https://news.yahoo.co.jp/feature/1468

2000年代前半、テレビ界は空前の大食いブームに沸いていた。そこに現れた数々のスターの中で、最も光り輝いていたのがジャイアント白田である。

195センチの巨体で、強敵たちを次々に倒していった彼は「史上最強の大食い王」と呼ばれた。

大食いは、12年前に引退した。「今は“小食”ですね。どれだけ現金を積まれても全盛期のように大食いはできません」。食い倒れの街・大阪は道頓堀で会った白田に、当時の面影はなかった。(取材・文:ラリー遠田/撮影:モリシタヨウスケ/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「あの大食いブームの当時の僕がいまだに最強だと思ってます」と白田は豪語する。その言葉通り、全盛期はトレーニングでカレー8キロ、試合本番ともなれば約10キロのカレーをたいらげ、稼いだ金額は年間3000万円にのぼる。そんなレジェンドが大食いの世界に身を投じたきっかけは、ささいなことだった。
中略

大食いブームが盛り上がりを見せていた矢先の2002年に事件が起こった。愛知県の中学生が大食いの真似ごとをして、給食のパンをのどに詰まらせて死亡したのだ。これを受けて、各局では大食い・早食い番組が自粛されることになり、ブームは一気に収束してしまった。

白田も大食い関連の仕事を一気に失い、元の生活に戻っていた。白田は飲食店の開業を目指して調理師の専門学校に通った。

その後、ほとぼりが冷めた2005年頃から徐々に大食い番組が復活して、再び盛り上がりを見せ始めた。白田もトレーニングを再開して大食いに挑んだが、そこにはもう彼の求めているものはなかった。

「その第2次大食いブームのときにギャル曽根さんとかが出てきたんです。彼女は天真爛漫なキャラクターで、試合中にメイクを直すとか、バラエティー的な面白さがありました。僕はストイックにアスリートとして大食いをやっていたんですが、時代はもっとバラエティー寄りというか、記録を突き詰める方向性ではなくなってきて。『これはちょっと命懸けられないな』と思って、僕としてはモチベーションが保てなかったんですね」

2007年に白田は大食いを引退した。そして、大食いを始める前からの夢だった飲食店の開業に向けて動き出した。

飲食店経営者となった今も、大食い界には一家言ある。ライバルたちとしのぎを削ってきた白田は、大食いが再び真剣勝負の世界になってほしいという思いを捨てきれない。

「僕とか小林(尊)くんとか、あのときの世代が作った強烈なインパクトってあると思うんですよ。大食い好きな人たちは割と『あの時代は面白かったね』って言うんです。それをぶち破るぐらいの強烈な選手が出てきたら、また業界は絶対に盛り上がるんだろうなって思っているんで、そうなってくれたら楽しいですね。そういう存在が現れたら、また僕も血が騒ぐ可能性はあります。こいつ、めっちゃすごいな、こいつと一戦交えたいな、って思うかもしれない」

トレーニングをしていない白田の体は大食い勝負ができる状態にはなっていない。本人も「もう大食いに未練はない」と言う。とはいえ、「カレーだったら今は3キロぐらいしか食べられないです」と語る彼はまだ常人には手の届かない別次元にいる。数々の伝説を残してきた大食い界の巨人は、今もその高みから大食い界の未来を見つめている。

https://giwiz-tpc.c.yimg.jp/q/iwiz-tpc/images/story/2019/10/15/1571111240_1571111224_aflo_11886275.jpg
https://giwiz-tpc.c.yimg.jp/q/iwiz-tpc/images/story/2019/10/15/1571109261_1571109246_20190912_yahoo-0025.jpg
https://giwiz-tpc.c.yimg.jp/q/iwiz-tpc/images/story/2019/10/15/1571109876_1571109858_20190912_yahoo-0041.jpg