東京都荒川区南千住にあった東京スタジアムは1962年、繊維工場の跡地にできた。大毎オリオンズの本拠球場として、オーナーの永田雅一(大映社長)が私財を投じて建設。大リーグの球場がモデルだったが、両翼90メートルと狭かった。
夜は、キャンドルスティックと呼ばれた2本脚の6基の照明塔が暗い下町を照らし、巨大な光の島のように見えることで「光の球場」と呼ばれた。漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公・両津勘吉が少年時代に足を運んだエピソードでも有名な球場だ。
当時は「安打製造機」と呼ばれた榎本喜八や有藤通世、「足長おじさん」ことジョージ・アルトマンらが活躍。アルトマンは試合前に近くのそば屋に立ち寄り、たぬきそばを注文していたという。シーズンオフには、グラウンドはスケート場に変わるなど、当時としては画期的だった。
70年のリーグ優勝時はファンが永田を胴上げ。それをピークに客は減り、72年に球場は閉鎖された。77年に取り壊されると、現在は跡形もなくなった。
一方で、ラグビーW杯の開会式があった東京スタジアムは、普段は「味の素スタジアム」。ラグビーW杯組織委員会によると、スポーツ施設に企業名を冠する「ネーミングライツ(命名権)」があっても、W杯のスポンサーとの絡みがあるため、企業名は外されて表記されたという。(室田賢)
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