に休場した。幕内土俵入りを終えて突然の休場は異例中の異例。かど番の高安は8日目までに3勝。再出場できなければ大関から陥落するが、10日目から再出場する可能性がある。十両以上の休場はこれで8人目となった。単独トップの横綱白鵬は、厳しい攻めで玉鷲を下して1敗を堅持。新小結の朝乃山は阿炎に快勝し、平幕の輝とともに2敗を守った。

貴景勝と明生の取組前に「高安休場」がアナウンスされると、何が何だか分からないといった感じで場内が異様な空気に包まれた。

それもそうだ。幕内土俵入りに高安の姿はあった。休場するとは誰も思わない。1989年秋場所12日目に、土俵下の控えにいた富士乃真が落ちてきた力士に乗っかられ骨折。04年初場所9日目には、十両の栃乃花が出番前の支度部屋でぎっくり腰。ともに不戦敗となった例はあるが、大関が突然の休場となると前代未聞の珍事だ。

左肘を痛めかど番で迎えていたが、この日の朝も福岡県大野城市の宿舎で稽古をしていた。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は「普通に稽古をしていた。ふろにも入って、ちゃんこを食べる前に『アァ…』と。ぎっくり腰です」と状況を説明。それでも高安の出場への意欲は強く「ストレッチして、土俵入りギリギリまで病院へ治療に行かせた」と場所へ向かわせた。

付け人の肩を借りて土俵入りに向かうほどの痛みを抱えていたが、支度部屋に戻ってからは大銀杏(おおいちょう)を整え直し、ふろに入って出番に備えようとした。だが、我慢の限界を感じた高安は部屋の行司を通じて師匠に休場の意思を伝えた。師匠から審判部の高田川親方(元関脇安芸乃島)に連絡が入ったのは午後4時45分。幕内前半戦はすでに始まっていた。

九州場所担当部長の境川理事(元小結両国)が支度部屋で高安の状況を確認し、「歩けないなら仕方がない。きょうは出ない」。高安も午後5時13分に右手を付け人の肩に、左手を左脇腹にあてながら、脂汗を浮かべゆっくりと車に乗り込み病院へと向かった。

このまま再出場しなければ大関から陥落。場所前に婚約発表した高安にとってはあまりに残酷すぎる。ただ、割り返しをしたため9日目の休場は決まったが、高安は9日目の出場を境川親方に訴えていた。師匠も「あしたは休みますが、出られるなら10日目から」と再出場を視野に入れる。

となれば3勝4敗1不戦敗1休で10日目を迎えるが03年夏場所、かど番の武双山は3勝6敗から勝ち越しを決めた。簡単にあきらめるわけにはいかない。

ソース/中日スポーツ
https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sumo/news/CK2019111702100071.html