【訃報】「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で ★2
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予備校のカリスマ英語講師で、「金ピカ先生」の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが、都内の自宅で死去していたことが24日、分かった。68歳だった。
佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。死因は不明。司法解剖が行われる。
1980年代、コワモテの顔に金のネックレスの風貌でありながら、代々木ゼミナール、東進ハイスクールなどの予備校で生徒から絶大な支持を受けていた佐藤さん。人気が高じてタレント業にも進出し、「全盛期には年収2億円超えた」とも語っていた。87年には秋元康氏がプロデュースした「1度きりだぜ人生は―花の受験生応援歌―」で“歌手デビュー”するなど、華々しい生活を送っていたが、近年は寂しいものだった。
2009年、それまで一度も訪問したことがなかった鹿児島・種子島の西之表市長選に出馬。本名よりも知られている「金ピカ先生」の名前で届け出たが、惨敗した。その後は2度の脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、表舞台から姿を消した。
18年のスポーツ報知のインタビューでは、日本に1台しかないというクラシックカーを購入する“車道楽”や暴力などが原因で夫人とけんかし、16年ごろから別居していることを告白。離婚調停中だった。自らの生活について「隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と自虐的に話し、朝から酒をあおるなど、不摂生を続けていたが、それまでの人生を「バラ色」とも語っていた。
◆佐藤 忠志(さとう・ただし)1951年5月4日、東京都生まれ。慶応大学法学部政治学科卒。筑波大学大学院修了。77年に代々木ゼミナール講師となり、旺文社の大学受験ラジオ講座担当。88年、東進ハイスクールへ移籍。「金ピカ先生」の愛称で知られ、40万部突破の「ズバリ!合格の英単語」など参考書、著書多数。タレントとしても活動し、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!」やVシネマ、ドラマに出演。拓殖大では客員教授も務めた。2001年に参院選、09年に鹿児島県西之表市長選に立候補するも落選した。
9/25(水) 4:03配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190925-00000010-sph-ent
https://hochi.news/images/2019/09/25/20190925-OHT1I50004-L.jpg
★1が立った日時:2019/09/25(水) 07:13:02.29
【訃報】「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1569363182/ 河合塾は元高校教師とか地味な先生ばかりでタレントはいなかった
教室も50人ほどの小教室で、自分はその方が集中できて良かったな >>280 ただ英語担当だったら英検一級、TOEIC満点、通訳とかあればもっと下の大学でも説得力はある 駿台は学者崩れや大学教授と兼任みたいな人が多くて
大学レベルの講義やって悦に入ってるような教師が多かった印象 >>361 今でこそ日東駒専落ちから一浪早慶は珍しくないが金ピカ先生の時代はみんなが勉強したからちょっとやそっとで席次が上がるようなもんじゃなかった。 1986年ぐらいのフライデーがあってこの人載っているけど年収1500万ってなってるぞ
もともと盛ってたんじゃないか それとも投信行った時給料増えたのかね >>856
受験戦争がピークの90年代までずっと稼いでたから、そのあと上がり続けたんだよ
TVもでるようになったしな >>852
現役の高校教師が仮名(堂々と?「本名は名乗れないのでこの名前でやります」と言ってた)でやってるのがいた
俺は河合塾には行ってなかったが妹が行ってて話すり合わせると俺が高校で教わった先生で間違いない、というのがいた >>848
奥さんと切れたらそうなるかもね
ただし、林氏はそんなに金遣い荒くないだろ
競馬で借金したことはあるらしいが 衝撃だったのは 孤独死ではなくて
ナマポだったって事
年収2億円あったのに金の使い方知らなかったアホだったとわ 80年代はネットとかなかったからまやかしがまかり通ったんだろな 吉野の古文とか
あいつ経歴とかはほとんど詐欺みたいなもんだったわな 51今日のところは名無しで2018/03/18(日) 13:51:21.27
Aさん(21)は、「毎日テレビで生活保護パッシングで精神的に欝になって酒浸りになり電気代値上がりしそうで、死にたい
外食を週3回に減らした。
厳しい就労指導で3ヶ月に一回行けた国内旅行も半年に一回になった。好きなパチンコも周りの目が気になる」と話した。
昨年度、Aさんに支給された生活保護費はたったの月額16万2230円でした。 内訳は、食費・被服費などの生活扶助類費が9万5030円
光熱水費など生活扶助2類費が1万200円、住宅扶助3万7千円、精神障害加算2万円です
「家賃、光熱水費を払うと、食べるだけで精いっぱい。いつも月末の財布は空っぽです」
たったの16万2230円・・・・・・
http://ime.nu/www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK200910
佐藤さん68でも同じ文面が成り立つ >>852
いや牧野いたやん
あの人は当時の予備校文化の仕掛け人 >>863
ある程度構文知らないと逐語訳なのできつい 故人を悪く言ってはいけないが
業界関係者はこの人をよく思わない人が多いでしょ?
