2日に閉幕したラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会は、2002年のサッカーW杯日韓大会以来となる国内での大規模な国際スポーツイベントだった。運営の舞台裏では、日韓大会のノウハウを蓄積した日本サッカー協会(JFA)もサポートに回った。日本代表のチームスローガン「ワンチーム」が注目された大会の成功の陰には、競技の枠を超えた結束もあった。

 JFAはW杯日本大会の開催が決まった2009年ごろ、日本大会の組織委員会から運営面での協力を依頼された。主催試合の会場への視察を受け入れたり、大会ボランティアに対する研修で職員が講話したりした。

 大会期間中は、JFAで広報の経験がある男性職員2人が試合会場で、取材エリアや記者室で世界中から集まったメディアの対応を指揮した。豊田スタジアム(愛知)に派遣された、JFA広報部の知元(ちもと)明洋さん(35)は、20〜50代の男女6人のチームを統括した。日本戦には200人ほどのメディアが詰めかけたが大きな混乱はなかったという。10月12日にニュージーランド―イタリア戦が台風の影響で中止になった際も冷静に対応した。

 知元さんは昨年のサッカーW杯ロシア大会で、スタッフとして日本代表に同行した経験があった。ロシア大会を含め、サッカーW杯での日本の最高成績は16強だっただけに、初の8強入りを果たしたラグビー日本代表の活躍に夢を見ているような感覚とともに、少しの悔しさも覚えた。

 「きっと日本大会の裏側では、いろいろな立場の人のいろいろな思いが混じり合っていた。今度は私がこの経験をサッカーのフィールドに還元する番だ」。知元さんは改めて決意をにじませた。

 来夏には東京五輪・パラリンピックが控えるほか、JFAは23年サッカー女子W杯の日本開催を目指している。知元さんは「きっとJFAが助けてもらったり、別の競技同士で協力し合ったりすることがある。スポーツ産業全体が成熟し、世の中全体を盛り上げていければうれしい」と話している。【黒川優】

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