【芸能】更年期障害にうつ病…木の実ナナが公表して得たもの〈週刊朝日〉
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あのとき、別の選択をしていたら……。著名人が人生の岐路を振り返る「もう一つの自分史」。
今回は木の実ナナさんの登場です。芸能界に身を置いて半世紀以上。
さまざまな苦難もあったけれど、大切な人との出会いと絆も多くあったそうです。
まずは太陽のような、はつらつとしたイメージにぴったりな芸名の由来から伺いました。
* * *
木の実ナナ、って最初は「変な名前だなあ」と気に入りませんでした。どこまでが名字?って。いまでは大好きな名前だし、周囲も「ナナちゃん」が当たり前になっていますけどね。
芸能界入りのきっかけは、中学3年の学校帰りに友人に頼まれてオーディションに付き添ったことです。楽屋で友人を待っていたら「あなたは歌わないの」と言われて、歌ったら合格しちゃった。
62年に「東京キカンボ娘」という歌でデビューして、作詞作曲の菊村紀彦先生に芸名をもらいました。漢字とひらがな、カタカナが全部入っている名前だから、歌えて踊れて、お芝居もできるスターになるように、って。
小麦色の肌の元気な少女、といったイメージで売り出されたが、実は本人は色白。テレビ出演時にはメイクさんに濃いファンデーションをたっぷりと顔に塗られた。
顔立ちが外国人っぽかったのか、小さいころからハーフに間違われてずいぶんいじめられたんです。でも大人は優しくしてくれました。
東京・向島の生まれで、夜の仕事をするお姉さんや花柳界の芸者さんたちがたくさんいた。彼女たちが仕事に行く前、よく遊んでもらいました。
――木の実は1946年、トランペット奏者の父と、ダンサーをしていた母のもとに生まれた。母20歳、父は19歳の若い夫婦だった。
未熟児で生まれてオギャーとも言わなかったんですって。お医者さまも「ダメだな」と思って、母の産後の面倒をみていた。
そうしたら蚊の鳴くような声で「……んぎゃ」と言うのが聞こえたんだそうです。「キャー、生きてる〜!」って大騒ぎになったそうです。
そんな子が日に日に元気に、大きくなるから近所の人たちもびっくりしたみたい。でも体は弱くて。運動会や遠足になると熱を出していました。
それで「少し体を動かしたほうがいい」と母のすすめで5歳のころバレエを習い始めたんです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190822-00000024-sasahi-ent
8/25(日) 11:30配信
https://dot.asahi.com/S2000/upload/2019082200024_1.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Dha14eqVAAAt-1V.jpg 母は私を身ごもってダンサーをやめたんです。大好きな道を諦めて育ててくれた。それを知ってから母をより大事にしなければと思って、亡くなるまでずっと二人で暮らして面倒を見ました。
勉強は嫌いだったけど、バレエは大好きで熱があってもバレエにだけは出かけていました。
わが家の隣に、夜の仕事をしているお姉さんが住んでいました。
部屋に招かれると「まりちゃん(本名・鞠子)、今日はこれ」って、ハーシーのチョコレートとかビスケットとかキャラメルとか駄菓子屋さんでは売っていないようなお菓子をくれた。
お姉さんの部屋は壁紙も家具も色鮮やかで、「いいなあ」と子供心にうらやんだものです。
というのも、うちは妹と私と祖母と叔父、両親の6人が6畳一間で暮らしていたもんだから。夜働いている父を、朝になると「ごめんなさいよ」とまたいで学校に行く。そんな下町育ちなんです。
――62年に歌手デビューしたが、なかなかブレークには至らない。それでも有名歌手の前座など務めながら、何とか両親と妹を養った。
いろんな歌手の前座をやりながら「いつか一人でショーをやりたい」と思っていました。
ドラマで共演したエノケンこと榎本健一さんにはとてもお世話になり、「ナナ、お前は正面より、後ろ姿がいいな。顔はチンクシャみたいだけど」って言われたんです。
つまり「舞台を目指せ」ということ。テレビでは正面の顔ばかりだけど、舞台では後ろ姿でも魅了することができるから。
そんなとき、アメリカ行きの話をもらったんです。所属事務所が経営しているナイトクラブがロサンゼルスにあって。23歳になる直前の夏でした。
自分で舞台を構成したんです。着物姿で「お江戸日本橋」をかけながらステージに出て、パッと着物を脱ぐと下は超ミニスカート。