お葬式やっても業界関係者は
ほとんど出席しないでしょ
線香の一本もいやだという
人も多いだろうな
それとみなさん貯金をしましょう 今時珍しいな
68歳なんて勝ち逃げが多いだろうに
この人、病に倒れてダメになったんかな、家庭崩壊 >>860
全盛期支払った税金の方が貰ったナマポよりもはるかに多いんだから許してやれよ 予備校通ったことない人が
林修と金ピカ先生を同一に見てるのかな >>867
ツイッターやってる代ゼミ講師はお悔やみモードだけど >>873
そうでもないか
英語科は冨田と仲本くらいだった 次スレ立たなければ、ニュース速報+に新スレあるよ
[速+]【大学受験】追悼 予備校講師「金ピカ先生」が我々だけに語った「最期の言葉」 佐藤忠志さん
https://headline.2ch.net/test/read.cgi/bbynews/1569488894/ >>868社会保険きちんと入って任意保険とかもきちんと掛けとけば身体が動かなくなっても金にだけは困らなかったものを道楽優先するからこうなる。 江坂は駿台あったな、ていうかおれ駿台大阪南校行ってたwそういう話か >>866
そこなんだよね
逐語訳だけで解けるセンスいい人も居るんだけど
やはりキッチリ文型や構文取れないと
解釈がいつまでもあやふやに この人代ゼミで教えていたらしいけど
冨田や西谷より上の世代の講師達は
嫌ってた話をよく聞いたよ
今は知らないけど どうやって代ゼミに入ってきたのかな
やはり募集見てなんだろうか
若い頃の佐藤さんは情報が殆どない 亡くなった自宅はうちの近所。雑色という昔の町名の表札なのであそこが彼の実家だろうか。
この地に戻ってきたときは普通に元気だった。簡単な英語で話しかけたら笑顔で応えてくれた。
晩年は68歳とは思えないくらい衰え、杖をついて歩いていた。
家の前にはカップラーメンの食べ残しが度々撒かれていた。近所で他にそのような光景は見られないので恐らく彼の食べ残しか。
家にはセコムのシールが貼ってあるが、扉はいつも半開き。
最近のその扉が閉まっているなと思っていたら。。。 >>883
でもさ富田や西谷のやってるビジネスモデルってまんまこの人のパクりだったよねw >>886
確かに謎だね。若い頃は「中学の入学祝いで父親に十二社(東京都新宿区西新宿)の
性風俗店へつれていかれ、童貞を喪失」とウィキペディアに記載されている程度。
筑波の修士を出て、27歳で代ゼミに入ったのかな。若くして有名予備校に入ったという
ことは、わりとはやく学者の道は辞めたっぽいな。 >>886
全盛期に書いた自伝によると大学院の指導教授の紹介(うろ覚えだから間違ってたらすまん)らしい >>856
1985年が人が少なめの丙午生まれが大学受験の年。
翌年の1986年から1992年までが団塊ジュニアで受験生が多くて、予備校業界ではゴールデンセブン(G7)と言われていたらしい。
バブルもかぶってるから講師の給料はうなぎ登りだったんじゃないの? >>891
大学教授も予備校でバイトしてたもんね
合格した時に通った予備校の先生いた、文学部の教授だった >>600
年収2億が数年あるくらいなら散財で簡単にすっからかんになる。
数年どころか10年以上2億稼いでいた清原ですら財産なくなった 講師誰もコメントしねえなと思っていたら富田がコメントしていた。
