【野球】セ本塁打王争いトップを走っていたパリッシュは、なぜ突然帰国したのか?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】
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メジャー実績十分の超ビッグネーム
「24時間タタカエマスカ」
栄養ドリンク『リゲイン』のCMで、そんな現代の働き方改革の真逆をいく熱血ビジネスマンが話題になった30年前。
平成元年(1989年)の日本の少年たちはサントリーはちみつレモンを飲みながら、発売したばかりのゲームボーイに夢中になったが、大人たちは「3パーセントの消費税」に揺れていた。
4月1日の制度導入以降は1円玉不足が話題になる一方で、川崎市の竹藪から1億円を超える札束が発見されたり、
秋には三菱地所が米ニューヨークのロックフェラーセンタービルを約2200億円で買い叩き、12月29日に日経平均株価は史上最高値の3万8957円44銭を記録した。
バブル経済はついにピークを迎えたが、空前の好景気に後押しされプロ野球界にも大物大リーガーが続々と来日する。
その象徴が平成元年にヤクルトに入団したラリー・パリッシュだ。当時35歳の右の大砲。
メジャー15年で通算256本塁打は来日した助っ人選手の中でフランク・ハワード(太平洋)の382本、レジー・スミス(巨人)の314本に次ぐ歴代3位(89年当時)。
ア・リーグ、ナ・リーグの両リーグで30本塁打を放ち、1試合3本塁打を四度、1週間で満塁弾3発のメジャー記録も保持していた超ビッグネームだ。
身長190センチ、99キロの巨体で、ワニの肉を食べると発言したことからニックネームは「ワニ男」。
左ヒザには特注のニーブレースを着用し、85年のホームクロスプレーをきっかけに痛めたヒザの三度の手術歴があるため、
年俸は65万ドル(約9100万円)プラス出来高という、圧倒的な実績のわりにはNPBの適正価格での契約だった。
その注目度はもちろん高く、開幕戦で平成第1号アーチを含む2本塁打を放った巨人の原辰徳が表紙を飾る『週刊ベースボール』89年4月24日号では、新怪物パリッシュの直撃インタビューを掲載。
ヤクルト入団の理由を聞かれると、「提示金額も高かったしネ」なんて笑い、エクスポズ時代にチームメートだったクロマティやガリクソンといった巨人勢の外国人に対しては、
「まさか、また同じ日本で、同じリーグでプレーするなんて夢にも思わなかったよ」と語る。
特にクロウとは大学時代からの顔見知りで、プロ入り後も彼の車をパリッシュが運転して出掛けることもあったという。
それにしても、やはりというべきか、野球人生一発逆転のチャンスを求めて遠く日本までやってきた30歳前後のハングリーな選手と違って、
パリッシュのインタビューの受け答えにはどこか余裕を感じさせる。
さすがフロリダで競馬用のサラブレッドを5頭も所有している元大物大リーガーだけある。
「オレは日本でロデオを普及させたいな。クルマを作ることにかけては世界一なんだから、ロデオでも世界一のカウボーイを作れるはずだよ」なんつってなんだかよく分からないアメリカンジョークを挟みつつ、
来日1年目の目標を聞かれると、「メジャーと試合数が違うので数字をあげることは難しいね」と前置きしつつ、冷静にこう答えている。
「ナショナル・リーグより、追い込んだら変化球で勝負する傾向があるアメリカン・リーグ出身の選手の方が日本野球に適応が早いと思う。私はクリーンアップとして、走者をかえすことで給料をもらっているんだ。
まあ、25本塁打、80打点以下であったら、納得いかないね」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191009-00000006-baseballo-base&p=1
10/9(水) 11:01配信
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/31/jpeg/G20110531000924300_view.jpg
