【野球】ヤクルトに移籍した辻発彦が戸惑い。 「こんなチームに負けたのか?」
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西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(38)【リードオフマン】西武・辻発彦 後編
(前編はこちら)
【1993年のヤクルトは目の色を変えて臨んできた】
――前年は4勝3敗で辛勝。そして、翌1993(平成5)年の日本シリーズもスワローズと激突することになりました。
この年、ライオンズは(オレステス・)デストラーデ選手がメジャーに復帰。大幅な戦力ダウンでシリーズに臨むことになりました。
辻 デストラーデが抜けたことで、確かにホームランは減るかもしれないけど、他のメンバーがしっかりしているチームだったので「別に大丈夫でしょ」と思っていました。
それぐらいの層の厚さはあったと思うし、そうでなければ、あれだけ何度も日本シリーズに出られないですから。
――1993年の日本シリーズは、初戦から波乱がありました。スワローズ先発の荒木大輔投手による厳しい内角攻めの結果、
一番の辻さん(「辻」は本来1点しんにょう)、三番の石毛宏典さんがともにデットボールという幕開けとなりましたね。
辻 「そういうこともあるだろう」とは思っていました。ヤクルト先発の荒木はシュートが武器だし、厳しくインコースを突いていく投手でしたからね。
荒木自身も気の強いピッチャーだったし、野村(克也)さんからも「中途半端に攻めるのではなく、厳しいところに投げろ」という指示も出ていたでしょうから。
――波乱の幕開けとなった1993年の日本シリーズ。前年とは逆に、スワローズが3勝1敗と先に王手をかけた後、ライオンズが2連勝。
この年もまた3勝3敗で第7戦までもつれこみました。この年のスワローズについてどんな印象をお持ちですか?
辻 1992年は、とにかく岡林(洋一)がひとりで頑張った印象があるけど、1993年は川崎(憲次郎)が印象に残っていますね。
そして、チーム全体が目の色を変えて、「何が何でも勝とう」という気持ちが前面に出ていました。
あと、前年は(ジャック・)ハウエルが絶不調だったという記憶があるけど、1993年はハウエルもきちんと結果を残したことを覚えています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190920-00871920-sportiva-base
9/20(金) 6:37配信
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2019/assets_c/2019/09/813034dd479db3c8b2906360462e529dc0cee379-thumb-600xauto-223811.jpg えー辻って180cm以上あったの!170ぐらいのイメージなんだけどw 頭がデカくて腕が短い、プロポーションが幼児体型というか。
それで実寸より小さく見える。
あと、当時の西武がデカイのが揃っていたので。 >>120
今のドラフト制度が厳しくなったのも
西武が西武電鉄の一般職員として採用→配置転換で西武球団に転属
→選手登録って裏技をやったからだしねw 嘘つけや
ドラフトの自由契約枠が無くなったのはFA制度導入、ドラフト撤廃を求めていた選手会の要求折り合いを付けたからだ
暫定的な策としてな
その解決策として二年後に逆指名枠、FA制度が施行されることになる >>42
若手にいびり散らすってことは先輩には媚びへつらうの裏返しだからな 逆指名ドラフトとかホント糞だったな
希望の球団に入れてそこで満足してダメになる奴が多かった ヤクルトのロッカールームでのオフとグラウンドでのオンは、野村ヤクルトが何度も日本一にはなったが連覇はできなかった証かもな。
ノムさんの「なんやかんや言ってもワシは甘いんですわ」というぼやきが・・・・・ >>85
神宮で荒井の打球を捕ろうとセカンドがジャンプしたら
届かずそのままバックスクリーンにライナーで入った >>61
辻は日通時代、主に1番や3番で大砲ではない。伊藤由(後に立正大監督)や岡田吉(ドラフト候補で引退後は日通ゴルフ部で活躍)という大砲が2人いたため4番には座らなかった。
当時は金属バットだったので辻のみの個人成績だけ見るとそういう錯覚を起こすが、当時のチームや社会人野球を見ていれば大砲という言葉とかけ離れた選手。 >>74
80年代のアマチュアスポーツは全日本の選手でもサインは苦手と
逃げてた選手もいたけどプロはそれじゃダメだな >>98
それはV9時代を知らないから
V9はそんなレベルじゃない 189 名無しさん@恐縮です 2019/09/09(月) 11:01:07.19 ID:rVnqIrw80
清原を獲得したり運もあったけど豊富な裏金や根本のインチキがなければ、その他大勢の平凡なチームだったよ
間違いなく日本プロ野球における負の遺産
辻
平野
秋山 ドラフト外(インチキ)
清原
デストラーデ
石毛 プリンスホテルに囲い込み(インチキ)
伊東 所沢高校に転校させ囲い込み(インチキ)
田辺
郭泰源 家族に取り入って囲い込み (インチキ)
工藤 密約して進学を匂わせ下位指名で一本釣り(インチキ)
渡辺智 怪我の噂を流して一本釣り(インチキ)
石井丈 怪我の噂を流して一本釣り(インチキ)
渡辺久 昔はイケメンだったくせに今はただのハゲ(インチキ) V9巨人の黒江も社会人野球の四番打者だったか
篠塚も銚子商業の四番だし、プロ入りする野手はほとんどがそうか シュートでデッドボールだと仕方ないなってなるのか?
気分的な問題だけど。 西武が1997年に優勝してたのなんて忘れてたわw
東尾になって、選手は放出して若手に切り替えて低迷のイメージだわ。
優勝しか無いチームだから厳しい言い方だけど。 西武の選手は所沢=野球、東京=遊び
というオンオフの切り替えができる
巨人やヤクルトは東京にあるから
野球と遊びのオンオフの切り替えが難しい
西武の強さは所沢にあるから
例えばもっと首都圏でも郊外だけど
鹿島アントラーズも強いだろ >>52
あの頃は巨人が大量失点しているときですら読売系列でもないのに良いところ探そうと必死だったよね
単打打っただけで明日につながる大きなヒットとか 西武が弱体化したのはやはり根本が流失したから
これをキッカケに工藤も秋山も石毛も流失するし、トドメは堤失脚で高年俸期待できなくなったからな
それにしても巨人全盛の時代に秋山清原は野球少年に絶大な人気だったし、当時が最強チームだったのは間違いない
辛酸を舐めさせられた他球団ファンは相当いるはず >>131
まぁノムさん自身が遊び人だったからな
森監督はケチで遊ぶ金を惜しむタイプ >>145
ノムは日本一を経験した監督にしては珍しく、
日本シリーズの山井の降板に異議を唱えていたな。
割と派手すぎというか遊び心がある。 堤はオリンピックキチガイで、アマチュアスポーツ大好き
プロ野球選手は五輪選手に比べて甘いとか良く言ってたと
そこに、海軍式野球の広岡が来たから、試合前もロッカーで私語もしないようなストイックなカラーになったんかな?
まあ、東尾とか西鉄ノリのベテランもいたが。 >>16
この年が当時の日本シリーズ歴代最低視聴率で、翌94年が平日ナイター、95年から全試合ナイターになったんだよな。 >>139
打者自身が向かって行って避けにくいってものあるからな >>16
阪神ファンだったので、日本シリーズの思い出は少ししかないが
小学校の授業の一部でNHK教育番組を見るのに、どの教室にもテレビがあった
もちろん授業の番組しかテレビは付けない
しかし授業終わってから、阪急とどこかが対戦した日本シリーズを見た記憶がある
もちろんデーゲームで
会社帰りの夜、風俗の待合室でオリックスとどこかが試合してるのを見た記憶がある
いつから日本シリーズは、デーゲームからナイターに変わったのか?
阪神ファンだから熱心に日本シリーズ見てなかっただけに知らなかったが
93年からナイターに変わったんだな、今でもそうなのか?
85年の阪神と西武の日本シリーズは、昼頃大阪京橋のパチンコ屋の前で見てたな
第一戦池田が完封しバースがホームラン打って勝った試合
終盤バースがホームラン打った時と、池田が完封で試合終わった時ここで見てた >>138
仁志が日本代表としてオリンピックで4番打ってたが巨人入ったら1番打者になるくらいに○○の元4番と言うのもな。
駒田も横浜行けば4番打ってた時もあるしな >>141
でも所沢のキャバクラで評判悪いぞー、ライオンズの選手は。 >>152
古田みたいにアマでは下位打者でプロで四番になるのは変態レアケースだね ドームなら秋口のナイターでも寒くないから
という理屈は立つな 全然勉強した素振りを見せない香具師に
テストの点数で負ける的な話 >>154
古田のトヨタ自動車の4番打者。
1989都市対抗では3本塁打打った。
玉田〜杉本の日本通運バッテリーは「スゴスギタ・・」 >>144
「日本シリーズ放映中!」って貼り紙出してる喫茶店もありましたな。
電器屋が店前にテレビ出したりもあった。
まだ商店街に個人店が多かった時代。 >>59
最後ハウエルが石井のパームにやられたシーンが焼き付いてる >>16
この2年の14試合中9試合を球場で観ていた俺。 >>35
そういうもんじゃん。
土肥とか、
先発志望が叶えられなくて、横浜にトレードされ、
交流戦のヒロインで散々西武をこき下ろすが、
自由契約後西武に戻る。
しかし、海外FAでメジャー挑戦。
その後、またコーチとして西武に迎えられる。 >>36
1997年のシリーズでは、
茶髪が多いなど、奔放な選手が多く、
また采配の重要性を軽んずる発言をした東尾率いる西武に、
このチームには絶対負けてはいけないと、
野村は思ったらしいね。 >>37
昨日のソフトバンクーオリックス戦での松中の解説で、
オリックスの選手には、
どうしても上に上がってやるという厳しさのようなものが感じられないとの言葉があった。
常勝チームと万年Bクラスとはそんなものなんだろう。 >>43
伊東・伊原は、西武の監督としても、かなり人格批判をされていたね。
東尾、なべQ、田辺といった甘い人たちに挟まれていたというのもあるんだろうが。 今の西武が辻の中でありなのはヤクルト時代があったからかもしれんな >>49
ということは、栗山監督になったら、
また雰囲気が引き締まるのかな。 >>74
2004〜2005の球界再編が、
ファンサービスにおいても1つの転機かな。 >>74
今のパリーグの選手じゃ考えられんなw
でも、西部って当時から高飛車だったよ
あの時代の言葉で言うとタカビーてヤツ
ファンサービスも巨人の選手を真似てたんでしょ >>123
辻は元々は守備の人で、
打順も9番の、くせ者型の選手だった。
30過ぎから打撃でも一流になった。
和田みたいな例外的な大器晩成もいるけど、
ちょっと遅咲き過ぎたね。 >>168
栗山にそんなリーダーシップがあったら今のロッカールームがたるんだ雰囲気になってない >>146
イチロー登板は許せなかったんだよなあ。 >>16
え・・・?
全試合見てたが何言ってんだ? >173
最初の年は打率2割いくかいかないかだった記憶があるな ノムは茶髪ヒゲにはうるさいけど ロッカールームの雰囲気にはうるさくなかったのかな? >>161
伊東はヤクルトの試合を一試合だけ視察して、
ハウエルはインハイに弱い、
石井のインハイの真っスラで攻めれば抑えられる、と見抜いたそうだね
インハイの真っスラでファール空振りで追い込んで、
最後に真ん中低めにパームボールで三振。 >>175
松井秀に「どうする?」と聞いたら「勘弁してください」と言われて高津出した 学校で英語の授業受けてモニターみたいのみて授業受けて
いたらいきなり画面が切り替わって西武の石井が不細工な打撃フォーム
でヤクルトの岡林からライトにフラフラとした当たり打ってヒットになって
西武が追いついた思い出がある >>59
初戦…岡林12回完投。代打杉浦サヨナラ満塁弾
二戦…荒木と郭泰源の投げ合い。郭泰源が打球直撃も西武勝利
三戦…奇策でシーズン0勝のルーキー石井一久先発もヤクルト完敗
四戦…岡林が1失点完投も打線沈黙でヤクルト3連敗
五戦…得点の奪い合いで延長10回に池山のソロが決勝打
六戦…球史に残る逆転に次ぐ逆転のシーソーゲーム。延長10回に秦がサヨナラ弾でヤクルト王手
七戦…4試合目の延長突入。岡林完投も秋山に決勝打を浴びて西武日本一
もう全試合面白かった あんな面白いシリーズだったのに、西武日本一の翌日のスポーツ各紙1面は
『貴花田×宮沢りえ婚約』・・・ 秋山を敬遠せずに勝負して犠飛打たれて負けたんだよな
次の清原はとっくにベンチに引っ込んでたんだから敬遠がセオリーだよな
策士策に溺れるってああいうことだと思ったな デーゲームの日シリといえば後楽園のヤクルト対阪急、大杉の疑惑のホームランだな。 >>37
試合前守備練習で
「歯を見せるな」(笑うな)
という暗黙のルールがあったらしい
異様な雰囲気だったと
当時のマスコミの人から聞いた >>188
広岡イズムか
工藤かな?広岡はとにかく無駄口も聞かず、全然笑わなくて、
声をかけてもらったこともほとんどなかったとか
昔の武道とかの感覚かな? j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop
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1992年第六戦
大塚が一塁から一挙生還 これで西武が勝つと思ったが負けた
秋山が一塁でとどまって叱責されているのが印象的 広岡さん、呉の職業軍人の家庭に育ち、上の兄弟はみな軍学校や軍隊。
一人戦死して、父親が岸壁の母のように港に毎日見に行っていたとか。
後輩の黒江のお茶の入れ方が悪いと人格批判レベルで叱責するガチガチな人。
海軍式野球とか標榜していたなぁ。 >>157
違います、1989年の都市対抗は7番打者です(4番は関、5番はサッカーの宮市の父、6番はヤクルトからのドラフトを拒否した杉山)
本塁打も1本のみ、相手は日本新薬。でたらめすぎて驚きです。 >>193
大塚は、このシリーズでレギュラーを平野から奪って、
翌年からも余裕でレギュラーかと思ったが、
(隔回)シリーズ男になっただけだった。 畑にヘッドロック掛けられて泣きそうになってたハウエルさん >>164
97は東尾をぼっこぼこにして圧勝してたなw >>29
今でも北海道のメディアは、日ハム1色で公平じゃない >>103
本人も察して辞任したな
辞任決まってから若手が本塁打連発してるのは偶然ではない >>175
松井を思いやっただけ
野村は情けで仕事するタイプだからハートの無い石井一や広沢今岡には冷たかったけど、逆の池山や宮本には甘かった >>61
川相がエースで4番だったみたいなもんだな >>69
しかもさいとうさんは数パターンあるから厄介 >>62
なるほど〜と思いかけたけど、辻の「しんにょう」を二点にしたところで活字の数は増えないだろ。
別の理由だろ。それが何かは知らないが。 >>166
>>167
そういや辻だけじゃなくナベQもヤクルトにいたな
田辺はひっそりと巨人にもいたw >>165
オリックスは選手層自体は悪くはないもんな
>>188
>>189
なるほど この黄金期のメンバーのほとんどが監督やってるって凄いな 辻ってコンスタントに3割前後打ってたのに9番バッターだもんなw
そんなチーム強いに決まってるやんw 秋山とトレードで西武に来た佐々木誠が練習の密度の違いにビックリしたんだよな
小銭を賭けてフリーバッティグやってたダイエーとは何もかもが違うって >>216
ただ、佐々木もレベルの高い西武野球に触れられたのは1年目だけで
その後は東尾政権に馴染めず急激に衰えて30代半ばで引退しちゃったな
あのトレードでただの数合わせだった橋本が、その後かなり息の長い活躍をしたのは皮肉というか何というか 辻と宮本の二遊間が一球毎にピッチャーのカバーに動いてたのが懐かしい >>13
岡林は酷使界のレジェンドだから
伊藤智仁など問題にならないレベルの酷使だった >>202
地方はそれで良いんだよ
そんなこと言い出したら
関西の阪神一色なんざえげつないぞw >>193
伊原がぶちきれてるのを見ると本当にライオンズは走塁意識高いチームだったんだなとよくわかる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています