「私も、『3年前』を経て、より言葉を選ぶようにはなりましたね。『さあ、乙武をたたいてやろう』って手ぐすねを引いて待ち構えている人がいっぱいいるので(笑)。もちろん臆する必要はないんですけれども、不用意なファウルを犯す必要はない、というのかな。本来伝えたかったはずのことが伝わらずに、違うかたちで拡散されてしまうことは本意ではないので」

2016年3月、自身のスキャンダルが報じられ、6月から家族と別居。同9月14日に離婚を発表した。ちょうど参院選出馬が決まりかけていた時期だった。障がい者だからいい人に違いない──。そんなバイアスの反動も世の中にはあったのかもしれない。
「私の件はもういいですけど、SNSが普及する中で、誰かを叩くということが、一つのエンタメとして消費されている感じはありますよね。『やめようよ』と言ったところで、やむものでもない。人間は感情で動いているので、いろんなことに腹を立てるんでしょうけど、もうちょっと理性的に考えて、建設的な議論ができたらいいですよね」
顔の見えないネットの中傷を乙武自身は「流すことができた」と話すが、周りに迷惑をかけてしまうことは耐えられなかった。予定していた出馬も取りやめ、また自身の活動も自粛した。
それまで「テトリスのように仕事を詰め込んでいた」生活が一変。活動自粛期間を含め、騒動が落ち着いたあともスケジュールはほぼ真っ白だった。
2017年の「ワイドナショー 元旦SP」(フジテレビ)にベッキーと共に出演。これを足がかりに一気にテレビ復帰するかと思いきや、同年3月から乙武は海外へ旅に出た。約1年をかけ、37の国と地域を巡った。約5カ月間、欧州で生活し、居心地のいい街への移住も、頭をよぎったという。だが最終的には、帰国することを選んだ。
「叩かれることは承知の上で、もう一度自分が実現したい社会のために発信をする、と腹をくくりました」

なぜ3年前の挫折を経ても、乙武は表舞台に戻ることを選んだのだろうか。
「私が健常者で手足があって、不自由のない生活を送れていたとしたら、何か強い気持ちで取り組むっていうことが果たしてできていたかな、と。『これ俺がやらなかったら誰がやるんだ』、『しょうがねえ、しんどいけど俺がやるか』って思える場面が多いんで、そのあたりじゃないですかね。せっかく与えてもらった体なので、自分にしかできないことをしようという『勝手な使命感』かな」

今でも立候補の打診は少なからずある

現在は、ラジオ、ニュース番組のMCなど、レギュラーの仕事をこなし、一時期はパッタリとなくなったという講演会も増えた。ウェブサービス「note」での定期購読マガジンでは、記事を週に4、5本執筆している。多様化する家族のかたちを描いた連載小説も完結したばかりだ。一時期真っ白だったスケジュールも、今はびっしりだという。
「文章を書くことも、テレビに出ることも目的ではないんです。私のような障がい者や、セクシュアルマイノリティー、経済的に厳しい環境の方、日本に生まれたけれどもルーツが海外にある方など、多種多様な境遇の方々ができるだけ同じスタートラインに立てて、同じだけのチャンスや選択肢が平等に与えられるという社会を実現したいって、これがやっぱり僕の目標なんですよね。それが一番効率的にできるのは政治家というポジションなのかな、という思いで3年半前に政治の道を志しました。まあ、身から出た錆でその道は閉ざされてしまいましたけど」
資格試験のようなものにパスすれば政治家になれるなら、どんな努力も惜しまずに猛勉強するだろう。乙武は言う。

「政治家というのは、人から好きになってもらう、選んでもらう職業。そういう意味でもう私の道は閉ざされているのかな。まだまだ文章を書いてもテレビに出ても、おまえが言ったことなんかにはもう説得力がないというふうに言われてしまう。でも、自分が目指す社会を実現したいという思いだけは変わらないんです。だから、そのときそのときの自分に何ができるかを模索していくしかないのかなと」

続きあります
https://news.yahoo.co.jp/feature/1502