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190607-00000011-baseballo-000-3-view.jpg
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/08/22/jpeg/G20080822Z00002370_view.jpg
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/posoi/20160915/20160915021753.jpg
http://npb.jp/bis/players/95293868.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=sbX5p4OA6Cw
パリッシュが天敵の斎藤雅樹からの四球で怒るw - I S2 baseball
https://www.youtube.com/watch?v=ndcwN-I56cs
1989.5.31 1試合で2度乱闘! 「ワニ男」パリッシュ退場! 本塁打王、ベストナインに輝くも……
過信じゃなく、圧倒的な自信を語る平成最初の怪物パリッシュ。4月は打率.320、6本塁打、13打点とまずまずのスタートを切ると、5月に打率.343、11本塁打、20打点で月間MVPを獲得。
原辰徳とのホームラン王争いをリードすると、「ハラは、大リーグでも十分に通用するスラッガーだ。彼と本塁打王を争えるなんて光栄だぜ!」と余裕の社交辞令。
かと言って周囲に対し大物ぶることはなく、球場から自転車をこいで家族が待つ広尾の自宅に帰る一面もあった。
その前評判どおりの活躍に異例の専属通訳もつけられたが、試合に入るとキレやすいのがたまにキズで、
ベンチ裏にはいつでも蹴り飛ばせる専用のスポンジ製「ラリー君人形」を設置(すごいネーミングだ)。巨人の斎藤雅樹をからっきし打てないことも話題となった。
89年リーグ4位のヤクルトは、関根潤三監督のもと三振を恐れないのびのび野球がウリで、池山隆寛、広沢克巳、そして長嶋一茂など人気選手が在籍。
パリッシュはその若いチームの「四番・一塁」としてオールスターにもファン投票選出され、ペナントは130試合フル出場。
打率.268、42本塁打、103打点、OPS.892で見事に本塁打王とベストナインに輝いた。まさに文句のつけようがない来日1年目。
もちろん来季残留も決定的……と思いきや、状況は一転する。翌90年からあの野村克也の新監督就任が決まったのである。
『週刊ポスト』によると10月初旬にパリッシュ側は、日本での交渉でヤクルトとほぼ契約合意したとみなし帰国。
しかし、11月末に日本にいる友人から「新聞にパリッシュ解雇と書いてあるけど本当かい?」と連絡がきて、代理人が球団に問い合わせたら「そのとおりです」と返答があったという。
ヒザに不安があり、三振も多く(リーグワースト2位の129三振)気性が激しいワニ男は、ノムさんの細かい野球に合わないと判断されたためだった。
まさかの本塁打王の解雇。パリッシュは年が明けた1月13日、阪神タイガースと年俸100万ドル(約1億4500万円)で1年契約を結ぶ。メジャー復帰したセシル・フィルダーの代役を託されての移籍である。
「オレはもともと飛行機が嫌いだから、アメリカ大陸を西に東に飛び回る大リーグより日本のほうがラクで好きだ。
そう、1年いただけで完全に新幹線中毒さ(笑)」 「バースの再来」と熱烈な歓迎
新天地へやってきた36歳の虎の新大砲は、いきなり関西マスコミから「バースの再来」と熱烈な歓迎を受けた。
開幕後は「四番・一塁」で存在感を見せ、落合博満(中日)と本塁打と打点のタイトル争いを繰り広げる。
6月は打撃不振で打順降格もあったが、7月は9本塁打で再び落合を突き放し、7月23日時点で25本塁打、69打点の二冠でトップを快走。
90年ペナントは巨人と西武が両リーグで独走したため、夏場には野球ファンの興味は元三冠王vs.元大リーグ30発男の個人タイトル争いに。
しかし、だ。8月中旬、ついにパリッシュの爆弾を抱えていた左ヒザが悲鳴を上げてしまう。
補強器具をつけているためじん帯の痛みがひどく、担当医からは「手術が必要だが、リハビリしてもプレーできる確率は5分」なんて非情の宣告。
