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脱走兵の俊作(中村雅俊)との山小屋でのシーンも心に刻まれている。

「積雪が胸まであるほどの雪道を30分かけて山の上まで登るんです。その道も、スタッフさんが、まだ暗いうちからラッセル(除雪)して作ってくれました。撮影して戻って昼食の豚汁を食べたら、また30分登る。だから、あの赤いほっぺは、メークじゃなく自然なものなんです」

’83年4月、『おしん』の放送が始まると、直後から、小林さんはけなげな国民的ヒロインとして、あっというまに人気子役となる。番組も“お化け視聴率”をたたき出すようになった。

「ゴールデンウイークのころには、町をあるいていて、『おしんちゃん、寒かったでしょう』『ちゃんと食べてる?』などと声をかけられるようになっていました。局のほうにも、『おしんちゃんに食べさせて』と米1俵が送られてきたり、なかには現金もあったそうです」

1年間の放送が終わるころ、『おしん』はまさに社会現象となっており、小林さんの事務所にも仕事のオファーの電話が殺到した。

「もともとバレエをやりたくて児童劇団に入ったように、女優になりたかったわけでもないので、収録後はまた普通の、体育と図工が好きな(笑)小学生に戻っていました。お仕事は少しずつ続けていましたが、ドラマなども、夏休みや冬休みを利用して収録することが多かったです」

学業優先とはいえ、仕事を続けていくなかで、おしんのイメージから脱却するまでの苦労はなかったのだろうか。

「よく聞かれますが、あまり深刻に考えないタイプです(笑)。いただいた仕事を一生懸命にこなしていくだけでした。“おしんを脱却”より、おしんがあったから、仕事ができていると思っていました。地元の中学・高校に進んでも、将来は先生かCA(キャビンアテンダント)になれたらいいな、くらいに考えていました」

『なつぞら』のセットに立って思い出すのは、やはり『おしん』での日々。

「なつの家族はじめ、私たち山田家も、みんなで北海道の荒れ地を開墾するシーンは大がかりで、あの最上川のいかだのシーンを思い出しました。ここでも、衣装はもちろん、履物ひとつにしても、考え抜かれて用意されていたり」

改めて、目にする小道具が、耳にするセリフが、すべて学びとなっていたことを実感する。

「撮影中、私は学校に通えないときもありましたが、『おしん』の現場で、いろんな社会勉強をさせてもらっていたんですね。台本に『箱膳を持ってくる』とあって、何だろうと思って現場に行くと、箱の中に食器が入っていて、ひっくり返すと1人分の食卓になる。ああ、昔の日本にはこんな生活習慣もあったんだと、教科書にはないことを知ったり。そして、多くのセリフからも学びました。中村雅俊さん演じる俊作あんちゃんの『いろんな理不尽も世の中にはあるだろうが、自分を主張するだけでなく、人を許してあげることも大事。つらく当たる相手にも、いろいろあるんだ』という言葉などは、その後の私自身の生きる指針にもなりました」