荻野目洋子(左上)、松田聖子(右上)、岩崎宏美(右下)、松浦亜弥 (C)朝日新聞社

アイドルの歌唱力。これを論じるのは難しい。芸能や芸術の巧拙なんて、しょせんは好みによるところが大だし、そもそも、アイドルの魅力において「歌のうまさ」がどれほどの意味を持つのか、よくわからないからだ。

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 ちなみに、メリー喜多川さんはアイドルのライブについて「何か鳴ってりゃいいのよ」と言い放ったという。男性アイドルの場合「ヘタなほうが女の子の母性本能をくすぐる」として事務所が歌の練習をさせないケースもあるようだ。これは、女性アイドルにも通じる話だろう。歌のうまさはともすれば「可愛げのなさ」につながるから、両刃の剣でもある。

 そんななか、歌唱力と可愛げとを高いレベルで両立させたのが、松田聖子と松浦亜弥だ。ふたりとも、可愛い歌を聴かせるとともに、自分を可愛く見せる天才だった。それゆえ、歌のうまさが嫌味にならず、いわば「歌ウマ」アイドルの理想型となれたのである。

 という意見に、同意してくれる人はかなりいるのではないか。そして、このふたりとは違うタイプの、山口百恵や中森明菜という「歌ウマ」アイドルの理想型もある。ただ、理想型というのは容易に生まれるものではない。アイドルがまず可愛い存在でなくてはならない以上、歌のうまさは二の次になりがちだし、それゆえ、歌のうまさだけで成功するアイドルなど皆無だ。

 それでも、歌唱力が特別に評価されつつ、アイドルとしても人気が出る人がまれにいる。世間がいう「歌のうまいアイドル」とは、聖子やあややより、むしろこういうタイプだろう。

■「スタ誕」出身の岩崎宏美

 たとえば、70年代の第一次アイドルブームでは、岩崎宏美がいた。素人オーディション番組「スター誕生」の出身だが、その審査員でもあったソプラノ歌手・松田トシに声楽を学んだ本格派として、最初から歌唱力は折り紙つきだった。デビュー時のキャッチコピーは「天まで響け」。その言葉どおり、2曲目の「ロマンス」(75年)で大ヒットを飛ばしてトップシーンに躍り出ると、82年の「聖母たちのララバイ」では日本歌謡大賞に輝くことになる。

その歌唱力を何より堪能できるのが「ロマンス」のB面「私たち」だ。全体で3回出て来る「愛しています〜」の高音の伸びがとにかく絶品で、マニア向け評論誌「よい子の歌謡曲」10号には「血液中の二酸化炭素が全て消え去っちゃうようなスガスガしさ」(波田浩之)という評がある。これに比肩するものがあるとしたら、あややのデビュー曲「ドッキドキ!LOVEメール」のサビの高揚感くらいだろう。

■高田みづえ、荻野目洋子、そして本田美奈子

 70年代にはもうひとり、高田みづえもいた。こちらはデビュー曲「硝子坂」以来、カバー曲を得意にしていて、それ自体、高い歌唱力の証しである。特に彼女はどんな音楽も歌謡曲にしてしまう異能の持ち主だった。なかでも「潮騒のメロディー」はカナダのピアニストによるインストゥルメンタルに日本語詞をつけたもの。彼女の力業なくして、ヒットは覚束なかったはずだ。

 続いて、80年代の第二次アイドルブームでは、荻野目洋子を挙げたい。「ちびっこ歌まねベストテン」で注目され、小学生女子3人のグループで2枚レコードを出したあと、15歳で本格デビューを果たした。最初のブレイク、かつ最近の再ブレイクにもつながった「ダンシング・ヒーロー」が有名だが、そこにいたる前のアイドルポップスにも佳作が多い。いずれにせよ、ちびっこのど自慢的なところから出発しながら、ユーロビートのダンスナンバーという当時の流行りモノにも適応できたという、間口の広い歌唱力が彼女を一流にしたのである。

 そして、80年代ではもうひとり、本田美奈子(のちに本田美奈子.)がいる。ある意味、本稿の主役的存在だ。というのも、彼女ほど「歌唱力」が両刃の剣となったアイドルはいない。11月6日で死後14年がたったが、もっと別なかたちのアイドルになれたのではと今なお惜しまれるくらいだ。

11/12(火) 11:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191105-00000093-sasahi-ent
★1:2019/11/12(火) 14:34:29.50 前スレ
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