それでビートルズやモンキーズの曲などポップスを歌うと、日系の方をはじめお客さんがとても喜んでくれて、うれしかったですね。
ラスベガスに連れていってもらったことも忘れられません。シャーリー・マクレーンのショーを見たんです。感動しました。
楽屋に連れていってもらったんです。並んで写真を撮って。鳥肌が立っちゃった。しかも彼女は「ニホン、から、来たの?」と片言の日本語で話しかけてくれたんです。 ――日本に戻り、いくつかの舞台に出演。そして72年、越路吹雪主演の劇団四季ミュージカル「アプローズ」のオーディションに参加する。
新聞でオーディションの広告を見たんです。あれを見ていなかったら、いまの私はないですね。でも実は落ちたんです。
「ああ、どうしよう……」と絶望していたら、声をかけられたんです。「ちょっとお戻りいただけますか」って。
そこで審査員の先生方に「お願いします! どんな役でもいいからやらせてください!」って食い下がったんです。
そうしたら「あなたは応募した役には向いていなくて落ちたけれど、あなたにピッタリの役があるんです」って。
写真を見たら「え? この役をやりたかったんです!」って。
おっちょこちょいな私らしい勘違いで別の役で応募してたんです。それで無事に合格しました。自分では「歌も踊りもできる」と思っていましたが大間違いでした。
全部一からやり直し。このとき一流の先生方のもとで、あいうえお、の発声練習から学ぶことができました。
――「アプローズ」以前から木の実ナナに注目する人はいた。舞台を見た井上ひさしさんには「歩いているだけで絵になる女がいた!」と評された。
晩年まで交流が続いたのが永六輔さんだ。
永さんが木の実に最初にあてた手紙にはこう書かれている。
「僕は貴女と仕事らしいことはしていないけれど、最も関心のあるタレントの一人です。(中略)僕は木の実ナナこそ、“粋な芸人”になれる有力ホープだと信じています。貴女は粋なのです。
洒落ているのです。都会人なのです。シックでスマートでセンシティブで……」
74年には舞台「ショーガール」で細川俊之さんと二人芝居に挑戦しました。81年にいったん終了したあと83年に復活して88年までのロングランになりました。
細川さんとはプライベートでは会うのはやめようと決めていましたが、特別な絆がありました。
2011年に細川さんが亡くなったあと、永さんがコンサートを見に来てくださったんです。
そのとき舞台上で私が、「細川さんが好きでした」って言ったんです。そしたら永さん、涙をボロボロボロッて流された。
いつも永さんは手紙をくれました。88年に父親が亡くなったときも手紙をくれたんです。 ――父親はジャズ全盛時代の終わりとともにトランペット奏者の仕事を失い、アルコール依存症になった。
「木の実ナナの父親だ」と酔って叫び、警察に保護された父を迎えに行くこともしばしばだったという。
父が肝硬変で亡くなり、永さんは「悲しいだろうけど、親が子どもを亡くす悲しみを思ったらさみしくないよ。
いい思い出だけ大事に取っておきなさい」と手紙をくれました。
永さんの手紙だけで辞典が作れるくらい、その言葉に支えられました。
――ほかにも苦難はあった。40代半ばから更年期の症状があらわれ、それに伴い、うつ病を発症したのだ。
あれ? なんか変だな、と思ったんです。コーヒーを飲んでもおいしくない。花や景色を見てもきれいだなって思えない。ただ毎日、汗ばっかりかいて。
病院に行っても「自律神経失調症」と診断されて。まあいいか、とやり過ごしていたんです。
49歳のとき、仕事で大阪のホテルに一人でいたんです。そのとき頭がグワーッとしてきて、気が付いたらガラス窓に頭をガンガンぶつけていた。
「ああ〜! もういやだ! 死にたい!」って。その自分の言葉にハッとしたんです。「死んじゃったら、家族、誰が食べさせるの?」て考えた。それで見つめ直したんです。
「更年期障害」と診断されました。うつ病も発症していました。
――更年期障害は症状を自覚してストレスを発散することが、乗り越える助けになるという。体験を伝えたくなり、2000年に新聞広告で「私は、バリバリの『鬱』です」と公表。
反響は予想を超えたという。
「あの明るいナナちゃんが?」ってみんなに言われました。でも先生は「明るい人ほどなるんです」と言っていた。
ドラマの撮影が終わったあとなどにスッとそばに来て「助かりました」と言われることが本当に多くなりました。
ああ、自分だけの問題じゃないんだと。「これを超えれば、さらにイイ女になりますよ」とみんなに伝えたかったんです。
いまはすっかり元気です。秘訣(ひけつ)はいつも笑ってること。でも、それを後輩やいまの子どもたちに無理して伝えたい、とは思いません。だって時代が違うもの。
いちいち説明はしないけど、こういう雑誌で語ることで、もしかしたら何か少しは役に立てるかな、と思っているんです。
母や祖母から戦争時の大変さをたくさん聞いてきました。母は「自分だけが幸せになっちゃいけない。みんなで幸せにならなきゃいけないんだよ」と繰り返し言っていた。
だから自分にも何かできたら、と自然に思うようになったんでしょうね >>1
>顔立ちが外国人っぽかったのか、小さいころからハーフに間違われてずいぶんいじめられたんです
今までずっとハーフだと思ってたわ ずっと言ってるからもう更年期障害な人にしか思えなくなった
そんな時ナナさんが出会ったのがこの青汁、的な展開だな。 このババアをガキの頃、テレビで見た時
「結婚相手の条件は?」と聞かれ
・東大卒
・ハンサム
・身長180cm以上
・年収ウン千万以上
なんて言ってたから、絶対に売れ残る!と思った…。 友達のオーディションに付き添って行ったら
受けるつもりでもなかった自分が合格したって
こりゃ友情関係崩壊しちゃうよね
しかも中学3年生の多感な時期に 俺も、鬱っぽくなった時期があったが
運動経験ゼロから、ジョギングを始めて
マラソンに参加するまでになり
鬱的な状態を脱する事ができた。
鬱っぽいとか、
そんなの鬱じゃねーよwと
思われるかも知れないが
それは通院しなかったからで
もしも、心療系に行ってたら
鬱と診断されて、薬が出てたと思う。
本格的な鬱なら
やはり心療系の医師を頼れ。
早く対処すれば、早く治るし
決められた薬を飲んだ方が、
回復は、ズバ抜けて早い。
何故なら、鬱経験者のほとんどが
早い受診や、投薬の必要性を話してる。
鬱は誰でもなるから、
これから鬱になってしまう人も
自分が鬱に!?、と不安もあるだろうが
治る道は、必ずあるから心配すんな。 結婚とダンスどっちを取るかって木の実ナナが男はつらいよに出た時の話はそのまま母親のことだったのか >>6
映像は出ても名前が出てない回の方が多かったな 何年更年期の話題でやってんのこの人もう60過ぎてるだろ?
なんか自分の舞台に客が入らなくて事務所倒産したし金に困ってんのかな ハーフにまちがえたらからいじめるってのも嫌なヤツらだな
民度が低過ぎる 細川さんとはプライベートでは会うのはやめようと決めていましたが、特別な絆がありました。
2011年に細川さんが亡くなったあと、永さんがコンサートを見に来てくださったんです。
そのとき舞台上で私が、「細川さんが好きでした」って言ったんです。
居酒屋でがヒットした細川たかしじゃないのかと思ったけど
あれは五木ひろしだったわ どんなに無名な芸能人でも変換するグーグル変換
VS
木の実ナナ
ナナナナ〜
ナナナナ〜
週7 木の実ナナ〜
by ジョイマン 木の実ナナと聞いて連想するもの
古谷一行
火野正平
常田富士夫 老けたな木の実ナナさんも、、、あとどっかのテレビショッピングで見た水沢アキさんもヤバいくらい老けててビビったな うつは誰でもなる可能性がある
「俺はならないよ」って思ってるやつは何もわかってないだけ 名前に漢字、ひらがな、カタカナが入っている芸能人は木の実ナナだけ
↑
本人に聞いた 渡る世間出なくなったのはそれか
アカリが嫌いだったからいいけど >>19
更年期が落ち着くのって50代後半から60代前半だって
まだ終わってないんじゃね 中尾ミエにもいじめられてたって言ってたな
あんたなんか歌下手よ!って。
顔も濃いしスタイルもいいから見た目が目立つから、何かと妬まれるんだろうな https://youtu.be/3LpXsYeKgy8
https://youtu.be/h78QktoKmNs
↑障害者ではなく、右翼アレルギー及び保守アレルギーこそ不幸しか作らない。
それこそ人間かどうか疑問。
実際に右翼アレルギーの基地外の神のポル・ポトは「資本主義という腐ったリンゴは箱ごと捨てろ」
と言って4年で少なくとも自国民の2割以上を殺して、直後に無謀な侵略戦争を仕掛けた自国を壊滅させたからだ。
そもそも人間か人間じゃないか以前にポル・ポトなんて生物かどうかも疑問だし。
障害者じゃなくてポル・ポトみたいな基地〇の神こそいなくなればいい。
最近、ポル・ポト政権のナンバー2がくたばって、ポル・ポトついにいなくなったが忘れるな。
キュー・サムファンとい、ポル・ポト政権の影の指導者であり、後継者及び事実上のナンバー3が今でも健在だということを。
地雷もまだカンボジアにある。
ポル・ポトの亡霊やその手先共は今でもいるんだということを。 >>1
これは危ない刑事のOPか。
忘れてないからすげーわ。 >>54
中尾ミエって和田アキ子とかも苛めてたんでんしょ?
必ず名前でる嫌な女 腰の位置高くて足長いよね
ハイヒールがよく似合う人 足が長くてスタイル良くて素敵な方だと思う
歯も自分の歯だし あぶない刑事の時点で41歳か
変に若作りしてない大人の女性でかっこいいね >>36
火野正平は今年、嘉門タツオにハマっているとか言っていて、
「大きな口の木の実ナナ」だけは歌ってないんだなw >>58
和田アキ子をいじめることが出来る人がいたのかぁ 鬱っぽくなった時に実家に戻ったらあまりに物が多くて泣く泣く不要品捨ててたら
脳から変な汁出てきてめっちゃハマって半年で8割捨てて勢いで復職できた
親がすげえ喜んでた 昔、NHKでこの人の少女時代がドラマ化されてたな。諸岡なおこという女優が主役だったがブレイクしなかった。
>>58
和田を苛めたのは別の人。中尾はむしろ庇ってた。 草刈正雄とベッドシーンやった『汚れた英雄』でオッパイ出してる
この人は昔、梅沢富美男と付き合ってたのが黒歴史 鬱に効くもの
薬(通院)
しっかりした睡眠
サウナ
適度な運動
部屋の整理整頓(断捨離) 鬱を悪化させるもの
過酷な仕事(無茶なノルマ達成)
睡眠不足
栄養不足
病院に行かない
インターネットでネガティブな情報に触れる
昼夜逆転
部屋が散らかっていて不用品を溜め込んでいる状態
万年床 >>32
クリカンが細川俊之さんのものまねでやったネタだな
ご本人同士が実際に親密だったのは初耳
クリカンがネタにするほど業界で有名な仲だったのかね 40男だけど男の更年期障害になってしまったかもしれない ____
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/ (●) (●) \
| (__人__) | へ〜あんたもナナっていうんだ
/ ∩ノ ⊃ /
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ / >>69
自分はパニック障害やって
こんまりしたけど
色々捨てて最初は気持ちいいんだけど
後から疲れがきて一日寝込むを繰り返してたな >>87
まだこんまり終わってないけど
ものすごいショックなことがあって
パニック障害になって
1週間くらい一歩も外でられなくて
必死の思いで心療内科行って薬飲んだら速攻きいて
だいぶ楽になったな
ご飯をちゃんと食べられるようになったのはそこから1ヶ月後だった
来客とか電話は薬飲んだらすぐできるようになった ぬこっぽい顔だよね。
最近のアイドルは顔が覚えられないけどこの人は名前も印象的で覚えてる。 けっこう経験者いるんだね
自分は風呂も入れなくて布団で自分が寝てる場所だけが影みたいに汚れた、今思ったら気持ち悪くて本当に異常
宅配の受け取りや電話どころかポストさえ怖くてみられず
今は毎日散歩行って痩せて日常生活普通に送ってる、鬱って本当にある。投薬治療もしたけどSSRIはあまりきかなかった たけし君、はい いい嫁さん、母ちゃんだったな
相棒 この人の目力に引き込まれた
木の実ナナ、いい女優だ 桃井かおりより断然好きだ >>93
ポストが怖いわかりすぎる
自分はパニック障害で鬱はなくて
抗うつ薬は一昨効かなかったが >>74
うちのお父さんのスナックによくきてくれたお客さん 一回だけショーガール見に行った
姉が好きで何でか知らんがチケット買わされて連れていかれたんだけど
ナナさん可愛かった。子供心に「こんな可愛い人がいるんだ」って思ったっけ >>74
亡くなったとき「JALの機内番組どーなるんだろう」って
漠然と思った記憶が有る。
自分が知ってるJALの機内ラジオ番組みたいなやつは
全部細川さんだった >>15
おまいいい奴だな
自分は中途半端に仕事粘ってしまったのが悪かったのか発症から5年経つがまだ投薬してる
これでもだいぶ減らしたんだけどね >>85
1978年ならちょい先輩だ
どんな症状? 体験としては、年くうとここまで太るとはと思わされる
食べ過ぎで太るのとは別に、勝手に太るんだから >>15は、早く病院に行けと言ってるようにも思うけど
ジョギングとか筋トレで発散してしまえとも読める。
病院に行って診断を受けると暗示のようになってしまう人もいるはず。
汗かいて走ってればそのうち気も変わるという体験談として有効じゃないかな。 >>13
>>97
若い頃、結婚を考えた相手がいたそうだよ
でもそれを父親に話したら、お猪口かなんか投げつけられて「じゃあ家族を誰が食わすんだ!」みたいなこと言われて諦めたそうだ >>107
かわいそう
家族を捨てられなかった木の実ナナって優しすぎる
この人いっつも笑顔よね、痛々しいくらい
あぶない刑事周辺でしか知らないけど TWICEミナが不安障害だってプ そんな豆腐メンタルでよくオーディション勝ち抜けたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています