Taiga
@ynwataiga

イギリスの大手新聞、The GuardianのAndy Bull記者が書いた。昨日のスコットランド戦の記事が本当に美しく、
詩的で、裏方さんなどにも光の当たった素晴らしい記事だったので、皆さんに読んで欲しくてほぼ全訳しました。
僕の拙い翻訳で申し訳ないですが、お時間あればご一読を。


Japan show world their defiance and skill in face of typhoon destruction
https://www.theguardian.com/sport/blog/2019/oct/13/japan-typhoon-rugby-world-cup


(1/3)

黙祷は、1分にも満たない、短いものだった。しかしそこには、過去に例を見ない状況で開催される、
この試合に対する、相反する感情の渦巻き、衝突が含まれていた。台風がつい数時間前に過ぎ去り、
スタジアムの周りは洪水であふれ、救出作業も終わっていなければ、修復作業など始まってすらいない。

その黙祷が、一体誰に向かって、何人の犠牲者へ捧げられたのかは、誰も知る由はなかった。被害者の数は、
未だに確定していなかったのだから。明け方は4名とされていた死傷者数は9名へ、試合開始時には24名に、
ハーフタイムに26名、試合が終わり少し経つ頃には28名へと増えていった。

そんな状況で、彼らは試合を開催するべきだったか。あなたは疑問に思っただろう。ラグビー協会は
そのことを日曜早朝に話し合い、日本人の組織委員に判断を委ねることを決定した。なぜこんな状況で
スポーツをするのか。なぜスポーツを見るのか。

未だに多くの人が行方不明で、堤防は壊れ、川は溢れ、会場の横浜から東へ16マイルしか離れていない
川崎では100万人が避難し、30マイル北に位置する相模原では、土砂災害でなくなった人の、正確な数さえ
把握できていない状況で。

災害への一種の清涼剤としてかも、もしかすると、日常を取り戻すためかも、台風に対する挑戦かもしれない。
いや、それ以上、「私たちは今生きていて、少なくとも今ここにあるものは楽しむことを決意した」と言う極めて
重要な意思表示の1つとしてかもしれない。彼らは試合の開催を決めた。

ホスト国としてのプライドもあっただろうが、会議に出席した委員会幹部は、「世界に向けて、自分たちはできる
と言うことを証明したい」というのが、開催を決定した最たる理由だと、繰り返し主張した。