富田は1986年に代ゼミに入ったから数年間同僚だったんだよな
数年前の富田の本に代ゼミに入ったころ先輩の講師が話しかけてきて
「富田君、君は人気講師になる秘訣を知りたいかい?」と聞かれて
本当は人気講師なんか興味がなかったが、大先輩の気分を害してはまずいので
「はぁ」ととりあえず聞いといたみたいな話が書いてあったが、大先輩って
ひょっとして佐藤のことだったのかなw >>890
「私はいかにして共通一次問題をズバリ当てたか?」
を売りにして全国を講演して回ってたんだよね、あの人 >>885
マジで?優しいけどエッチな話が好きでいい人だったよ
夏期講習とかでしか受けてないけど >>888
そうかもしれないけど
西谷さんのド派手な服とかそうだったかもね
あの人好きだったなー 千明守(椎名守)氏逝去
國學院大學栃木短期大学教授、文学博士、元代々木ゼミナール古文講師である、
千明守(椎名守)氏が昨年末、ご逝去なされていたそうです
http://kitejuku.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-1a8c.html >>871
代ゼミのことかよ
代ゼミと代々木予備校は別モノ 生活保護を受けていた
ここまで至る事情は知らないが
なんか信じられない 最後はデイケアセンター職員が亡骸を発見か
昔の良かった思い出を酒のつまみに朝から酒に溺れて〜
そういう思い出すら無かったらもっと悲惨かもしれんがお疲れ様 >>905
思い出があるだけに余計悲惨なんじゃね
ただでさえ生活レベルを落とすってのは精神的に大きな苦痛が伴うのに
もっとも稼いでいた時期を思いながら痛みと孤独を味わうって凄いキツイことだよな…
https://news.livedoor.com/article/detail/17138374/
>だが、誰もいない部屋で、タバコをくゆらしながらぼんやりと過ごす毎日に、
佐藤さんの胸には喪失感ばかりが募っていった。気づけば自暴自棄になり、
耐え難い心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで酒をあおり続けた。
身体は、とっくに限界を迎えていた。
「もう、身体中が痛くて痛くてたまらない。全体的に弱っていて、最近は
一日中ベッドで寝ているんです。でも、デイケアセンターの人が週に2回来て
面倒を見てくれる。今朝も来て、片付けをしてくれました」
ぽつりぽつりと、問わず語りは続いた。身体を走る痛みに、ときおり表情を
歪めるのが気の毒だった。 じっと死を待って長い時間を耐えていた日々を想像する。酒を飲まずにはやっていられ
なかったのだろう。 >>907
いい思いしてたからこそ逆に悲惨というやつか
何か難しいな人の心は これじゃ酒飲んでも楽しくもなんともないだろう
https://news.livedoor.com/article/detail/17138374/
>話している途中で思い出したように枕元の焼酎を手に取り、あおり始める。
しかし、なかなか喉を通らない。なんとか飲み込んだが、ゴホゴホと咳き込むと
ベッドの上でもだえてしまう。心配になり、「飲まないほうがいいのでは」と
声をかけるものの、「大丈夫、大丈夫だから」と聞く耳を持ってくれない。 >>902
日々是決算
親身の集金
私大バブルの頃の代ゼミ
これ豆知識な! どっちがいいか難しいんだよな
一度はいい思いしたから幸せか、いいことをずっと知らないほうが心の平安保てるのか
いつか見た映画のシーンで過去の思い出にすがるしか能のない男に向かって、女が
「いいよね、あんたは。すがれるような思い出があって。うちには(舞台は北九州)そんなもの何もないよ」
という場面がある
その後で男にしがみついて
「うちにもワクワクするような思い出ば作って」
と続くのだが >>911
楽しむために飲んでたんじゃなくて少しでも死期を早くしようと思ってたのかもな >>>897
あなた知らないの
代ゼミの講師はよく佐藤の
悪口言ってたよ
本気で
職員もわがままでさあー
とグチってた人も
いたらしいよ >>864
非正規だけど手取り12万以下です(´・ω・`)
マジで死にたい >>918
1回の講義で200万円貰っていたという佐藤の話が本当なら、そりゃ勘違いもするし、職員に対しても横柄になるでしょ。
むしろ調子に乗らなかった講師が人間的によくできていたのでは。
学生運動崩れの先生方は大金を稼いでいても、どこか飄々としていたような気がする。
現代文の田村秀行先生とか。 >>921 田村さん確か馬主だったんじゃないか
信者じゃないから良く知らないが
平成元年63Bの住人だったけど、競馬とアルゼンチンタンゴが好きで
馬も持ってたと雑談で言ってた
なんで競馬好きかと言うと、短時間で楽しめる効率のいい趣味だからとか
根っからのギャンブル好きという訳ではなかったようで 脳梗塞は右脳損傷で左側麻痺
左脳損傷で右側麻痺
心臓がある右脳損傷だと 心筋梗塞になる確率大 大学受験は浪人しなかったから分からないんだけど、資格試験で浪人したとき範囲指定のあるテストで去年と同じ問題が出て
高得点を取る多浪生を見て去年は絶望したけどこういうことだったのか…と気づいた
試験直前になって範囲指定が無くなると高得点だった多浪生が消えていく
大学受験予備校もそんな感じだったの? 佐藤は予備校の授業を休講にしてでも
テレビに出ていたという事を聞いた事がある
それと大物講師とネクタイのつかみ合いの喧嘩の話を聞いたこともあるよ 金ピカ先生より、1歳か2歳年上のCoCo壱創業者は毎朝名古屋の街を掃除してる
インタビューで身につけてるものの話が出ると
ワイシャツは980円、腕時計は7980円、スーツはかなりシワがあって傷んでるけど着てる
スーツは2万円以下で何年か前に買ったもの
黄色いネクタイは一目惚れして19本同じものを大人買い
ネクタイ1本500円、ネクタイはクリーニング代がもったいないから自分で洗ってアイロンかけてる
自分に金を使うのははずかしい
人のために使いたい
一時期気に入って毎晩自宅で飲んでたワインは1本280円
自宅兼コンサートホールを作った時は28億円かけて唯一の贅沢をさせてもらった
死後、遺産は息子には譲らず寄付すると決めてる
ここまで極端にならなくてもいいけど、CoCo壱創業者に近い金銭感覚があったら
今頃まだ元気だったろうに ヤクザなのは外見だけと思いきや、知的で温厚な紳士はしだいにモノホンのヤクザなみに
荒んだ生き方をするようになってしまったようだな。 >>926
Coco一元社長はストラディバリウスを貸し出したりもしてるよね
音楽に造詣が深い
地元では愛される偉人だよ >>921
一回で200万はありえないんじゃないか?
500人の大教室だったとしても受講生一人当たりが払う授業料は時間単位にして数千円というところだろ
いまみたいにサテライトで他の校舎でも中継できるわけじゃなくてあの当時は現場でしか受講できなかったわけで
人気講師が移動は飛行機で時給は10万円以上という話は聞いたことがあるが >>922
昔アルゼンチンなんとかという馬がいた記憶があるがこの人が馬主だったんだろうか? 偉くなくたっていいの。意味なんかなくてもいいの。
ただ生きて酒かっくらって酔っ払っていつしか死んでいく。
それだけだよ。人間だもの。 >>930 馬の名前は知らない
なんかレースに出ることになったのに
馬が熱出したか体調不良とかで出場できなかったと
雑談で言ってたことがあった >>929
受講料5千円で計250万だから、200万への疑問は分かる
ただ集客の為の宣伝費と割り切れば、迷わず払うだろうね
当時は景気も良く成長産業で花形講師はタレント化したし
全盛期の佐藤だったら、瞬間的には可能性は有ったと思う >>933
そうか
他の講師で元を取ればいいわけか >>934
そうそう、佐藤の講義はあくまで宣伝と割り切ればね
ただ教育産業なのにずい分なやり方だとは思うけどw 1990年代後半吉野が代ゼミにいるとき雑談で東進に誘われた話をしていて
ギャラ聞いたら1コマ15万円でビックリしたーということは 1日4コマで60万 1週間で5日授業して
300万 一か月で1200万 10か月で1億2000万か グヘヘ ゲスイ話していたよ
一回の授業で200万はないでしょう 妻は葬儀にも出ないのか。妻が佐藤を殺したも同然だよな。もっとこの女を責めるべきだろう 今で言う「林修」みたいな人
でも頭の出来は全然違った >>936
2001年に代々木本校に通ってたけど、聞いたことないな
包茎ヤクザの話なら覚えてるw 身体悪くしても献身的に看病してくれた妻に暴力を振るってたし
制止も聞かず老後の資金で妻が手をつけず貯めておいたお金でクラッシックカー購入したりして使い込み、妻に逃げられる→落ちぶれてアル中→孤独死
なんで一番自分の事を考えてくれた奥さん大切にしなかったんだよ、バカだなあ あとは葬式がどうなるかだな
それすらないとか悲しすぎるな >>940
さすがに暴力なんて話はどこにも出てないだろ、話を捏造してはいかんぞ! 講義一回200万なんていう話は三大予備校とか東進やらじゃ無くて
むしろ地方の地元予備校が芸能人招いて一発大花火を上げる感じで
当時タレント化し超多忙な佐藤を札束ではたき一回だけ呼んだとか
まあそんなとこが実際じゃないかな、可能性として考えられるのは
レギュラー授業なら収支を考えればせいぜい10万が限界だったはず >>822
いつの時代の話か知らんが
当時は偏差値50から1年で早慶合格なんていたとしてもほんの一握りでしょ
予備校の宣伝用合格体験記に掲載されるレアケース >>943
いや記事になってるし本人もインタビューでそう答えてる 参考までに書いとくと
80年代後半の河合塾地方校で、一コマ90分1万5千が基本給(交通費宿泊費は別途支払い)と現役講師から当時直接聞いた
専任講師は確か年収700〜800万、最高で1000万だったとかも聞いた記憶があるな(専任は制約も多く一校舎で数人程度) >>600
いきなり大金が入るとついつい散財してしまう人って必ず一定数はいるからなぁ
野球選手しかり芸能人しかり バブル時代な予備校は麻布開成あたりの生徒にタダ券配って合格者数増やしてた時代だからな 89年当時、浪人してたが、人気講師の授業は、とにかく倍率が高くて取れなかった。
そもそも、予備校に入学するのに、入試試験が有る時代だから。
佐藤や土屋や、田村なんて、希望倍率50倍くらい有ったろう。
地方予備校で、佐藤が講義するなら、1回1万円でも軽く、1000人は埋まるだろう。
1講義200万円がネタとは思えない。
ちなみに、浪人生は、空前絶後の40万人もいた時代。 >>8
>>785
つまり予備校講師は正社員じゃなくフリーの契約で、
まともに年金もかけてなかったってことだね
売れてる間に会社組織にして、自分に高額なギャラ払う形でちゃんと年金払ってれば
高額な年金貰えて生活保護にはならなかったのにね
でもこんな人結構いるから、まあ運命だったんだね レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。