阪神・横田慎太郎外野手(24)が、今季限りで現役を引退することが21日、分かった。
将来の中軸候補として期待された大型外野手は、17年に脳腫瘍を患い半年間の闘病を経験。
復帰後は1軍の舞台を目指して不屈の精神でトレーニングを続けてきたが実戦出場もかなわなかった。
野球を愛し、すべてを捧げてきた生粋の「野球少年」が、自らの意思でユニホームを脱ぐ。

どれだけ重く、苦しい決断だったか。横田が、野球をやめる。6年間、泥だらけにしてきたユニホームを脱ぐ時が来てしまった。

高卒4年目だった17年2月。1軍メンバーに名を連ねた沖縄春季キャンプ中に頭痛の症状を訴え、脳腫瘍が判明。
半年の闘病生活を経て、8月下旬には症状が消え安定した状態となる「寛解」と診断され、9月3日に虎風荘に戻り、リハビリを開始した。

育成契約で再起を期した18年の春季キャンプで屋外フリー打撃を再開。
守備でシートノックに入り、ホームでの公式戦ではベンチ入りして仲間に声援を送るなど、実戦出場へ向けて着実にステップを踏んできた。

「背番号24を取り戻す」――。胸に刻んできた言葉だ。地元・鹿児島では、見知らぬ人から声をかけられることも増えた。
「試合に出て恩返ししたい」。誰かのために、という思いは日々強くなった。
一方で、走攻守で試合出場できる状態にはいまだに至っておらず、今季もここまで公式戦出場はない。
来季へ目を向けた時、心身ともに限界を感じ、自ら区切りをつけた。

ポテンシャルの塊と言えるその体躯に誰もが夢を見た。入団3年目の16年。
春季キャンプから実戦で圧倒的な結果を残して就任1年目だった金本監督の目に留まり、開幕スタメンを奪取した。
3月25日の開幕戦でプロ初盗塁、同2戦目にはプロ初安打もマークするなど、1軍で38試合に出場し存在感を示した。

「もう一度、甲子園で暴れ回る」。“その時”のために本拠地での登場曲は昨年から、ゆずの「栄光の架橋」に変更。大切な1曲だった。
「入院中、抗がん剤、放射線治療の影響で今までできていたことができなくなった。
自力で立ち上がれなかったり、目の前にあるものが取れなくなったり…」。心が折れかけた中で、背中を押してくれた歌だった。

「本当に力をもらった曲。この曲で打席に向かいたいんです」

鳴尾浜の室内練習場にバットと小型スピーカーを持って向かうことが当たり前になった。「曲を流してイメージしてます」。聖地へとつながる「架橋」をただ信じて、懸命にバットを振り続けた。

球団は、セカンドキャリアに関してもサポートする考えで、本人の意思を尊重し今後の進路は決まる。ファンに最後の別れを告げる引退セレモニーも検討している。

振り返れば、すべてを出し切ったと思える6年。数え切れない夢を背負ったまま、横田は、野球をやめる。(遠藤 礼)

◆横田 慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身の24歳。
鹿児島実から13年のドラフト2位で阪神入団。3年目の16年に1軍デビューを果たし、シーズン38試合で打率・190、4打点、4盗塁。
翌17年2月に脳腫瘍が判明。入院、治療を経て8月下旬に寛解。同年オフに育成選手となる。1メートル87、94キロ。左投げ左打ち。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190922-00000115-spnannex-base
9/22(日) 5:40配信

http://npb.jp/bis/players/31635139.html
成績

https://i.daily.jp/tigers/2016/03/10/Images/f_08879371.jpg
https://www.sanspo.com/baseball/images/20160328/tig16032805040005-p2.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=lNsj8UcT1xw
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