あと25試合、ごまかして我慢すれば打撃タイトルの出来高ボーナスも手に入るかもしれない。
だが、どうしても打席で体重の移動がスムーズにいかない。残念ながらもう限界だ……。そして、8月22日試合後。中村勝広監督にこう伝えたという。
「左ヒザが痛い。休ませてほしい。タイトルにはこだわっていないから、チームの将来のために若手を使ってもらっていい」
当時の週べ掲載のリポート記事によると、8月25日から甲子園に戻って、ヤクルトとの3連戦を最後に途中退団で話がまとまり、
「三番・一塁」で先発した3戦目の27日に「申し訳ないが、もうプレーできない」とチームメートにも涙を浮かべながら別れの挨拶。
しかし、阪神球団側は「明日(28日)、本人と話し合う」とコメントしただけで、実質的な引退試合にもかかわらず、本拠地に集まったファンに対し、
セレモニーもなく静かにパリッシュは最後の試合を終えた。29日にようやく球団事務所で会見を開き、正式に現役引退を発表する。
「8歳からずっと野球をやってきたボクにとって野球は人生そのもの。
しかし、内角の速いボールを打てなくなったときに、もう現役としてやっていけないと思った」
その時点で、28本塁打はセ・リーグ1位。ホームラン王のまま、元大物大リーガーらしくユニフォームを脱いだ。
その気さくな性格は日本でも愛され、8月31日の帰国時には、見送りにいった記者たちから馬のぬいぐるみがプレゼントされたという。 ワニの唐揚げって実際食べてみるとふ〜〜んって感じで特に感想ないんだよなぁ 結果出しただけマシだよな
後に神のお告げで帰国する選手も輩出してるんだから ヤクルトはインパクトある外人多いな
ホーナー、パリッシュ、ホージー、ペタジーニ >>19
当時のヤクルトはとにかく三振が多く、池山や広沢とも三振王を争いレベルだった。
扇風機は3台もいらんというのがノムの本音 ヒルトンとかブリッグスとかの2番手の助っ人が好きだったなぁw 記事読んだらめっちゃ良い奴やん
余裕のある人間のなせる技だな 膝にすごい装具つけてたやつだっけ?
膝の靭帯3本切れててもう限界って言ってやめた記憶がある かっとばせキヨハラくんで常にワニ食ってたイメージしかない てか1年で日本球界からさよならしてたと思ってたわ
阪神の事完璧に忘れてた 終盤まで本塁打王ペースだったのに故障でそのまま退団ってフィルダーもだし90年代の阪神は本気で呪われてたよな 斉藤の外角カーブをことごとく空振りするのはあれがストライクに見えるからと言ってたな
曲がる前からボールでも振ってたから相当外に広いストライクゾーンだったんだろう 最近の元メジャーの大物はマニーラミレスが高知に来たな
どこかリンスカム連れてこいよ >>1
>メジャー15年で通算256本塁打は来日した助っ人選手の中でフランク・ハワード(太平洋)の382本、レジー・スミス(巨人)の314本に次ぐ歴代3位(89年当時)。
オグリビー忘れてね?と思って調べたら、レジーより全然少ない235本しか打ってなかった 知らんかった 問題児かと思ったらいい香具師やったんや ホームラン王のカンセコが日本に来る!って来たのが双子の兄のほうだった
しかも1軍に上がりもできないポンコツ >>19
守備は下手ではなかったが年齢と膝で瞬発力がなくて動けない
あれだけ守備範囲狭いと使えないがノム判断
MLBで監督もやってるんだよなパリッシュ この年は阪神にフィルダーが来た年だよな。
こっちの方がすげえだろ。 なんだよ
日本舐めてたイヤな奴の記事かと思ったら
結構いい奴じゃないか >>51
その気さくな性格は日本でも愛され、8月31日の帰国時には、見送りにいった記者たちから白いギターがプレゼントされたという。 >>14
古くはハワードからブルック・ジャコビー、
ロッテのローズ…鳴り物即退団なんか珍しくないのに
珍カスだけは何故こんなに粘着なんだろ。
それと「珍ざまあw」したいアンチか。 >>48
フィルダーは阪神辞めてから覚醒したから・・・・ やくみつるが「まんがスポーツ」でその年の各チームの殊勲、敢闘、技能賞を決めるという企画をやってて90年阪神の敢闘賞はパリッシュ。
「パリッシュはヒザは限界だったが憎き野村を見返すために阪神入り、ヤクルトの新外国人マーフィーが自分に遠く及ばないカスだとわかり悠々と帰国した」とか書いてたな。 >>1
>圧倒的な実績のわりにはNPBの適正価格での契約だった。
当時はメジャーリーガーの年俸がそこまで高くなかった >>2
フィルダーと同じ代理人だったんだよな
「自分のせいでフィルダーが阪神との契約を反故に
した」と責任を感じて阪神と契約という流れだった >>19
大嫌いな長嶋一茂から出場機会を奪うために
広澤克実をサードにコンバート
大嫌いな栗山英樹から出場機会を奪うために
外野手の新外国人を獲得し期待はずれと判断
するや柳田浩一という実績もない選手を抜擢
(結果出ず)
それが野村克也 プレーオフが盛り上がらないからって、野球の懐古スレばっか立ててんじゃねえよ >>47
メジャーで監督や打撃コーチを務めたこともあるがキャリアの長くはマイナーの監督をつとめていた
デトロイト・タイガースAAAのトレドで長く監督をつとめ、タ軍指揮を経てしばらくしてトレドの監督に再任
マイナー最優秀監督を取ったこともある ホーマーも途中帰国したんだよな
助っ人の外人はフォアザチームの精神に欠ける
バースも途中帰国したわけだし >>64
柳田は抜擢にこたえてゴールドグラブ賞
ただしさほど打力がなかったうえに、翌91年ジョニー・レイ二塁手の入団で飯田が二塁から外野に回り控えに降格
なお笘篠弟が先に飯田に弾かれ89年新人ながら確保していた二塁レギュラーから控えに回ってる モノマネしやすい外人
パリッシュ
デシンセイ
オグリビー
ミヤーン
フランコ
イースラー
ヒルトン >>14
給料分はしっかり仕事をしたでしょう。
3億4千万円プラス翌年の契約解除金1億2千万円をふんだくった、女神が微笑む外スラくるくるの大ドロボーもいたし。 そういやサヨナラ暴投するために来たハンバーガーとかいう外国人いたな > その時点で、28本塁打はセ・リーグ1位。
> ホームラン王のまま、元大物大リーガーらしくユニフォームを脱いだ。
↑正直記憶にないわ
扇風機っぷりばかり覚えてる ヤクルト時代に阪神戦でフィルダーが一塁ランナーで出ると「お前はこんなところいないで、将来はメジャー目指せ」と言ってたらしい
フィルダーは翌年メジャー復帰して大活躍 >>68
橋上によると、柳田はレギュラー昇格後に天狗化、笘篠は野村が要求することを頑なに拒否して自分のスタイル曲げず
これじゃ野村じゃなくても使いたくないだろうな クロウってカラスのことだろ?
当時は黒人をカラス呼ばわりして人種差別とは言われなかったのかな? 笘篠はチーム内に友達がいなかったらしい
松本典子と結婚したときにチームメートの誰かがお祝いの言葉述べたので「友人である〇〇さんに祝ってもらって光栄です」と言ったらその選手が「笘篠がお前のことを友達と思っているぞ」とからかわれたらしい
誰かは忘れたけど >>80
笘篠弟はスタイルを曲げなかったというのは、橋上以外にも証言があったような
柳田は足と守りだけで打てないうえに出塁率も低いのでは、上位互換の飯田が外野に回った時点でどうしようもない
さらに俊足で柳田より打てる城が台頭して守備固めの座も奪われてやがて近鉄に移り、今は審判に転向
正捕手から古田抜擢で外野転向した好打者の秦も居たな
栗山はメニエール病との闘病で状態の良い時は高打率も悪い時は出場も厳しいって何年も続いてたな 本塁打王がクビなんて前代未聞とか当時言われてたっけ てんとう虫がしゃしゃりでて
サンバに合わせて踊り出す 「左ヒザが痛い。休ませてほしい。タイトルにはこだわっていないから、チームの将来のために若手を使ってもらっていい」
ゴキローさんに聞かせたい言葉だね >>1
またか
ニュースでも何でもないスレを立てるな >>86
タイトルは取ってないが、打率.312で39本塁打103打点にOPS.972
これで放出された選手もいる
契約交渉が折り合わず、契約延長断念で移籍した例はいくつかあるが
(89年フィルダーや92年打点王シーツなど)
これはハナっから放出ありきだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています